後継者
「ルドルフは、あの夜、『リー財団の口座に日本から多額の金が入っては、海外の口座に振り込まれている』と姉のクロエから聞かされた。しかも振込先は全て、海外のいわゆるタックスヘイブンと呼ばれる国々の、しかも架空の会社名義の口座だった」
「つまりマネーロンダリングに家の口座が使われていたってことですか」
「簡単に言えばそう言うことだ。7千ユーロを超える取引にはルドルフの許可が必要なはずだが、1件もルドルフには上がってきていなかった。その上、ルドルフ自身がその取引操作を日本の支社から行っていることになっており、慌てて状況確認のために日本に飛んだのだ」
「それは全てクロエ伯母さまのでっち上げだったんですね」
マダム・リーが大きく頷いた。
「鋭い洞察力だ。ルドルフの魔術の腕は素晴らしい。ルドルフが側にいれば、溺愛する娘のマリーをあのような目に遭わせることもなかっただろう」
「しかしどうしてクロエ伯母さまはそんなことまでしたんでしょう? 復活の魔術をしようとしたマリーを止めなかっただけならまだしも、いくらなんでもやりすぎです」
マダム・リーの目に深い悲しみが浮かんだ。
「クロエはね。私ではなく、自分の母親であり、私の双子の姉のエレーヌがリー一族を継ぐべきだと思っていたんだよ。いや、今も進行形で思っているはずだ。それ故、マリーを生贄にして、自分の息子、グザビエを私の後継者にしようとした」
「どういうことですか? 今回の魔術は、犬を蘇らせるための魔術だったんじゃないんですか」
「それは見せかけだ。あの子達がしようとしていたのは“復活の魔術”ではない“生贄術”の方だ」
脳内にパラパラ漫画のように、数日前に書庫で“復活の魔術”を見つけた時の映像がよみがえった。
あの本が本棚から飛び出て見えたけど、実は“復活の魔術”が飛び出ていたんじゃなくて、その隣の“生贄方”の本が引っこんでいたから、“復活の魔術”の本が飛びだしているように見えただけなんだ! それにあの教会の床に描かれた魔法陣は“復活の魔術”の魔法陣と少し違っていた。
「その通りだ、クリス。とにかくクロエはマリーを犠牲にしようとした」
マリーを、実の姪を死に至らしても、自分の息子をマダム・リーの後継者にしようとするなんて!
口の中に何か苦いものが広がった。マダム・リーがやり切れないといったように目を細めた。
「マリーを犠牲にしようとしたのはクロエだけじゃない。嘆かわしくもマリーの実の兄であるオリビエもだ。あの子は愚かしくもクロエにそそのかされて、妹マリーを犠牲にして、自分が私の後継者の地位につこうとした。後で事故死に見せかけてクロエに消される算段になっているとも知らずに」
「まさかオリビエは」
「クロエの車に轢かれたが無事だ」
胸をなでおろしたが、すぐに暗い気持ちになった。
―俺のためにマリーは美しく、幼いまま死ぬんだから――。
よくもあんなことを言えたものだ、今度会ったら首の骨をへし折ってやる!
「お前が」
マダム・リーがゆったりと口を開いた。
「オリビエに逢うことは二度とない。もちろんクロエにも。2人はそれぞれ修道会に送られる」
「まさか!」
「本当だ。クロエは、文句は言えないはずだし、オリビエについても父親のルドルフは、異論はないと言っていた」
「マリーは、マリーはどうなるんですか」
「マリーは完全なる犠牲者だということが分かった。ロルを生き返らせてやると言われ、兄オリビエに教会へ連れて行かれたそうだ。それからもちろん、秘密の書庫に入ったのはマリーではなくクロエだった」
恐ろしさに茫然とした。そんな身の毛もよだつようなことを、自分の親族が本気で行おうとしていたのだ。なんだか頭がくらくらする。
「クリス、少し寝るといい。大切なことは明日話すから」
「今言ってください、俺、大丈夫ですから」
「いや、大切なことは明日だ。明日10時に、龍の間に来なさい」
マダム・リーの声を聞きながら、急激な眠気に襲われるのを感じた。
ああ、これは睡眠の魔術だ。いつの間に、マダム・リーにかけられたんだろう。
「おばあさま、俺大丈夫だから、睡眠の魔術をとい……」
自分の声が妙にエコーがかって聞こえる。部屋を出ていくマダム・リーの背中を見つめながら、滑るように眠りの中に落ちていった。
☆☆☆☆☆
カイゼルベルグ城の1階に、龍の間と呼ばれる大広間がある。
昔、舞踏会で使われていた、だだっ広いホールだ。その龍の間の扉は龍の彫り物が施されているのだが、俺は一瞬、通り過ぎそうになった。なんと龍の間の扉は開け放たれており、中はリー一族の人間でごった返している。
皆、騒々しくおしゃべりをしている。大人はもちろん子どもや赤ちゃんに至るまでいる。
それだけじゃない。中には夏の間に集まってこない遠戚(婚姻によって一族になった者など)までいて、俺の知らない顔が何十人もいる。
自分同様、こんなにも多くの人がマダム・リーに呼ばれていたことに唖然としていたら、遠くから手を振る人が見えた。
ロマンスグレーの髪をしっかりと撫でつけた、エドモンド神父だ。穏やかな顔に笑顔を広げ、こちらに近づいてきた。
「すっかり元気になって何よりです、クリストファー」
マリーが入院中の今、やさしく声をかけてくれるのは、このエドモンド神父だけだ。
その時、真っ赤なドレスを身につけたマダム・リーが龍の間に入ってきた。すると全員が膝を折った。
「マダム・リーにご挨拶申し上げます」
龍の間に地響きのように声が響く。マダム・リーは会釈をし、微笑みながら全員を見回す。
「突然にも関わらず、お越しくださいまして、ありがとうございます。本日、皆さんにお集まりいただいたのは、今日この場で発表することが3つあるからです。まずは、3賢人の一人クロエをリー一族から除籍したことに伴い、ジョエル・リー・カイゼルベルグを3賢人の一人として指名します。ジョエル、前に来なさい」
ひょろりと背の高いジョエルは50代くらいの男で、リー一族には珍しい赤色の強い金髪(ほとんど赤毛)をしている。マダム・リーの隣に立つと、会場中が拍手で包まれた。
「僭越ながら、リー一族の3賢人の一人としてマダム・リーと一族のために尽くしてまいります」
マダム・リーがジョエルに右手を差し伸べると、ジョエルが微笑みながらその手を握り、2人はがっちりと握手を交わした。その途端、割れんばかりの拍手が巻き起こった。前の方にいるレオン伯父と、ルドルフ伯父とも握手を交わしている。マダム・リーが再び口を開いた。
「2つ目は、マリー・リー・カイゼルベルグを一族の守護対象とします。よってマリー・リー・カイゼルベルグの住まいをここカイゼルベルグ城に移します」
えっ!
驚きの声を上げそうになった口を押える。
まさかマリーが夏だけじゃなくて、このカイゼルベルグ城に移ってくれるなんて! 一緒に住めるなんて!
喜びが全身を突き上げた。
「一族の者は皆、マリーを黒羽伊吹から、その他禍々しい全ての物から護るよう全力を尽くしてください」
「御意」
全員が頭を下げた。マリーの父親、ルドルフ伯父が涙ぐみながら、
「マダム・リーの寛大な処置に感謝申し上げます」
と、膝を折った。途端に会場がマダム・リーを誉めそやす声と拍手に包まれた。マダム・リーは頷くと、会場を見回しながら口を開いた。
「そしてもう一つ。私、リー一族の当主、クラリス・リー・カイゼルベルグは本日、私の後継者を指名します。後継者の名は、クリストファー・リー・カイゼルベルグ」
確固たる声が響いた。その瞬間、場内が水を打ったように静まり返った。あれほどうるさかった会場が、みんなが息をする音さえ聞こえない。
「クリス、クリストファー、前へ出てきなさい」
自分が呼ばれていると分かった途端、頭の中で雷鳴と共に雷が落ちた。
俺がマダム・リーの後継者だって!
マリーと城での生活が始まるという喜びから、一転、今度は崖から突き落とされた。茫然とする俺の背中を、エドモンド神父がにっこり笑って押した。
「さあクリストファー、行きなさい」
ぎこちなく歩き出す俺に、みんなの視線が注がれる。マダム・リーの側まで行くと、その手がふわりと俺の肩にかかった。
「クリス、挨拶をしなさい」
会場を見回した。その途端、みんなの心の声が聞こえてきた。
“直接魔術を教えるだけじゃ飽き足らず、後継者にするなんて信じられない!”
“10歳のガキの癖に、何が後継者だ。孫だからって理由だけだろ! マダム・リーのえこひいきだ!”
“魔術が使えるようになったって噂だけど、それでもたかだが数年しか習っていないようなガキだろ! 魔術を20年も学んでいる俺の方がよほど相応しい!”
やっかみや嫉みの言葉、憎しみを帯びた眼差しが突き刺さる。頭が痛い。心も身体も痛い。
ああ魔術が使えるようになったと思ったら、今度はこんな風に苦しめられるなんて!!
「さあ、クリス、早く挨拶を」
「おばあさま。俺は……」
みんなから一生蔑まれるなんて、敵視されるなんて……心ない言葉の数々が体の中をこだまし、刃物のように身体の内側を切り刻む。
こんな……こんな人生は嫌だ!
握った拳に力が入る。
「俺は後継者を辞退します」




