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怪異清掃、請負います  作者: 夾竹桃


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20/23

20.第二十話

翌朝。世界の終わりは、意外にも晴天だった。雲ひとつない青空。小鳥のさえずり。そして、テレビのニュースキャスターの緊迫した声。


『――繰り返します。昨夜未明、都内の地下鉄トンネルにて大規模な崩落事故が発生しました。政府はこれを老朽化したガス管の破裂によるものと発表しましたが、被害の規模は……』


事務所のテレビを見ながら、俺――佐藤健太は、乾いたトーストを齧っていた。味がしない。ジャリジャリと、まるで砂を噛んでいるようだ。


「ガス管か……ま、そう言うしかねぇよな」


隣でブラックコーヒーを啜っている桃が、他人事のように呟く。彼女の目の下には濃いクマができている。昨夜の「会長ブチ切れ事件」の余波で、俺たちは一睡もできなかったからだ。


「なぁ、桃……これからどうなると思う?」


「知らね。けど、一つだけ確かなことはある」


桃は、会長室の重厚なマホガニーの扉を顎でしゃくった。


「あの扉が開いた時が、この国の『掃除』が始まる合図だ」


ゴクリ、と俺は喉を鳴らす。昨夜、会長は「不愉快だわ」とだけ言い残し、会長室に引きこもった。

それから十二時間。中からは物音ひとつ聞こえない。怒鳴り声も、物を壊す音もしない。それが逆に、嵐の前の静けさを強調していた。

不意に、ドアノブが回る音がした。俺と桃、そして黙々とハンドグリップを握り潰していた社長が、一斉に動きを止める。

ゆっくりと扉が開く。そこから現れたのは――。


「……おはよう、諸君」


会長だった。だが、その姿はいつものゴシックドレスではない。

純白のスーツ。それも、軍服を思わせるような、金糸の刺繍が施された儀礼用のようなデザインだ。

足元は磨き上げられた白いロングブーツ。手には日傘ではなく、純白のシルク手袋と、銀色に輝く指揮棒(タクト)のようなものを持っている。

返り血の一滴、塵の一つすら許さない、潔癖なまでの「白」。その神々しさと威圧感に、俺は呼吸を忘れた。


「か、会長? その格好は……?」


「正装よ」


彼女はにっこりと微笑んだ。その笑顔は、あまりにも美しく、そして背筋が凍るほどに清々しかった。


掃除屋(クリーナー)としての、ね」


彼女は指揮棒で虚空をピシッと叩いた。


「準備はいいかしら? 今日は忙しくなるわよ……局(ゴミ捨て場)の大掃除なんだから」




午前十時。日本の行政機関が集中する官庁街、霞が関。その一角に、地図には載っていない重厚な灰色のビルがあった。

表向きは「内閣府統計資料倉庫」とされているが、その実態は『内閣特務呪術管理局』――通称「局」の本部である。

日本の霊的国防を担う、闇の組織の中枢だ。

その最上階、局長室。局長である老齢の男は、窓から眼下の街並みを見下ろしながら、上機嫌でワイングラスを傾けていた。


「……ふふっ。静かだ」


彼は満足げに呟いた。昨夜、彼らが送りつけた特級呪物「市松人形」。通称『箱』。あれには、歴代の強力な呪術師たちの怨念と、数千人の生贄から抽出した「負の感情」が凝縮されている。そして長い年月をかけて呪術を「濃縮」している。

『箱』と呼んでいるが実際は封印と増幅器を兼ねているだけで、真の本体は市松人形だ。アレを見る事で相手は意識を市松人形に奪われる。やがて全てが市松人形に吸い取られてしまう。そうなれば終わりだ。二度と元の世界には帰ってこられない。

いかに御堂アリスといえど、いや、御堂アリスだからこそ、あんな危険な代物は我先にと不用意に開封する。だがそれをすれば精神を汚染され、今ごろ体は廃人になり、意識は市松人形の中で泣き叫んでいるはずだ。

事実、今朝になっても彼女からの報復はない。沈黙。それこそが、彼女の敗北の証左だ。


「勝ったな……あの魔女も、所詮は人の子か」


問題があるとすれば、市松人形を再び封印する手段だ。アレは観ただけで対象の意識を取り込もうとする。

目を閉じた程度では無意味だ。呪術的に視界を防御し、その上で再び『箱』に収納する必要がある。

故に誰にもコントロールは不可能、自爆技でしか使えない代物だ。戦後アメリカが日本から持ち出したが、危険性を知って本国に持ち込まなかったのも当然だ。

何しろ一度開封すれば、再び封印するのに犠牲となる人数は計り知れない。だがそれでも「何かに使える」と考えていたのだろう。

ある意味、呪術的な「核兵器」としての「抑止力」になると踏んだのかもしれない。

だが流石に最近は持て余し気味だったようだ、返還交渉には色々と条件を付けられたが、奴らの内心は日本へ押し付けたいという気持ちが透けて見えていた。


「しかし遅い。何をやっているのだ、全く」


局長は勝利の余韻に浸りながら、デスクのパソコンを開いた。部下からの「御堂アリス無力化確認」の報告書を待っていたのだ。だが。

画面が切り替わった。報告書のファイルではなく、真っ赤な背景に、巨大な明朝体の文字が表示されたのだ。


『 清 掃 通 告 』


「な……なんだ!?」


局長がマウスを連打するが、画面は反応しない。次の瞬間、ビル全体にけたたましいサイレンが鳴り響いた。


『緊急事態発生! 緊急事態発生! 基幹システムに侵入を確認! 制御不能!』


スピーカーから部下の悲鳴のような報告が聞こえてくる。


『全フロアのモニターがジャックされました! 機密データが……勝手に外部へ送信されています! 止まりません!』


「なんだと!? 回線を切れ! 電源を落とせ!」


『できません! 物理的に遮断しても止まりません! これは……呪術的なハッキングです!』


呪術的ハッキング。局長の顔から血の気が引く。まさか。まさか、生きているのか? あれほどの呪いを受けて?

その時、ジャックされたモニターに映像が映し出された。それは、ビルの正面玄関を映した監視カメラの映像だった。

そこに映っていたのは、一台の黒塗りの高級ワンボックスカー。そして、そこから降り立つ四人の影。

純白の軍服を着た銀髪の少女を先頭に、メイド服の女、ジャージ姿の男、そして――。


「……ブーメランパンツ?」


局長は我が目を疑った。官庁街のど真ん中に、ほぼ全裸の筋肉男が仁王立ちしている。

映像の中の少女――御堂アリスが、カメラに向かって優雅に手を振った。そして、口元を動かす。

音声はない。だが、読唇術の心得がある局長には、彼女が何を言ったのかハッキリと分かった。


『 掃 除 を し に 来 た わ 』




「さあ、始めましょうか」


会長は、ビルの正面ゲートの前に立ち、指揮棒を振った。周囲は既に騒然としている。

遠巻きに見守る野次馬のざわめき。そして何より、真冬の空の下でテカテカと輝く社長の筋肉に釘付けになる人々の視線。


「けっ、警備員! 何をしている! 不審者だ! 排除しろ!」


ゲートの奥から、警棒と盾を持った警備員たちが数十人飛び出してくる。

彼らは「局」の専属部隊。一般の警察官とは違う、対呪術戦の訓練を受けた手練れだ。


「止まれ! そこから一歩でも動けば発砲するぞ!」


「あら、怖い」


会長はクスクスと笑い、後ろに控える社長に合図を送った。


「筋肉。ドアを開けて」


「イエッサー! 筋肉開門(マッスル・ドア・オープン)!」


社長が前に出た。彼は警備員たちの警告など意に介さず、鋼鉄製の正門(高さ三メートル、厚さ十センチの装甲ゲート)に手をかけた。


「ふんぬっ……!」


社長の背中の筋肉が、鬼の顔のように隆起する。轟音。社長は、電子ロックごとゲートを「引っこ抜いた」。

ヒンジが千切れ飛び、数トンあるはずの巨大な鉄の扉が、飴細工のように外れる。


「なっ……!?」


警備員たちが絶句する。社長は外した扉を軽々と頭上に持ち上げ、フリスビーのように中庭の噴水へ投げ捨てた。

盛大な水柱が上がる。


「入室許可(物理)だ! さあ会長、どうぞ!」


「ご苦労……行くわよ」


会長が敷地内へ足を踏み入れる。

俺――佐藤健太は、胃薬を飲み込みながらその後ろをついていく。

手には武器の代わりに、ホームセンターで買ってきた業務用の「ゴミ袋(四五リットル)」と「ステンレス製のトング」を持たされている。


「なんで俺、ゴミ拾いの格好なんですか……」


「掃除屋だからだ。ゴミが出たら拾わなきゃダメだろ?」


隣を歩く桃が、金棒を担ぎながら笑う。彼女もまた、今日はやる気満々だ。昨夜の逃走劇の鬱憤を晴らす気満々だ。


「撃て! 撃ち殺せ!」


警備隊長が叫ぶ。銃声が響く。だが、弾丸は会長に届かない。会長の周囲に見えない壁があるかのように、弾は空中で停止し、ポロポロとアスファルトに落ちていく。


「邪魔よ」


会長が指揮棒を一振りする。不可視の衝撃波が、警備員たちを吹き飛ばした。彼らは枯葉のように舞い上がり、植え込みや外壁に叩きつけられる。


「ひ、ひぃぃぃ!」


「化け物だ! バリアか!?」


前衛が崩壊する。俺たちは悠々と正面玄関を突破し、ロビーへと侵入した。




ロビーは広大だった。大理石の床、高い天井。国の中枢機関らしい威厳のある空間。

だが、今は非常ベルが鳴り響き、職員たちが逃げ惑うパニック映画のセットと化している。


「ようこそ、地獄の一丁目へ」


桃が獰猛に笑い、金棒を床に叩きつけた。大理石が砕け散る。


「さて、どこから掃除する?」


「上よ。局長室」


会長はエレベーターホールを見上げた。全てのエレベーターが停止している。敵がシステムをロックしたようだ。


「階段で行くしかないわね……面倒くさい」


「ショートカットしますか?」


社長が天井を指差す。物理的に床をぶち抜いて登るという意味だ。


「いいえ……たまには順路通りに見学していきましょう。各フロアのゴミたちに挨拶もしないとね」


会長は階段へと向かった。そこには、次なる刺客が待ち構えていた。

階段の踊り場に、数人の術者(じゅつしゃ)(呪術師)が立っている。

陰陽師のような狩衣を着た者、僧侶のような袈裟を着た者。彼らは印を結び、口々に呪文を唱え始めた。


「悪霊退散! 急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」


縛道(ばくどう)の九十九!」


目に見えない鎖や、青白い炎の玉が飛んでくる。物理攻撃が効かないなら、呪術で対抗しようという魂胆だ。だが。


「……臭い」


会長が鼻をつまんだ。


「呪力が腐ってるわよ。何年修行してないの?」


彼女が、持っていた銀色の指揮棒を振る。ただ空気を切っただけ。だが、それによって発生した鋭利な風圧が、飛んできた炎や呪いの鎖を全て断ち切った。


「な、なんだと!?」


「私の結界術が!」


術者たちが狼狽する。会長は冷ややかな目で見下ろした。


「二十年前の大戦で生き残ったのが、こんなカスばかりだなんて……日本の霊的国防も終わってるわね」


彼女は氷室先輩に合図を送る。


「メイド。処理を」


「承知しました」


氷室先輩が前に出る。彼女はいつものメイド服だが、その手にはタブレット端末が握られている。彼女は画面を涼しい顔でタップした。

途端、術者たちのスマホが一斉に鳴った。


「な、なんだ?」


「メール? こんな時に?」


彼らがスマホを確認した瞬間、顔色が土気色に変わった。


「こ、これは……私の裏帳簿!?」


「ま、待て! なんでこの写真が!? 不倫相手とのツーショットだぞ!?」


「横領の証拠データ!? 消したはずなのに!」


氷室先輩が冷徹に告げる。


「貴方がたの個人的な秘密、および犯罪の証拠です……今すぐそこを退かなければ、このデータを奥様、ご実家、検察庁、および週刊誌に一斉送信します。カウントダウン、開始」


「ひぃぃぃ!!」


「や、やめてくれぇぇ!! 家庭崩壊だけは!」


術者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。呪術よりも社会的抹殺の方が怖い。それが現代人の真理だ。


「……えげつないですね、先輩」


情報戦(クリーニング)の基本です」


氷室先輩は表情一つ変えずにタブレットを操作し続けている。彼女は移動しながら、局のサーバーにある機密データを次々とハッキングし、全世界にばら撒く準備を進めていた。物理的な暴力よりもタチが悪い。




五階。十階。十五階。俺たちは破竹の勢いで階層を上がっていった。立ち塞がる警備員は桃が殴り飛ばし、バリケードは社長が粉砕し、術者は氷室先輩が社会的に抹殺する。

そして会長は、ただ優雅に歩くだけ。彼女が通った後は、物理的にも社会的にも更地になっていく。


「ひぃぃ! 助けてくれ!」


「俺は命令されただけなんだ!」


廊下には、逃げ遅れた職員たちが蹲っていた。彼らはエリート官僚だ。普段はふんぞり返って国を動かしている連中だ。だが今は、恐怖に震えるただの肉の塊に過ぎない。

俺は、彼らの横を通り過ぎながら、ペコペコと頭を下げた。


「あ、すいません。ちょっと通りますねー。ゴミ回収なんでー」


トングで床に散らばった書類を拾う。


「あ、これ機密書類っすね。燃えるゴミかな」


「ひっ……!」


職員が俺を見て悲鳴を上げる。ジャージ姿の男が、戦場で淡々とゴミ拾いをしている。その異常性が、逆に彼らの恐怖を煽っているらしい。いや、俺はただ言いつけを守ってるだけなんだけど。


「おもちゃ」


会長が俺を呼んだ。


「は、はい!」


「ゴミ拾い」


「えっ」


会長は廊下に落ちていた書類の束を指揮棒で指した。そこには『極秘・人体実験計画書』『不正資金流用リスト』『ハニートラップ対象者一覧』といった、とんでもないタイトルが書かれている。

逃げる際に職員が落としていったものだ。


「そんな汚いものを床に散らかしておくなんて、マナー違反よ……全部回収して、メディアに届くように分別しておきなさい」


「……はい」


俺はトングで「国家機密(ゴミ)」を拾い集め、ゴミ袋に放り込んだ。シュールだ。国の暗部を掃除しているというのに、やってることは公園の美化活動と変わらない。


「それにしても、脆いですね」


氷室先輩が呟いた。


「もっと抵抗があるかと思いました。局の戦力はこんなものではないはずですが」


「トップが腐っていれば、組織なんてこんなものよ」


会長は階段を上がりながら言った。


「彼らは『力』を失ったから『権力』に縋った。でも、その権力という鎧を剥ぎ取れば、中身はただの臆病な老人よ」


彼女は最上階への扉を開けた。そこは、局長室へと続く長い廊下だった。

その廊下の真ん中に、一人の男が立っていた。黒いロングコートを着た、顔色の悪い男。彼からは、今まで遭遇した雑魚たちとは違う、異質な気配が漂っていた。


「……ここを通すわけにはいかない」


男が低い声で言った。彼の手には、奇妙な形をした波打つ短剣が握られている。


「最後の砦、ってわけか」


桃が前に出る。


「どけよ。ミンチになりたくなかったらな」


「私は『影』だ。影に物理攻撃は通じない」


男の体が、ズルリと溶けた。文字通り、影となって床に広がり、壁を伝い、天井へと移動する。実体がない。


「チッ、面倒なタイプか!」


影縫(かげぬ)い!」


天井の影から、無数の黒い棘が雨のように降り注ぐ。速い。俺は反応できなかった。


筋肉の傘(マッスル・アンブレラ)!」


社長が俺の上に覆いかぶさる。棘が社長の背中に突き刺さる――はずだったが、硬すぎてキンキンと弾かれた。


「効かん! 私の広背筋は甲羅をも凌駕する!」


「……化け物め」


影の男が舌打ちをする。物理攻撃が効かない影と、物理防御がカンストしている筋肉。千日手だ。


「退きなさい。時間がないの」


会長が前に出た。彼女は天井の影を見上げ、退屈そうに言った。


「影? それがどうしたの?」


「魔女よ。貴様がいかに強力でも、実体のない私を殺すことは――」


「光があれば、影は消えるわ」


会長が指揮棒を軽く掲げる。その瞬間、廊下の照明が爆発的な光を放った――わけではない。

御堂アリスという存在そのものが、霊的な「光源」となって輝いたのだ。

純白のオーラ。圧倒的な「陽」の気が、廊下を満たす。それは、夜明けの太陽のように、あらゆる闇を強制的に浄化する光だった。


「グアァァァァ!?」


影の男が悲鳴を上げた。強すぎる光の前で、影は存在を許されない。

隠れる場所を失った彼の体は強制的に実体化させられ、床に叩きつけられた。全身から煙を上げている。


「あ、ありえん……! 私の術式が……!」


「貴方の影なんて、私の輝きの前では埃みたいなものよ」


会長は倒れた男を踏みつけ、そのまま通り過ぎた。トドメを刺す価値すらないと言わんばかりに。




そして、ついに。俺たちは局長室の扉の前に立った。重厚なマホガニーの扉。この向こうに、全ての元凶がいる。


「開けるわよ」


会長が手をかざす。扉が内側へ向けて吹き飛んだ。鍵を開ける手間すら惜しんだようだ。

部屋の中には、一人の老人がいた。局長だ。彼はデスクの後ろで震えていた。手には護身用の拳銃が握られている。

だが、その銃口は俺たちではなく、自分に向けられていた。


「く、来るな……!」


「あら。自殺する勇気はあるの?」


会長は部屋の中央まで歩み寄り、優雅に立った。白スーツが、窓からの陽光を受けて神々しく輝いている。


「残念だけど、それは許さないわ……死んで逃げるなんて、一番楽な方法じゃない」


彼女が指揮棒を振ると、局長の手から拳銃が弾き飛ばされた。カラン、と乾いた音がして銃が転がる。局長はガタガタと震えながら、床に崩れ落ちる。


「な、何を……何をする気だ……!」


「掃除よ」


会長は冷たく告げた。その瞳には、慈悲など欠片もなかった。


「貴方は私の庭(東京)を汚した。人体実験なんて悪趣味なゴミを撒き散らし、私に下らない呪いを送りつけ、あまつさえアメリカ軍まで巻き込んで騒ぎを起こした」


彼女は一歩ずつ近づいていく。コツ、コツ、とヒールの音が死刑執行のカウントダウンのように響く。


「だから、掃除しに来たの……貴方という『粗大ゴミ』をね」


「や、やめろ! 金か!? 金ならいくらでも払う! スイス銀行に隠し口座がある! 地位も、名誉も、なんでもやる!」


局長が土下座して命乞いをする。かつて国の裏側を支配していた男の、見る影もない姿。


「いらないわ」


会長は彼の頭を白いブーツで踏みつけた。


「金なら貴方より持ってるし、地位なんて興味ない……私が欲しいのは、貴方の『絶望』だけよ」


彼女は氷室先輩を呼んだ。


「メイド。準備は?」


「完了しています」


氷室先輩がタブレットを掲げた。局長室の巨大モニターに、ニュース番組の速報が映し出される。


『――速報です。内閣特務呪術管理局による大規模な汚職、および非人道的な人体実験の証拠データが流出しました。データには局長の署名入り文書も含まれており……』


「あ……あぁ……」


局長の顔が絶望に染まる。社会的死。全てが明るみに出た今、彼は逮捕され、裁かれ、歴史に残る大悪人として糾弾されるだろう。

それは、死ぬよりも辛い、永遠の地獄だ。名誉も、財産も、家族も、全てを失い、ただ汚名だけを背負って生き続ける。


「良かったわね。貴方の名前、教科書に載るわよ。『日本を腐らせた男』として」


会長は踏みつけていた足を退けた。局長は抜け殻のように床に伏している。もはや立ち上がる気力もないようだ。


「お祝いとして素敵な『プレゼント』をあげるわ」


いうと同時、会長は指揮棒で局長を軽く小突く。ふわっと淡い光を放ったが、それは一瞬で消えた。


「……さて。これにて大掃除、完了ね」


会長はクルリと振り返った。その顔は、仕事を終えた職人のように晴れやかだった。


「帰りましょうか。ここの空気は悪すぎるわ」


彼女は歩き出す。俺たちはその後に続いた。廃墟と化した局内を、胸を張って歩く。


「……やったな、俺たち」


俺は桃に囁いた。桃はニカっと笑い、Vサインを作った。


「おうよ。完全勝利だ」


「私の筋肉も、勝利の凱歌をあげている!」


社長がポージングを決める。氷室先輩も、少しだけ口元を緩めていた。




ビルの外に出ると、まぶしい太陽が照りつけていた。空は青く、風は心地よい。昨夜からの悪夢が嘘のような、爽やかな朝。


「……あ」


俺は気づいた。俺の手には、まだゴミ袋とトングが握られている。袋の中には、国の機密書類(ゴミ)がパンパンに詰まっていた。


「これ、どうすればいいんですか……」


「燃えるゴミの日に出しときなさい」


会長は笑いながら言った。


「……次は、もう少しマシなゴミを出して欲しいものね」


彼女はそう呟くと、俺が手に持っていた缶コーヒー(微糖)を奪い取り、プシュっと開けて一口飲んだ。

そして、顔をしかめる。


不味(まず)い」


彼女は空き缶を、俺の持っているゴミ袋に放り込んだ。


「さ、行くわよ……お茶会の続きをしなきゃ」


「はい。あの、ところでさっき何をしたんですか?」


会長が最後、局長にした『プレゼント』が何か、俺は気になった。しかし俺はそれを安易に尋ねたことを後悔する。


「自殺防止と回復術よ。健康的になれてさぞ喜んでいるでしょうね」


「は、はは。そうですか」


俺は乾いた笑いしか出なかった。自殺防止、それはこれから訪れる地獄を、局長は自殺という手段で逃げることすらできない。

そして回復術で病気や怪我などで今すぐ死ぬこともない。まさに生き地獄であった。それをまるで「良いことした」と言わんばかりの会長に俺は引くしかなかった。


俺はふと空を見上げる。

霞が関の空に、飛行機雲が一本、真っ直ぐに伸びていた。それはまるで、俺たちの未来を示すかのように――あるいは、単に俺たちの逃走ルートを示すかのように、どこまでも続いていた。

こうして、「給料防衛戦(対政府編)」は幕を閉じた。だが、俺たちの日常(トラブル)は終わらない。会長がいる限り、俺の安息の日は永遠に来ないのだから。

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