体験バイト
「相変わらずねむそうだな、ナツ」
電車でひと悶着あったあと。
疲れた心を安らげるよう、コーヒーを買って席に
つこうとしたら、和也が声をかけてきた。
巻き込まれ事故にあったような、嫌な気分で朝から
落ち着かないと思っていたのだが…
コイツの声で安らぐとは不本意だ。
「バイトしようと思うんだけど、何かない?」
「おっ、なんだ唐突だな。金でも困ってんのか?」
「いや、そんなわけじゃないんだけどさ」
せっかく高校生になったわけで、何か新しい体験を
してみたい、ただそれだけの理由だ。
「カフェとかいいと思うんだよな」
「カフェねぇ。俺のねーちゃんカフェで働いてるぞ」
「え、なにそれ。初耳なんですけど」
「この間、行った和菓子屋あるだろ?あれだよ」
「でもいなかったよな?この前」
「最近、部活で休んでてしばらくいなかったんだよ」
そう言って、和也は和菓子屋の求人のデータを
見せてきた。時給的に悪くない条件だ。
ただ、ひとつを除いては…
「体験バイトとかどうだ?雰囲気分かった方がいいだろ?」
そうなのだが…和菓子屋か。
強いて言えば、ただひとつ問題がある。
ミクさんがいることだ。
ただでさえ、家が近くて何やら弁当の件でも
疑われているのに、ましてや和也の姉がいる
お店で情報が筒抜けになるのはまずい。
やめておけ、俺の直感がそう告げている。
「せっかくの話なんだが、別の仕事を…」
そう言おうとすると食い気味に和也が肩に
手を置いて揺さぶってくる。
「体験だぞ、行ってみろよ!紹介者にはサービス券が
付いてくるんだ。お得だろ!!」
お前にとってはお得だが、おれにとって一切の
メリットを感じない。
「ねーちゃん、人が足りなくて困ってるって」
和也に何も恩はないが、お姉さんにはよくお世話
になったので、そこに関しては否定できない。
コイツに何かしてやるメリットは何もないが、
お姉さんのためだけに一回はおねがいをきくか。
「体験だけだからな…」
そう言って、おれは今日の放課後に和菓子屋の
体験バイトへ向かうことになるのであった。
いつも通りふたりで歩く。
桜並木は彼女とでも歩きたいものだ。
…いないけど。
朝の余韻に浸っているわたし。
肩のあたりがまだ熱い。なっちゃんにもたれられた
せいだ。急に頭をもたげてくるから何事かとパニック
になってしまった。しあわせものだ。
少し浮かれてスキップしたように歩いていると、
朱莉が声をかけてきた。
「おはよー、なにやら楽しそうだね」
「おはよー。そう見えるかな?ふふ」
「なんだか気持ち悪いよ、悪い顔になってる」
失礼な親友だ。あとで少しこらしめてやろう。
いいことがあった、といえばそうなんだろう。
電車でなっちゃんにもたれられたので、今の
わたしは幸福感のオーラに包まれている。
何をされても許せそう、そんな聖母マリアの
ような気分だ。余計な発言をした親友ですら
ただですませてあげられそうだ。
「みっくー、テストあったよね?助けて!」
肩に抱き着いてすりすりしてくる親友。
そこはなっちゃんとの朝の思い出をつむいだ
聖域だった…前言撤回、せっかくの余韻を一瞬
で消し去った親友に正義の鉄槌をくだす。
「こめかみグリグリはだめだよぅ」
痛がる親友に少しお灸をすえていたところ、
バイト先の先輩からメールが来ていた。
なにやら今日は体験バイトの人が来るらしい。
わたしもだいぶ慣れてきたものの、新人に
教えるのってなんだか緊張するな。
了解のスタンプを返したあと、朱莉と話を
続ける。テストの話だったっけ。
「確認テストでしょ?別にそんな身構えなくて
大丈夫だよ。朱莉ならそこそこできるでしょ」
「そうだけどさ、初めてのテストだし、不安はあるよ」
ここからがスタートなんだから気にせず受ければ
いいのに。そう思うものの、朱莉はプレッシャー
に弱いため、励ましてあげるしかない。
ヨシヨシと少しだけ頭をなでていると回復
したようだ。チョロいな。
わたしは放課後のバイトの準備をしないと。
ホールの接客やキッチンでの対応など、
まだ何か作らせることはないんだろうけど。
何かあっても大丈夫なように丁寧にレシピ
や段取りをメモにまとめておく。
昼休みに確認しておこう。
おうちの仕事の手伝いは、しばらく学校が
慣れるまではいいよ、とのことなので、
甘えてお休みさせてもらうことにしよう。
後輩なんてなんかいい響きだな♪
そんなことを考えながら朝の出来事も
相まってご機嫌に過ごす美空であった。
放課後、夏樹は和也に連れられて和菓子屋
の前に立っていた。一応は体験だからと
来てみたものの、ミクさんと顔見知りに
なってから初めての来店である。
しかも、今回はお客でなく接客を伴った
バイトとして笑顔を振るまく必要がある。
おれにできるかな…
ミクさん、今日オフだったらいいんだけど。
いたら微妙に気まずいしな。
そう思いながらのれんをくぐる。
「おーご無沙汰だね、なつきくん」
和也のお姉さんの明るい声が店内に響く。
こういう声がサービス業向けの接客に向いて
いるのでは?そう思いながら自分の声では
なーと思っていると、ポンと肩を叩かれる。
「なつきくんは落ち着いててイケメンだし、
慌てずにやればきっと大丈夫だよ」
意外と高評価だった。
和也のお姉さんは昔からの付き合いで、
ケガをした時に親がいなくて、病院に
付き添ってくれたこともあった。
何かとお世話になっているので、頭が
上がらないので今回引き受けたという
のもある。手先器用じゃないからイヤ
なんだよな、こういう仕事は。
まぁ、一日だけの体験バイトなんだし、
気負わずさっと片づけてやるか。
奥に入るとエプロンを渡され、一応は
店員の姿に様変わりした。
「おー、なんか様になってんなぁ」
和也が茶化したようにあおってくる。
なんか少し腹立つな、コイツ。
「お客様、無銭飲食はお断りしております」
「金ならあるぞ、ほら。注文お願いします!」
コイツ、おれの紹介で受け取った無料クーポン
をひらひらさせてやがる。
結局、ほぼ無銭飲食じゃねぇか。即刻、警察に
突き出してやる。
「初めてのお客様だね、うふっ」
きもっ、そう思ってお冷を机に叩きつけた。
そんなバカなやり取りを終えると、和也姉から
しっかりと簡単な接客と仕事の流れを教わる。
「ま、気軽にやってよ。今日は忙しくないし、
あとで教育係も来てくれるからさ」
「はい、いつもありがとうございます」
「いい受け答えだけど、お客様にしてあげてね」
「あそこのお客様以外にはそうさせていただきます」
先ほどの無銭飲食の席は例外として、教育係を
待つことにした。




