はすの花の秘密
梯子から、書庫の中に足をかけ、ゆっくりと中に入る。
ここに一人で来るのは初めてで少しだけ緊張する。それにしても、いつ来ても(もっともまだ5回ほどだけど)ここは明るく、空気はひんやりとしていて少し乾燥している。感心しながら見上げると、天井に星や月を描いた魔法陣が光りながら回転している。
絵画のように美しい魔法陣、“永遠の灯”だ。
とんでもなく古いが強力な魔法陣で、この書庫の温度、湿度、明るさを24時間365日保っているという。もちろん全ては本のためだ。保存に適した空気を保つよう祖先が作りあげた魔法陣だ。その魔法陣がもう何百年も機能しているのだから昔の人の魔術の腕に驚く。
大きな書棚が2列並ぶ間を書庫の奥に向かって歩いていく。バラの図書室に開架されている本と比べても劣らない数の蔵書で、特に宝とも呼べる貴重な本や高価な本そして禁忌にあたる本がここに収められている。まさに魔術書の宝庫だが、しかしここの書庫の宝は実はそれではない。
書庫の奥に近づくと、ガリガリという音が聞こえてきた。
ペンが走る強烈な音が大きくなる。ちょうど6列目で切れた書棚の向こう。そのだだっ広い空間に巨大な書き机が置かれている。机と言うよりは丸テーブルで、100人が一度に食事できそうな大きさだ。そのテーブルの上に置かれた白い紙の上を約数100本のペンが走っている。まるで大勢の人が一斉にペンを動かしているようだが、しかしペンを掴む人はいない。ひとりでにペンが、それこそ狂ったようにテーブルに敷かれた紙に書きつけている。
上から見ると、それは巨大な曼荼羅のように見えることから、そのものずばり“リー一族の曼荼羅”と呼ばれている。
この“リー一族の曼荼羅”こそが一族最大級の秘密であり宝だ。
ペン先の描くスピードに圧倒されながら、近くのペン先の一つが今ちょうど書き終わった極小文字に目を落とした。
“詩織”
これを何と読むのか分からないが、その名前の上に線が引かれている。
“日本”
これは読める。そして“詩織”という文字には上に線が出ていて“涼子”、“宏”、の間の横線とつながっている。その脇に“楠木家”と書かれている。つまりこれは日本にある“楠木家”に今“詩織”という子が生まれたことを意味している。
リー一族には3つの使命がある。
魔術師として正統派魔術の継承と保存をすること、
結界師として世界の結界を貼ること、護ること。
この2つの使命により、リー一族はヨーロッパ中で一目置かれ、王族達からの庇護を受けてきた。特に世界の平和と均衡を保つ結界を張る術を持つが故、中世時代の魔女狩りでも“お目こぼし”をしてもらえた。それ故、このひっそりと森の中に佇むようにして建つ城の中で生きながらえることができた。しかしリー一族の使命の最大にして最重要なのはその2つではない。
王族すら知らない使命――それが、この曼荼羅、“リー一族の曼荼羅”を描くことにある。
これは神と交わした契約に基づき描くもので、王族はもちろん、リー一族の人間でも魔術13階級以上の限られた人しか知らない。
近くのペン先が動き“詩織”の隣に「」を書き、中に“‥‥…”と文字を書いた。この「」書きの中の名前、それが前世での名前だ。
リー一族は、前世の因縁から、その人がどこの誰に生まれ変わるのか、どこの家系の流れに組み込まれるのかを、綿密な計算で、はじき出す方法を生み出した。
この計算ではじき出した答え、つまり生まれ変わりを当てはめることで、家系図は大きな曼荼羅になっていく。遠い昔はリー一族でも相当の魔術を使える12階級以上の人間総出で(といってもたった10人だったらしいが)計算し手書きしていたが、6代前のリー一族の当主ミッシェル・リー・カイゼルベルグによって自動計算の魔術が編み出され、今はペンとインクに魔術を施し、自動書記で行っている。これにより“リー一族の曼荼羅”は魔術階級13以上のみ存在が伝えられる秘密となった。
“詩織”という文字から視線を遠くに移す。
数100本のペンの描き出す“リー一族の曼荼羅”は曼荼羅というだけあって、上から見ると蓮の花のように見えるという。そのためシークル・ド・ローテュス(蓮の花の秘密)とも呼ばれているらしい。
「このシークル・ド・ローテュス(蓮の花の秘密)を護るのがリー一族の当主の役目だ」
マダム・リーに初めて“リー一族の曼荼羅”を見せられた時、そう言われたが、蓮の花になんて見えない。
魔力0の俺がリー一族の当主になることはないにしても、せっかくならいつか蓮の花の形だけは見てみたいとは思う。しかしどんなに目を細めてみても、背伸びして上から見ても、“リー一族の曼荼羅”は、せいぜい大木の根っこのようにしか見えない。
ため息がこぼれた。
いや今は、こんなことをしている場合じゃない。指揮棒を取り出すと、空間に魔法陣を描いてみる。当然の如く空間に魔法陣はできない。しかし代わりに、指先にビリッと電流が走った。びっくりして手元を見る。手首にまで電気が走ったようなピリピリした感覚がする。これは妨害魔術を受けた時のものに近い。
しばらく考えてはっとなった。
そうか、書庫内で魔術を使えないようになっているんだ! もっとも、俺の場合、魔術を使ったわけではない(使えない)のに、警告とばかりに電流を走らせるのは納得いかないけど。
でもここで魔術を使えないとなると、なるほど。書庫に誰が入って何をしたかなんて“追憶の魔術”を使えばすぐに分かるものを、マダム・リーが何故使わなかったのか疑問だった。でも使わなかったんじゃなくて、使えなかったんだ。ここには“永遠の灯”やら“リー一族の曼荼羅”やらの魔術が働いているんだ。
考えてみれば、下手に他の魔術を使われて、大切な魔法陣が壊れたり、暴発したりしないように、他の魔術を封じるのは当然だ。
“リー一族の曼荼羅”のあるテーブルの周りをぐるりと歩く。侵入者の目的がこの“リー一族の曼荼羅”なら、何らか手を加えたところがあるかもしれない。
そもそもここでは魔術が使えないのだから、手を加えるとしたらテーブル中央ではなくテーブルの端になるはずだ。ペン先の動くスピードを計算し、侵入者が入ったであろう時間と照らし合わせると、ちょうどテーブル端から50センチほどずれた箇所から3メートルまでの地点に絞られる。もし手を加えたのだとしたら、その部分だろう。
注意深く見つつ、一周した。しかし手を加えられたような不自然な跡は見つからない。まあ、このくらいの物理的な確認は既にマダム・リーが行っているだろう。リー一族の当主は、定期的に曼荼羅に異変がないか確認している。だから、今朝(もしくは深夜?)の時点で、おかしなところがあればすぐにマダム・リーが気づいたはずだ。もっとも“リー一族の曼荼羅”に手が付けられていたら、俺に任せず問答無用でマダム・リーが自ら解決に乗り出しているはずだ。
となると侵入者の目的はこの最大の宝“リー一族の曼荼羅”ではなかったことになる。恐らくは、幸い(決して幸いじゃないけど)書庫内の本だ。
ふいに昨夜のマリーの泣き顔が浮かんだ。その映像をかなぐり捨てるように頭を振り、書棚へと歩く。考えたくはないが、もしマリーが犯人ならここで何を探すか明らかだ。
“復活の魔術”
心の中で呪文のように唱えながら、書庫の表示を見て歩く。“肉体と魂”という書棚があった。書架に回り込んだ。視線を走らせると、『霊魂呪詛方』やら『幽体離脱と魂の入れ替わり』『魂束縛方』などおどろおどろしいタイトルが並んでいる。
本自体にも魔力があるらしく、タイトルを読んでいるだけで、胃がムカムカしてきた。一度目を反らしてから大きく息を吸いこみ、書棚の脇にしゃがみこむ。とりあえず、原始的なやり方だけど、本が引き出された形跡がないか横から見てみよう。もしかしたら少し本が飛び出しているかもしれない。
しかし本はズレなくきれいにきっちり収まっている。やっぱり、こんな原始的な方法で分かるわけないか。ゆっくりと立ち上がりかけた時、少しだけ、気のせいかと思うくらい少しだけ本が出ているのが見えた。もう一度、書架の真正面に回り込み、その本の前に立つ。『生贄方』の隣の本が、ほんの0.5ミリ前に出ている。
「『復活の魔術とその周辺』か」
出した声が虚しく響いた。そのものずばり、これこそマリーが探していた“復活の魔術”に違いない。




