マリーの行方
『復活の魔術とその周辺』を開くと、そこには病人を蘇生させる方法、薬草を使った湿布の方法や、温かな砂浜で身体を埋める砂浴の方法など、症状別の回復法が細かに説明されており、魔術と言うより医薬、古代の民間療法が書かれている。
どれもさして目新しい話ではないが、もしも中世期において、この手の本で病を治癒できる人間がいたら、一発で魔女狩りの対象になったにちがいない。この書庫に入れられているぐらいだから、この本もおおかた魔女狩りで焚書されそうになったところをリー一族の誰かが上手い事、焼かれないよう保管し、ここに収めたのだろう。
にしても、復活の魔術なんて出てこない。完全にタイトル詐欺だ。
そう思って、本を閉じようとした時、最後の章の文字が“復活の魔術~薬草の煎じ方”から“復活の魔術~死者を蘇らせるには”という文字に変わった。
なっ、なんだ、この章!
というよりこの本自体、魔術がかけられている! この書庫の中でさえ魔術が作用するなんて信じられないが、章の中の文字が次々と入れ替わり、文章が変わっていく。
死んだものを生き返らせるには……
から始まる文章には、その儀式の方法が事細かに書かれている。トカゲやカエルの死骸、黒炭など儀式に必要なものをどこで入手すべきか、そして儀式の場所と時間も書かれている。儀式の場所がカトリック教会と指定されてあり、めまいを起こしそうになった。ここに書かれている儀式の内容は完全に黒魔術。それも悪魔崇拝によるものだ。なにしろ死者の国の王に純潔の血などをささげ、死人の魂を死者の国から蘇らせてもらうのだから。
恐ろしさに震えながら、本を元の位置に戻した。そのまま書棚の下にしゃがみこむ。座っていないと吐くか失神するかしそうだ。顎を膝の上に乗せ、深呼吸をする。身の毛もよだつ儀式の方法のせいで、頭がガンガンする。儀式に使用する魔法陣を見てしまったのがいけなかった。知りたくもないのに、鮮明に頭に刻みこまれてしまった。この時ばかりは記憶力の良さを呪いながら、気を失わないよう、大きく息を吸い、吐いた。
マダム・リーが見ていたらこんな自分を叱っただろう。
「リー一族のそれも私の孫が、動揺を見せてはいけない。どんな時でも胸を張りなさい。そして絶望せず、最後まで希望を捨ててはいけない」
確かに希望は最後まで捨てたくない。マリーがこんな恐ろしい、いやおぞましい方法を取らないという希望だけは!
書棚に手をかけ、ふらつく足で立ち上がった。
バラの図書室を出ると、そのまま西棟にあるメイド達のいる部屋に向かった。ほとんどが朝食の給仕とベッドメイクのために出払っていた。それでも十数人は求めに応じ動けるよう待機している。顔を覗かせると、我勝ちに若いメイドが出てきた。上目遣いで頭を下げる。
「おはようございます、クリス様。何かご入用なものがございますか」
「悪いんだけど、ルドルフ伯父の部屋まで案内してくれないかな」
「ルドルフ様ですか? ルドルフ様は朝早くにお出かけになられました」
心臓が凍りついた。
「一体どこに?」
「そこまでは分かりませんが、ご家族の皆さんもお出かけとのことで、昼食に携帯用ランチをご用意いたしました」
たしかに昨日ピクニックに行くとか何とか、そんな話をしていた。
「マリーも一緒に?」
「ええ、恐らく」
メイドが怪訝そうに頷いた。
まさか、あの昨夜の状態から朝になったら元気に出かけたって言うのか?
とても信じられない。でもこれじゃ父親のルドルフはおろか、マリーにも話を聞くことができない。あの書庫にはマリー一人では絶対に入れない。もしも、入ったのがマリーだとしたら、やはり3賢人の一人ルドルフ伯父の協力があった、と考えるのが自然だ。
ルドルフ伯父があの本を見せ、マリーにそのおぞましい方法を諦めさせてくれた。それで今日は傷心のマリーを連れ、予定通りピクニックにでかけた。
そうであって欲しい。しかし心の奥で「都合よく解決させようとするな」と安易な答えに飛びつきそうになる自分への戒めの声が響く。
「クリス、何を都合よく解決させようとしているの?」
背後を振り返ると、3賢人の一人クロエ伯母が立っている。息子のグザビエと似た柔和でふくよかな顔で微笑んでいる。
「おはようございますクロエ伯母さま」
姿勢を正し、片膝を折って礼をする。
「ご機嫌麗しく存じます」
「おはようクリス。クリスも元気そうで何よりだけど、都合よく解決させようとしているというのは、何の話?」
「いえ、朝食を部屋でとる方が、都合がよいって話です」
メイドがびっくりして俺を見た。ついデタラメを言ってしまった。しかしクロエ伯母がゆったりと微笑んだ。
「嘘をつくときは」
突然、クロエ伯母が俺の顎に太い指をからませ、上を向かせた。その指には拘束具の指輪がない。
「もっと上手にやりなさいって、叔母は、いえマダム・リーは教えていないの?」
瞬きせずに、クロエ伯母の薄青色の視線を受け止める。
クロエ伯母は俺の心を読んだんだ! 禁じられているのにもかかわらず心を読むなんて! 拘束具の指輪をつけていないなんて!
クロエ伯母はビックリしたように顎にかけていた指を放した。
「あら、わざとじゃないのよ。魔術があると、無意識に心の声が聞こえちゃうのよ。クリスには理解できないかもしれないけどね」
最後の一言には明らかにトゲがある。クロエ伯母はポケットから指輪を取り出すと、結婚指輪の上に拘束具の指輪をはめた。そうしてからメイドの方を向く。
「ねえ、グザビエを見なかった」
「グザビエ様もお出かけでございます。みんなでピクニックだとおっしゃっていました」
「なんですって」
クロエ伯母が凍りついた。まるで有罪を言い渡された人のように愕然としている。俺が見ていることに気づくと、クロエ伯母はぎこちなく微笑んだ。
「困った子ね。何も言わずに出かけるなんて」
クロエ伯母の取り乱し方は一通りではなかった。
メイド達のいる部屋を離れると、俺がいるにも関わらず、急いで瞑想室に駆け込んだ。
扉を閉める時間も惜しいとばかりに、慌てて首からかけた大きなアメジストのペンダントを何度か握る。
魔術の力がクロエ伯母の指先に集まっていくのを感じる。アメジストが紫色の光を放ち出した。クロエ伯母はアメジストのペンダントを指でつまみ上げると、瞑想室の壁にむかってペンダントを掲げた。すると、壁をスクリーンのようにして、紫色の光が当たり、映像がまるで映画のように映しだされた。
プジョーの紺色のリフター(※プジョー社製のミニバン)が木々の間の一本道を走っている。前後に車はない。突然、映像が車内に変わった。激しく揺れる車内の前方、ハンドルを握っている頭がシート越しに見える。
しかし助手席には、座っているはずのローズ伯母の姿がない。てっきり両親とピクニックに行ったと思っていたのに、ローズ伯母は一緒じゃないんだ。そう思った途端、カメラが回転するように、後ろの席を映しだした。2列目にマリーとオリビエそしてグザビエが座っている。というより激しい揺れの中、折り重なるように寝ている。クロエ伯母が声を上げた。
「グザビエ、どうして?」
慌ててポケットからスマホを取り出した。
「伯母様、電話はいけません」
止めるよりも早く、映像の中で着信音が鳴り出した。途端に、映像が歪み、光が消えていく。
「merde!(※メルド。くっそ!)」
クロエ伯母はリー一族の人間とは思えない聞くに堪えない悪態をついた。電化製品が魔術に干渉してしまったのは明らかだ。壁にはもう何も映っていない。魔術13階級の最高階級で、かつ3賢人の一人とは思えない失態だ。俺が見ていることも気にならないらしく、クロエ伯母はイライラと左の親指の爪を噛み始めた。
「クロエ、ここにいたのか」
焦ったような声に振り返ると、瞑想室の開け放たれたドアにレオン伯父が立っていた。膝を折って礼をしようとすると、制止するように手を上げた。
「仰々しい挨拶はいいよクリス。おはよう」
クロエ伯母が爪を噛むのを止めた。
「兄さん」
「兄さんじゃないだろ、クロエ、ミーティングがそろそろ始まるぞ」
「ああ、兄さん、今、それどころじゃないのよ。私、グザビエを探さなくちゃ」
レオン伯父がニヤリと笑った。
「なんだい、その年で息子とかくれんぼかい」
「バカ言わないで。グザビエが私に何も言わずに出かけちゃったの。だから今すぐ探さなきゃ。私、ミーティングなんて出てる場合じゃないんだから」
まくしたてるクロエ伯母にあっけにとられた。レオン伯父も呆れかえって、ため息をつく。
「おいおいクロエ、過保護もそこまでいけばもう病気だぞ。第一、過保護だって理由でお前の欠席は認められない。少しは3賢人の一人としての自覚を持てよ」
「ルドルフはどうなのよ、ルドルフだって欠席でしょ」
「それは当たり前だろ」
「どうしてルドルフの欠席が当たり前なのよ!」
クロエ伯母がキッとレオン伯父を睨んだ。
「何言ってんだ。ルドルフは今朝早く、日本に向けて発っただろ。銀行の取引におかしいところが見られるからって……どうして知らないんだ」
その言葉に、頭の中で警報が鳴った。
「待ってください」
思わず口をはさんだ。
「ルドルフ伯父が機上なら、今、マリーやオリビエ、それにグザビエと一緒にいるのは一体誰なんですか?」




