復活の魔術
振り返ると、教会の柱から滑り出るようにオリビエが出てきた。
「オリビエ、救急車を呼んでください」
「あいにく、ここは電話が通じないんだよ。いや電話だけじゃない。電子機器はおろか魔術も何もかも使えない」
「何を言って…ま、まさかオリビエが、この教会に結界を貼ったのか」
「今ごろ気がつくとは、さすがはマダム・リーの間抜けな後継者だ」
「マダム・リーの後継者なんて、そんなのまだ誰か決まっていないだろ」
「いや、リー一族の者であれば、直系の孫であるお前がマダム・リーの後を継ぐってみんな分かっている。魔術が1つも使えない。それこそ魔術でドア1つ開けられない、魔力0のできそこないのお前をマダム・リーは溺愛している。無駄にもかかわらず魔術を直々に教えているのだってそうだ。全ては自分の後継者にするため。そう誰もが思っている。思ってないのはお前だけだ」
そう言ってからオリビエがふっと笑った。
「もっともそれも、あと数時間の話だ。いいかクリス、お前はマリーの願いを断れず、今宵、“復活の魔術”を使った。それでマダム・リーの不興を買い、後継者には、なれなくなる」
くだらない!
俺は返事する暇も惜しんで、Tシャツの裾を切り、マリーの腕に縛りつける。
「おいクリス、俺の妹に触んなよ」
オリビエの声がすぐ近くで聞こえた。次の瞬間、横っ飛びに吹っ飛ばされた。
「俺のためにマリーは美しく、幼いまま死ぬんだから」
オリビエが漆黒の魔法陣の中で眠るマリーの頬を両手で包み込んだ。
「ふざけるな」
立ち上がり指揮棒を振り上げようとした途端、今度は目には見えない魔術の手で、強烈な右ストレートを腹にくらった。
「寝ていろ、罪悪人」
その言葉を最後に俺は気を失い、何も分からなくなった。
☆☆☆☆☆
身体を鍛えておくこと。
そう常々マダム・リーに言われていたおかげかもしれない。魔術を習う合間合間に走り込みや筋トレをさせられていたからなのか、とにかくオリビエが教会を出ていく扉の音で目を覚ました。
ご丁寧にも魔法陣の中、マリーの横に、犬の代わりに寝かされていた。殴られた腹は痛むが、頭だけはクリアだ。愛犬のロルは“復活の魔術”が効いたらしく、説教台の下からマリーの腕をチロチロと心配そうに舐めている。
あの狂ったシスコン野郎め!
毒づきながら、身を起こす。再びTシャツを切り、マリーの腕にぎゅっと縛りつけた。
「マリー」
耳元でささやく。
反応がない。マリーの顔色は紙のように白く、瞼は閉じたままだ。
せめて増血の魔法陣を描こうと咄嗟に右手の指揮棒を振るう。
途端、全身にしびれが走った。びっくりして周りを見て説教台の下に描かれた黒い魔法陣が目に入る。
まさかこのせい? それにしてもこの魔法陣、“復活の魔術”の本にあった魔法陣と少し違う。髑髏やら骨やらとより複雑に描かれている、線の数も違う……。
頭を振った。今はこの魔法陣を解読している場合じゃない。
「マリー、しっかりしてくれ。死ぬなよ」
抱き上げようとした手をマリーが掴んだ。びっくりして見やった瞬間、そのまま合気道の技のごとく、投げ飛ばされた。1回転して、教会の固い地面に叩きつけられ、背中に痛みが走った。
「痛っ」
何が起きたのか分からずに起き上がって、目を見開いた。マリーが苦し気に両手で自分の服を引きちぎっている。びっくりして駆け寄った。
「マリー、何やってんだ」
その手を押さえつけようとして、また強い力で跳ね返された。
この力、マリーの力じゃない!
マリーは一糸まとまわぬ姿になると、挑むような眼で俺を見つめた。ロウソクの光によって祭壇のあらゆる物がマリーの白い身体に影を落とし、怪しいだんだら模様を作り出している。
「マリー、悩殺しないでくれよ」
しかし、いつかみたいに恥じらうことはない。マリーは四つん這いになると、獣のように咆哮した。
「そんな恰好されちゃ、俺も抑えられなくなる」
捕まえようと右手を上げた。その手が後ろから押さえ込まれる。びっくりして振り返って、もっとびっくりした。
エドモンド神父が立っている。穏やかで、ハンサムな神父で教区のマダムたちに人気の的の、あのエドモンド神父だ。いつも撫でつけているロマンスグレーの髪の毛が乱れ、一筋目にかかっている。
「クリストファー、ここで何をしているのです?」
エドモンド神父に間違いない。
みんなクリスって呼称で呼ぶのに、エドモンド神父だけは頑なに本名のクリストファーって呼ぶ。ここで本物のエドモンド神父に会えるなんて、泣きそうになるくらい嬉しい。神様は信じてなくても、この誠実なエドモンド神父だけは信じられる。
その時、マリーが唸り声を上げた。
「クリストファー、これは答えなくてもいい質問ではありません。あなたがここで黒魔術を使っていたというのは本当ですか? クリストファー、あなたには答える義務がある」
「俺じゃありません。“復活の魔術”をかけてたのは……」
とっさに口をつぐんだ。
「“復活の魔術”ですって?」
エドモンド神父の眉が吊り上がる。
「それは一体どんな魔術なんです?」
「犬を蘇らせる魔術です」
細かいところをすっ飛ばして言ったにもかかわらず、エドモンド神父の目が恐怖で見開かれた。
「なんと恐ろしい。なぜここで、そんなバカな真似をしようとしたのですか? それは悪魔の技ですよ。リー一族の者ともあろう者が、そんな悪魔のような技を行うなど、たとえ子どもでも許されません」
「ええ、分かっています」
思わず怒鳴ってしまった。
「でも何度も言いますけど、使ったのは俺じゃありません」
マリーが吠えた。まるで獣のような叫び声に気がどうにかなりそうだ。
「とにかく魔術が成功して、犬は蘇って、あそこで健やかに寝てます。でもマリーがおかしくなっちゃったみたいで。とにかく四つん這いになって唸るマリーをどうにかしないと」
「おお、そうでしたね、クリス。恐らくあの様子は悪魔に憑りつかれているに違いありません。恐らくは黒魔術によって呼び覚まされた悪魔でしょう。今から緊急で悪魔祓いを行います。そのための聖水を取ってきますので、それまであの子がここから逃げないように見張っていてください」
うなずくよりも早く、エドモンド神父は教会の扉から走り出ていった。扉が閉まったと同時に、マリーが唸りながら、俺にとびかかってきた。強い力で押し倒され、床に頭がぶつかる。
「マリー、本当俺まで頭がおかしくなりそうだよ」
マリーは白目をむき、歯を剥いた。首筋に噛みつこうと、口が大きく開かれる。咄嗟に片足を跳ね上げ、マリーを投げ飛ばした。しなやかな受け身を取るマリーの上にまたがり、Tシャツを脱いだ。
「ごめんよ、マリー」
脱いだTシャツを二つに破り、素早くマリーの手と足を縛り上げる。そうしてマリーの上から離れた。両手、両足の自由を失ったものの、マリーはその状態でさえ、首を左右に振り、歯を剥きだして唸りながら、ビチビチと動いている。マリーの金色の髪の毛をなでた。マリーがその手に噛みつこうと頭を振っている。
「本当にごめん。もっと真剣に止めるべきだった」
「本当にその通りですよ。“復活の魔術”自体、封印させておくべきものです」
エドモンド神父が瓶を両手に抱えて戻ってくるところだった。マリーを一瞥すると、
「女の子を縛るとは、手荒な行い、蛮行ですよ」
マリーがエドモンド神父に噛みつこうと歯を剥いた。するとエドモンド神父が空中に節くれた指を振るった。空中に綺麗な魔法陣が浮かび上がる。この模様は、戒めの魔法陣じゃないか? 驚いて見ていると、その光でできた魔法陣はマリーの口に猿轡となってかまされた。
女の子を縛るのは蛮行じゃなかったのか? びっくりする俺の前でエドモンド神父が少し赤くなった。
「舌を噛むといけないので光で拘束しました。それよりクリス、これからマリーに憑いている悪魔を呼び出し、追い払います。あなたは床に結界の魔法陣を描いてください」
白いチョークを渡された。
エドモンド神父はリー一族と親しい間にある家系ド・ガンズビュール家の人間だ。マダム・リーの夫であったオーギュスタンはエドモンド神父の実兄にあたる。そのためエドモンド神父はカトリック教会の神父でありながら、魔術の知識もあり、エクソシストとして悪魔祓いもできる。
「でも俺、魔術は使えないんですが」
「でも知っているでしょ、結界の魔法陣」
俺は白いチョークで結界の魔法陣を描き始めた。これが他のリー一族の人間なら、一線ごとに、魔力が溢れてくるだろう。でも俺の描く線からは何も出てこない。これじゃただの落書きだ。本当に情けなくて涙が出る。
エドモンド神父を見やると、ちょうどマリーを描き上がった結界の魔法陣の中央に寝かせるところだった。聖水を撒き、エドモンド神父が祈りの言葉を口にし始める。すると驚いた事に魔法陣が光った。
エドモンド神父の力? それとも聖水の力? とにかく光がどんどん強くなっていく。光に包まれ、マリーが苦し気に背中から跳ね上がり始めた。まるで陸に打ち上げられた魚のように跳ねている。
エドモンド神父が気合をかけた。その瞬間、マリーの身体の前に、ぼんやりとした男の霊体が現れた。




