召使を探せ!
クロエ伯母の顔面が蒼白になって倒れかけた。レオン伯父が咄嗟に支える。
「クリス、一体何事だ?」
レオン伯父がクロエ伯母を抱きかかえながら、片手で左耳のタイガーアイのピアスをいじった。瞬間、白い魔法陣が飛び出し、まるで毛布のようにクロエ伯母の身体にかかった。クロエ伯母はその魔法陣の毛布にくるまれるように寝息を立てはじめた。
「妹には悪いが、ちょっとこのまま眠らせとく。息子のことになると正気じゃいられない質だからね。それで、何があったか話してくれるかい、クリス」
レオン伯父にピクニックの話を聞かせた。もちろん書庫に侵入者がいたことやマリーの愛犬ロルの話は除いた。
「なるほど」
レオン伯父は聞き終えると、安心したように大きく頷いた。
「父親に急用ができたにせよ、予定通りピクニックに出かけたのさ。オリビエはちょっと強引なところがあるからね」
確かにオリビエが強引だってことに異論はない。
「おおかた運転しているのは召使の誰かってとこだろう」
「本当にそうでしょうか」
「でなきゃ、ルドルフの愛車を運転できるわけがない」
「確かにそうですが……」
「クリス、何か気になることでも?」
レオン伯父の探るような眼に慌てて目を反らす。
「気になるのは、母親のローズ伯母が一緒じゃないことです」
「ローズは朝に弱い。その上、自然の中でピクニックするより高級ブティックやホテルのラウンジの方が好きなタイプだ」
レオン伯父が肩をすくめた。ローズ伯母は、もともとピクニックなど出かける気はなかったと言いたいのだ。
「まあ夜のパーティーまでにはみんな戻ってくるだろ。我が一族に仕える召使が一緒なんだ。そこは抜かりないはずだ。さあクロエ、もう起きろ。お前の息子は腹が減れば帰ってくるぞ」
レオン伯父は快活に言うと、魔法陣を解いて、クロエ伯母の肩を叩いた。
レオン伯父とクロエ伯母が言い合いながら行ってしまうと、もう一度メイド達の部屋に引き返した。レオン伯父の言うように、「一日待てば帰ってくる」確かにそうかもしれない。
しかしマリーが書庫になんらかの方法で入り、もしもあの復活の魔術を目にしていたとしたら、悪い気を起こす前に、マリーを見つけ出す必要がある。それにはまず、マリー達の車を運転する“召使”が誰かを知るべきだ。
メイド達の部屋の扉を叩くと、さっきのメイドがすぐ飛んできた。とびっきりの笑顔で口を開く。
「よかったまた会えて」
メイドが顔を赤らめた。もじもじしながら、上目遣いで見つめてくる。
「何かお忘れ物でも?」
「君の名前」
メイドの顔がますます赤くなる。
「君に名前を聞くのを忘れたんだ」
「ジュリア。ジュリアって言います」
「ジュリアか、うん、かわいい名前だ。ジュリア、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「どんなことでしょうか」
ジュリアの息が少し荒くなる。
「なんでも聞いてください」
「マリー達と今日出かけた人を知っている? 恐らくルドルフ伯父から車を運転するよう頼まれて、ピクニックに連れて行っているはずなんだけど」
ジュリアは首を傾げ、次いで背後の部屋を振り返った。
「ねえ、みんな。マリーお嬢様たちと一緒にピクニックに出かけたのが誰なのか知っている?」
おしゃべりが止んだ。背後にいるメイドや召使たちは顔を合わせるばかりだ。ジュリアがすまなさそうにこちらに向き直った。
「クリス様、申し訳ございません。みんな知らないみたいです」
ルドルフ伯父は今朝(昨夜かもしれないけど)ここへ来て(あるいは電話して)運転を頼んだはずだ。それを誰も知らないなんて、そんなことあるだろうか。落ち着かない心を鎮めるように、わざとなんでもないように微笑む。
「じゃあ悪いんだけどジュリア、確認してほしいことがある。今日休みの人間も含めて全員がいるかどうか。それで、今日この城で働いているはずなのに城の中で見当たらない人と、休暇で連絡が取れない人がいたら、それが誰か教えてほしい」
「かしこまりました」
ジュリアがうれしそうに微笑んでいる。
マリー達を連れ出している“召使”を突き止めるのは、とりあえずこれでいいとして、あとは3人がピクニックに出かけた行き先だ。図書室に向かおうと、背を向けた途端、足元がすくわれるような感覚がした。そう言えば朝から何も食べていない。このままだと倒れてしまいそうだ。ジュリアの方を振り返る。
「それからジュリア。朝食を、軽くでいいから俺の部屋に運んでくれる?」
「もちろんです」
ジュリアがとびっきりの笑顔で頷いた。
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軽くと頼んだはずなのに、ジュリアが運んできた朝食は豪勢だった。
サラダにオムレツ、ソーセージとベーコンのソテー、クロワッサン、ヨーグルト、フレッシュオレンジジュースにグリーンスムージーにミルクティー、メロンとスイカにパウンドケーキが1切ずつ。見ているだけで食欲が失せていく。食べ始めたが、やはり食欲はない。クロワッサンとオムレツを半分ずつ、ミルクティーで流しこむ。それで限界だが、ずいぶんとシャンとしてきた。
バラの図書室に戻ると、手近にあった『地形と伝承』という大型本を取り出し、フランスの地図の載ったページを広げる。
今朝早く、仮に4時に出かけたとして……ポケットから懐中時計を取り出す。今、朝の10時30分。すでに6時間以上は経っているとみていい。プジョーのリフター、あの映像で見たのは最新型だから。その最高速度を考えあわせると、この城の近く、ロワール・アンジュー・トゥーレーヌ自然公園ではない。
ロワール・アンジュー・トゥーレーヌ自然公園であれば、とっくに着いているはずだ。
約40分前、クロエ伯母が見せてくれた映像でも車を走らせていたとなると……あのまま走り続ければ、ベルギーやルクセンブルク、スペインまで行けてしまう……。
ああ、こんな広範囲じゃ、行き先を絞ることなんて不可能だ。フランスの国境境まで行けてしまうんだから!
ふいにスペインとの国境境、ピレネー=アトランティック県に、アニ峰というのが目についた。
アニというのはマリーが好きな映画に似た名前だ。もっともこっちのアニ峰のアニの綴りにはnが一つ少ないけど。その文字を指でなぞって、アニ峰の下にバスク神話(666ページ)と書かれているのが目を引いた。 峰に神話ってどういうことだろう? 急いでページを開いた。
「アニ峰の頂には不死の果実を実らせる樹、エデンの園に生えいでし生命の樹より分けられた樹々が生えている。その果樹園、今は封印されている故、一般人には見えぬもの也。果樹が必要な者は必ず満月の日に……」
果樹園のアクセス方法が詳細に書かれている。心臓がドキドキする。
「注意すべきことは……」と書かれたページを震える手でめくり、血の気が引いた。数ページ分、切り取られた跡がある。いつ切り取られたのか分からないが、まさか、この不死の果実を得るために、アニ峰に向かったんじゃないだろうな。
その時、スマホが華やかな音を立ててなった。
電話はジュリアからだった。
「お探しの人はいないようです」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
ジュリア曰く、今日城で働いている人間も非番の人間も全員とコンタクトが取れたと言うのだ。つまり、マリー達3人を連れ出したのは家で働く者ではない、ということだ。つまり完全に外部の人間!
「ありがとう、助かったよ」
力なく言って電話を切ると、その場に座り込んだ。無駄と分かっても、マリーのスマホに電話をかける。
1コール、2コール、3コール。
「留守番電話サービスに接続します」
無機質な電子音声が流れはじめ、スマホを置いた。
クロエ伯母がグザビエに電話をかけた時のことを思いだした。これでは、クロエ伯母が半狂乱になるのも分かる。なにしろ誰が連れ出したのか分からない上に、行き先が怪しく連絡もつかないのだから。そう思って、はっとした。
あのクロエ伯母の青色の目の奥には心配よりも明らかな恐怖があった。もしかしたらクロエ伯母はこのことを、不死の果実を得るために、アニ峰に向かった知っていたんじゃないだろうか? だからあそこまで動揺したのだとしたら?
慌てて部屋を飛び出した。




