誓い
龍の間がどよめいた。それでも構わず声を張り上げる。
「俺より相応しい人間はいっぱいいます。俺は後継者なんてならなくていいです。むしろ……」
マダム・リーが大きく息を吸いこんだので、一瞬身構えた。
「相応しい人間がいるとは、ずいぶんおこがましい言い方だな、クリストファー。私がお前を後継者に指名するのは、なにもお前が私の息子アランの子どもだから、という理由だけではないのだよ」
小声で言った後、マダム・リーがみんなに向けて言った。
「後継者を決めるのは、クリストファーでも、ここにいる者達でもない。さあ、もしこの中に、我こそはクリストファーより私の後継者に相応しいと思う人間がいるのであれば名乗り出てください。もしも、魔術が使えない状態にさせられていながら、黒羽伊吹に立ち向かったクリストファーよりも相応しい人間がいるとすれば」
マダム・リーの言葉に誰もが口をつぐんだ。みんなの心の声も押し黙ったらしく、聞こえなくなった。マダム・リーがヒールを履いた靴で、床を打ち鳴らした。
「リー一族の者、全員に告ぐ! クリストファー・リー・カイゼルベルグを次期当主として敬い、命がけで護ること」
全員がさっとひざまずく。
「御意」
☆☆☆☆☆
この後、どんな話があったのか記憶にない。気づくと俺は誰もいなくなった龍の間で一人佇んでいた。大きくとられた窓からは、のどかな庭の緑が見える。刈り込まれた庭木の間から、噴水の水がきらめきながら吹き上げている。
正直、この広いカイゼルベルグ城に、これからマリーと一緒に住めるのは嬉しい。でもマダム・リーの後継者という話は余計だ。そもそも荷が重すぎる。その時、マダム・リーが龍の間に入ってきた。
「クリス、お前はまだこんなところにいたのか」
「おばあさま」
「これから、後継者への祝いの席が設けられる。今日のパーティーの主役はお前だ。それ故、今日の欠席は認めない」
マダム・リーの表情はいつもと変わらないが、その眼には何の感情も浮かんでいないようにも、あらゆる感情が浮かんでいるようにも見え、とりとめがない。
「おばあさま、どうして俺を後継者にするなんて宣言したんですか」
「クロエが起こしたような事件を起こさせないようにするためだ」
「それだけのために?」
「それから黒羽伊吹からお前を護らなくてはいけない。それこそ一族全員が命がけで」
「そんな……それだけの理由で後継者にするなんて! 俺は普通の……」
「普通の子どもではない」
「それはおばあさまの欲目……」
「欲目などではない」
マダム・リーがあまりにきっぱりと言うので驚いた。
「説明するより、見る方が早い」
マダム・リーにバラの図書室へと連れて行かれた。秘密の書庫の結界を一瞬で解き、開錠の魔法陣を作り出すと、マダム・リーはずんずんと中へと入って行く。
そしてあの“リー一族の曼荼羅”の前で立ち止まると、さっと右手を上げた。
「シークル・ド・ローテュスよ、その神聖なる姿を我が前に現せ。我、リー一族の当主クラリス・リー・カイゼルベルグなり」
上空で回転していた“永遠の灯”から白い光の花、蓮の花が逆さ向きで出てきた。そして曼荼羅の上、何もないところで花びらを散らした。その途端、曼荼羅図の上に大きなチェス盤が現れた。
「いったい、これは……」
チェス盤の上には小さな蓮の花がまるでチェスの駒のように乗っている。そのほとんどが白い色(クリーム色から灰色がかった白まであって、一通りではないけど)をしており、微振動しているようだ。
よく見ると、蓮の花の下には細い糸が伸び、曼荼羅図の名前とつながっている!
白い蓮の中に、ひとつだけ、ひときわ目立つ黄金に輝く蓮の花が動いた。一点の曇りもない、まばゆい白色に輝く蓮の花に近づいていく。その黄金の蓮の花から出ている糸の先、曼荼羅図上の名前をたどると、“海人”という文字が見え、純白に輝く蓮の花の下には“凜”という文字が見える。
「なんて美しいんだ」
感嘆しきって言った。
「まさに」
マダム・リーが目を輝かせて頷く。
「これが書庫の秘密さ。そして、リー一族の当主と後継者しか見ることのできない未来の蓮の花だ」
後継者という言葉が重くのしかかる。今目にしているこの美しい曼荼羅図と未来の蓮の花は、自分の実力で勝ち取って見られている景色じゃない。直系の孫ってだけで、見られているんだ。誰もが羨む後継者の地位につけるのだって、そうだ。こんなんじゃ、やっかまれるのも無理はない。
「何を言っている」
マダム・リーが俺の心を読んで、片眉を上げた。
「お前には見えないのか、この蓮の花の上にある巻物が」
マダム・リーの指差す先、蓮の花の乗るチェス盤の、さらにその上を見つめた。息をのんだ。そこにはスクリーンのようなものが浮かんでいる。
「あのスクリーンは何ですか?」
「スクリーン?」
マダム・リーがいぶかしがったが、すぐにああ、と頷いた。
「それぞれにとって分かりやすい形で見えるらしいな。では、お前に見えるそのスクリーンになんて書いてある? リー一族の章、項目を探せ」
言われた通り、スクリーンに目を走らせる。ABCD……Leeの項目を見つけ出した。そこには自分がマダム・リーの後継者として産まれ、10歳で正式に指名され、16歳でその地位を継ぐと書かれてあった。
それはすなわち、俺が16歳になる頃、マダム・リーが亡くなることを意味している。
「そんな、おばあさま、こんなの早すぎます。俺を一人にしないでください」
「だからって絶望してはいけない。姿勢を正して」
マダム・リーの言葉に、ぐっと涙を飲み込む。
「そうです。どんな時でも胸を張りなさい」
しゃくりあげないようにして頷く。マダム・リーがかすかに微笑んだ。
「お前が産まれた時に、ここにお前の名が後継者として刻まれた。だから私はこの蓮の花に従い、お前を後継者に指名したのだ。実際に魔術を教え始めて分かったが、お前の魔術の腕や才能は私以上だ」
「そんな、魔力0のポンコツが?」
「自分をそんな風に言ってはいけないよクリス。口が裂けても言ってはいけない。お前の魔力は0どころじゃない。一族随一の魔力がある」
「ひいきは止めてください」
「ひいきなんかじゃない。お前はマリーを助けようと自分の中の魔力を爆発させただろ。そのせいでお前の魔力を封じていた拘束具の指輪が外れ、魔力が発現し、魔術が使えるようになった」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「魔力を封じていたって。あの拘束具は心を読みあわないための物なんじゃないんですか」
「他の者にとってはそうだ。でもお前の指輪だけは違う。お前の魔力を封じるように特別に作ってあった」
いきなり頭をぶん殴られた気がした。
リー一族に産まれた者であれば、誰だって使える魔法が使えない。それがどれほど苦しかったか。どれほどみじめだったか。目に涙があふれ、蓮の花もチェス盤もスクリーンもすべてが歪んだ。
「俺の魔力を封じていたなんて、そんなのあんまりです」
涙がこぼれた。しゃくりあげないよう歯を食いしばったけど、涙は次々と零れ落ちていく。マダム・リーが優しい声で言った。
「すまなかった。でも全てはお前を護るためだったんだよ」
思わず耳を疑った。
両親が亡くなって、引き取ってくれたおばあさまへ、魔術を自ら教えてくれるおばあさまに、恩を返すことができないダメすぎる自分を悩んできたのに?
みんなの言うように、偉大なおばあさまの才能も血も引いていないんじゃないかって苦しんできたのに?
同年代の他の子と比べるたびに、たまらない失望感に苛まれ、自分の存在が無意味で、生きている価値がないんじゃないかって、そう思ったことさえあるのに……。
マダム・リーの両腕がふわりと伸びて、胸に抱きしめられた。
「悪かったな、クリス。お前をそこまで苦しめるつもりはなかった。しかし黒羽伊吹からお前を護るにはそれしかなかったんだよ」
「黒羽伊吹」
あの怪物の名前を口にした途端、急に唇がピリッとした。マダム・リーが悲し気に目を細める。
「そうだ。あの教会でマリーを奪おうとした男だ。悪霊使いに身を落とした悲しい奴だ」
「マダム・リーはあいつを知っているんですか? どうしてあいつはマリーを奪おうとするんです?」
「1つ目の質問については、そうだ。私は奴を知っている。2つ目の質問について、その理由は分からない。しかし我が一族に恨みを抱いているのは確かだ」
「どうして。俺達を恨んでるんです?」
マダム・リーの顔に一瞬だけ動揺が走った。しかしそれも気のせいかと思うほど一瞬だった。
「初めて会ったのはもう10年以上も前のことだ。伝説の少女を犯そうとする者から護るため、私たち一族は客船を買い取り、日本へと向かった。そして禁断の魔術により、伝説の少女の運命に介入し、空海の生まれ変わりを誕生させることに成功した。しかし黒羽は、それを逆恨みし、我が一族に害をなそうと、今回もクロエを手なずけていた」
「そんな! まさか」
「見なさい。この蓮の花の中で、ひと際黄金に輝く蓮と銀色に輝く蓮が二つあるだろ」
「はい。黄金の蓮の花はさっき見つけましたが、銀色の蓮の花なんて……」
言いかけたがすぐに見つかった。銀というよりプラチナ色で、燦然と輝いている。そのプラチナ色の蓮の花の下に垂れた糸を辿って、ドキッとした。曼荼羅図上の名前につながっている。
“クリストファー・リー・カイゼルベルグ”
「見つけたようだね。お前の蓮の花を見た時、気がついた。この色はお前が、弘法大師空海の末裔である我が一族の中でも、その血が濃く出る人間であることを示している。そういった人間を畏敬の念をこめて我々はこう呼ぶのだ“系譜”と。
そして“クリストファー・リー・カイゼルベルグ”という名前の中でリーを除いた頭文字を組めば“クーカイ”と読めることにも気づいた。お前の名は、エドモンド神父が名付けたものだ。エドモンド神父はリー一族が弘法大師空海に連なる家系とは知らない。知らずにそういう名前がついた。本当に不思議なことだがこれも因縁だ」
マダム・リーの口から“不思議なこと”という言葉を聞くのは意外だ。常々、「全ての不思議な事には説明がつく。なぜならそのほとんどにリー一族が関わっているから」そう言って憚らないからだ。
俺を表すプラチナ色の蓮の花と相対をなす黄金色の蓮の花も不思議なことの1つだろうか?
「おばあさま、それではあの黄金の蓮の花は何者ですか」
「もう一人の“クーカイ”だ。下の家系図を読めば分かるが、この海人というのは空海の生まれ変わりだ」
なるほど死後1700年も経っていれば、空海が生まれかわっていてもおかしくない。
「日本人ですね」
「そうだ。いずれお前は海人、もう一人の“クーカイ”と相まみえることになるだろう。それまでに日本語を学び、魔術の腕を鍛えておくこと」
その言葉にびっくりしてしまった。魔術の腕はともかく。どうして日本語まで? なぜそんなことまでする必要があるんだろう。マダム・リーの顔が引き締まった。
「黒羽伊吹を倒すためだ」
自然と体が震えあがった。細胞レベルでその恐ろしさを予感している感覚だった。
「あの男は、お前や海人、つまり“クーカイ”が産まれてこないよう画策し、失敗するとお前たちが、きちんと成長しないよう、親を殺した」
「まさか」
「それ故、私とエドモンド神父、そして日本にいる連城和尚は、お前と海人の存在を分からなくする魔術を使った。しかし今回の件で、お前の魔力が爆発し、黒羽にお前の存在を知られてしまった。あいつは、我が一族への恨みに加えて、お前をこの世から抹殺しようとするだろう」
信じられない話だった。どこか違う国の、それもおとぎ話でも聞いているような気がした。
「クリス。私はお前を全力で鍛えていく。それで自分の身は自分で護れるようにしてやる」
「はい」
返事はしたものの、なんだか実感がない。そもそもいつ死んだって構わないと思ってきたのに。第一、俺の命なんてそこまで惜しい物じゃないし……。
「お前はそこまで自分を軽んじているのか!」
マダム・リーが怒鳴った。
「お前はリー一族の当主の器であるのだぞ。お前には一族全員の命運がかかっているのだ。リー一族全員がお前を命がけで護る故、お前が自分の身を護ることは、リー一族全員の命を護ることにつながるのだ」
「でもマダム・リー、俺は別にみんなに命がけで護ってほしいなんて思わない。それに俺自身、あんまり生に執着していないっていうか……」
「ではマリーの命はどうなる。私がいなくなったら誰があの子を護ってやるのだ? 父親のルドルフとて不死身ではないのだぞ」
瞬間、あの焼けただれた顔の黒羽伊吹が
「お前が16歳になったら迎えにこよう」
と言って、マリーに唇を寄せた絵が浮かんだ。恐怖に引きつり涙を流すマリーを思い出すと、心臓がよじれそうになる。本当に、マリーに死ぬほどの恐怖を味あわせた黒羽が許せない。16歳になったら迎えにくる? あんな化け物にマリーを奪われてたまるもんか。
「おばあさま、いえマダム・リー。俺を鍛えてください。必ず黒羽伊吹からマリーを、リー一族全員を護ってみせます」
「その意気だよ、クリス。そして最後まで希望を捨てないこと。これから何があろうとも」
マダム・リーの言葉に俺は固く頷いた。
(了)




