19.第十九話
生物には、危険を察知する本能というものが備わっている。草食動物は風に乗ったライオンの臭いに怯え、小鳥は上空を舞う猛禽類の影に身を潜める。
それは、弱者が過酷な自然界を生き抜くために獲得した、唯一にして最強の武器だ。
では、現代社会に生きる人間にとって、最大の「危険信号」とは何か?
株価の暴落? 空襲警報? いや、違う。それは、「普段は冷静沈着なプロフェッショナルが、仕事を放棄して全力で逃げ出した時」である。
地下鉄の車内は、凍りついたように静まり返っていた。先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。壊れた窓から吹き込む地下風の音だけが、ヒューヒューと亡霊の呻き声のように鳴っている。
俺たちの目の前には、厳重な封印を解かれた『箱』が鎮座していた。そして、その中に入っていた「中身」。それは、世界を滅ぼす兵器でもなければ、神話級の悪霊が封じられた壺でもなかった。
一体の、日本人形。どこにでも売っていそうな、安っぽい市松人形だ。ただし、その顔には目も鼻も口もなく――のっぺらぼうの白い顔の真ん中に、赤黒い筆文字で『御堂アリス』と刻まれていた。
さらに、人形の胸元や手足には、無数の五寸釘が深々と打ち込まれている。腹部の布が裂け、中からは人間のものと思われる髪の毛や爪がはみ出していた。
……ドン引きだ。恐怖よりも先に、生理的な嫌悪感がこみ上げてくる。これは「兵器」ではない。ただの、陰湿で、粘着質で、子供騙しの「呪い」だ。
クラスのいじめっ子が机の中に死んだカエルを入れるような、そんな次元の嫌がらせ。だが、それをやった相手が悪かった。あまりにも、悪すぎた。
「…………」
御堂アリス、会長は無言だった。彼女は人形を片手で鷲掴みにしたまま、微動だにしない。白磁のような肌から血の気が失せ、人形のように無表情になっている。
怒鳴り散らすわけでもない。物を壊すわけでもない。ただ、静かだった。深海一万メートル。光も音も届かない、絶対的な静寂と水圧が、そこにはあった。
ふと異音がする。会長の足元の床――最新鋭の装甲列車として強化されたはずの鋼鉄の床板に、蜘蛛の巣状の亀裂が走っていく。
彼女は足に力を入れているわけではない。触れてもいない。ただ、彼女の体から漏れ出す「不快感」の質量だけで、物理的な物質が耐えきれずに悲鳴を上げているのだ。
空間が歪んでいる。彼女を中心とした半径数メートルの景色が、蜃気楼のように揺らぎ、色が褪せていく。
「……あの、会長?」
この沈黙に耐えきれず、俺――佐藤健太がおずおずと声をかけようとした、その時だった。
「お先に失礼します」
氷室先輩が、流れるような動作で踵を返した。その動きには、一ミリの迷いも、躊躇いも、そして「忠誠心」の欠片もなかった。
彼女は俺たちに目もくれず、壊れたドアからホーム(といってもただのトンネル内の通路だが)へと飛び出し、クラウチングスタートの姿勢をとった。
「えっ? 先輩? どこへ?」
「走れ」
すれ違いざま、彼女は短くそう告げた。その顔色は、これ以上ないほど蒼白だった。常に冷静沈着な鉄仮面が、今は恐怖でひきつっている。
「全力で、死ぬ気で、地球の裏側まで走ってください……運よく生きていたら、また会いましょう」
言い終わる頃には、彼女の背中は闇の彼方へと消えていた。速い。オリンピック選手も裸足で逃げ出すほどのトップスピードだ。ハイヒールで走っているとは思えない。
「……おい、桃」
俺は隣にいる相棒を見た。戦闘狂の鬼族。いつだって「ヒャッハー!」と笑って敵を殴り倒す彼女なら、この状況を笑い飛ばしてくれるはずだ。だが、俺の期待は裏切られた。
桃は、全身の毛を逆立てた猫のような顔をしていた。額の角が微かに震え、獣の瞳孔が極限まで開いている。尻尾が股の間に巻き込まれ、小刻みに震えている。
「ヤバい」
桃が呻くように言った。
「ヤバいヤバいヤバい。これはマジでヤバい」
「何がだよ? ただ機嫌が悪いだけだろ? いつものことじゃん」
「バカかお前! 『機嫌が悪い』なんてレベルじゃねぇ! あれは『臨界点』だ!」
桃は、愛用している巨大な金棒を放り投げた。自分の命よりも大切にしていた武器を、だ。
重い鉄塊など、一秒でも速く逃げるための邪魔にしかならないと判断したのだ。
「いいか新人、よく聞け……あのクソアマはな、怒ると手がつけられねぇ。だが、本当にヤバいのは怒った時じゃねぇ。『呆れた時』だ」
「呆れた時?」
「自分に向けられた敵意が、あまりにもお粗末で、期待外れで、自分をナメ腐ったものだった時……あいつのプライドは傷つくんじゃねぇ、凍りつくんだ」
桃が後ずさる。
「そして始まるのは『戦闘』じゃねぇ。『掃除』だ」
「掃除?」
「周囲一帯の空間ごと、不快な要素を『消去』するんだよ! そこに味方がいようが関係ねぇ! ゴミと一緒に焼却処分だ!」
桃が叫ぶと同時だった。会長の手の中で、あの不気味な人形が粉々に砕け散った。乾いた破裂音。それが、号砲(スタートの合図)だった。
「逃げるぞオラァァァ!!」
桃が地面を蹴った。爆発的な脚力。コンクリートの床をえぐりながら、彼女もまた、氷室先輩の後を追って闇の中へ消えていく。
「ちょ、待てよ! 俺を置いてくな!」
「むぅん! 私の脊柱起立筋が『全力で背を向けろ』と命じている!」
社長も動き出した。彼はブーメランパンツ一丁の姿で、完璧なフォームのクラウチングスタートの構えを取っていた。
「さらばだ佐藤君! 君の尊い犠牲は、我が社の社史に刻まれるだろう! 労災は降りないがな!」
「犠牲にする前提かよ! ていうか連れてってくれよ! あんたの筋肉なら俺一人くらい抱えられるだろ!」
「無理だ! 今の私は『筋肉逃走形態』! 空気抵抗すら敵とみなす! 余計な荷物は持てん!」
社長がロケットのように発射された。その風圧で俺は転びそうになる。
「……あ」
取り残された。薄暗い地下鉄の車内。逃げ遅れた俺と、立ち尽くす会長の二人だけ。
彼女はゆっくりと顔を上げた。その瞳は、赤く、昏く、そして虚無のように深かった。
焦点が合っていない。俺のことなど見ていない。彼女が見ているのは、もっと別の――この世界に対する「失望」そのものだ。
「……汚らわしい」
彼女が、ポツリと呟いた。その声には、一切の感情が乗っていなかった。
「空気も、地面も、貴様らの存在も……なにもかもが、三流以下ね」
彼女が、右手を軽く横に払った。ただ、それだけの動作。目の前を飛ぶ蚊を追い払うような、優雅で何気ない仕草。
だが。
音が、消えた。衝撃波でも、爆風でもない。空間そのものが、彼女の手の動きに合わせて「抉り取られた」のだ。
強固な装甲を誇る地下鉄の車両が、飴細工のように捻じ曲がり、寸断され、粒子となって消滅していく。
天井のコンクリートが崩落し、太い鉄骨が悲鳴を上げて弾け飛ぶ。
「ひ、ぃぃぃぃぃ!?」
俺は悲鳴を上げて走り出した。逃げる。とにかく逃げる。
行き先なんてどうでもいい。新宿だろうが地獄だろうが構わない。
この「死の震源地」から一ミリでも遠くへ!
地下トンネルを、俺は転がるように走っていた。後ろを振り返る余裕はない。背後からは、轟音と共に「破壊」が迫ってくる。
物理法則が崩壊する音。会長は走っていない。ただ、苛立ちを隠さずにカツカツとヒールを鳴らして歩いているだけだ。
だが、彼女が一歩進むたびに、周囲の空間が歪み、砕け、更地になっていく。彼女の全身から放たれる「不快感」が、そのまま物理的な破壊エネルギーとなって全方位に放出されているのだ。
まさに、歩く大災害。
「死ぬ! 死ぬぅぅぅ!!」
俺は瓦礫に躓き、泥水の中に無様に倒れ込んだ。すぐ頭上を、見えない刃が通過し、コンクリートの壁を深々と切り裂く。あと数センチ高かったら、俺の首が飛んでいた。
「なんで……なんで俺ばっかり!」
涙が出てくる。俺はただの一般人だ。借金はあるけど、真面目に働いてるだけの小市民だ。
特殊部隊でもなければ、ヒーローでもない。なんでこんな、怪獣映画のモブキャラみたいな目に遭わなきゃいけないんだ。
「……まだいるの?」
冷たい声が、すぐ背後で聞こえた。心臓が止まるかと思った。振り返ると、瓦礫の山の頂上に会長が立っていた。
巻き上がる粉塵の中だというのに、彼女のドレスは汚れ一つなく、なぜか優雅に日傘をさしている。
彼女は俺を見下ろし、生ゴミを見るような目で言った。
「目障りよ……消えて」
彼女が指を弾く。デコピンの要領だ。だが、その指先から放たれたのは、圧縮された空気の弾丸――いや、見えない砲弾だった。
突如、俺の『清掃眼』が、反応した。恐怖で思考が焼き切れる寸前、俺の視界がモノクロに反転する。迫りくる「死の塊」が、赤い軌跡として視覚化される。
速い。音速を超えているかもしれない。だが、見える。ただの弾丸じゃない。あれは「空間の汚れ」だ。世界を歪める、強烈な異物。
俺の脳が、それを「掃除すべきシミ」として認識する。だから、ハッキリと見える!
「右ッ!」
俺は反射的に右へ身を投げた。俺がコンマ一秒前までいた場所が、クレーターになって消し飛んだ。爆風で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
痛い。あばらが折れたかもしれない。だが、生きている。
「……へぇ」
会長が、わずかに眉を上げた。感情のない瞳に、ほんの少しだけ色が差す。
「避けたの? 偶然?」
「偶然じゃありませんよ! 必死ですよ!」
俺は叫びながら、這いつくばって逃げた。偶然じゃない。俺の目は、彼女の攻撃の「予兆」を捉えている。
彼女が手を振る瞬間、空間に走る「亀裂」や「歪み」が、黒い汚れとして見えるのだ。それを避ければ、理論上は当たらない。
あくまで理論上は!
「ふーん。ゴキブリ並みの生存本能ね」
会長は面白くもなさそうに、再び手を振った。今度は一発じゃない。五本指を開き、薙ぎ払うような動作。五つの不可視の斬撃が、扇状に広がりながら襲ってくる。
「ひぃぃぃ! 無理無理無理!」
見える。見えすぎる。逃げ場がない。通路全体が攻撃範囲だ。
どうする? 伏せるか? 飛ぶか? いや、隙間がある。
斬撃と斬撃の間。わずか三十センチほどの「安全地帯」。
「そこだァァァ!」
俺はスライディングした。泥水を跳ね上げ、瓦礫ですねを擦りむきながら、針の穴を通すような精度で隙間へ滑り込む。
カマイタチのような風が、俺の両耳を掠めていく。髪の毛が数本、切れて舞った。
「ゼェ……ハァ……!」
避けた。また、生き延びた。
「しぶといわね」
会長の声が、少しだけ苛立ちを帯びた。まずい。興味を持たれてしまった。
彼女にとって俺は「なかなか死なない虫」になったのだ。それはつまり、潰すまで遊び続けられるオモチャへの昇格を意味する。
「チョロチョロと……私の視界に入らないでくれる?」
彼女が足を踏み鳴らす。地震だ。トンネル全体が激しく揺れ、天井から巨大な岩盤が崩落してくる。直接攻撃がダメなら、環境ごと潰す気だ。
「殺す気か! あ、殺す気だった!」
俺は岩の雨の中を、ダンスを踊るように駆け抜けた。落ちてくる岩の軌道が見える。崩れる床の脆い部分が見える。死の予兆が、全て「汚れ」として視界に浮かび上がってくる。
右、左、ジャンプ、前転。まるで死神と鬼ごっこをしているようだ。一歩間違えば即死。アドレナリンが脳内で沸騰し、恐怖が麻痺していく。が、同時に体が正体不明の『重いもの』を感じ始める。
「あはは! あはははは!」
俺は笑っていたかもしれない。極限状態すぎて、笑うしかなかった。俺は今、世界最強の魔女を相手に、生き延びている。
ジャージ姿の一般人が、鏖殺の魔女相手に、命を懸けた生存競争を演じているのだ。頭痛を感じながらも俺は笑って、笑い続けた。
その頃、地上。新宿駅前の広場。マンホールから、三つの影が飛び出した。
「ぷはぁっ! し、死ぬかと思った……」
桃が膝に手をついて荒い息を吐く。彼女の背中には冷や汗がびっしょりと滲んでいた。鬼族としての本能が、未だに警鐘を鳴らし続けている。
「私の筋肉が……恐怖で収縮している……!」
社長がガタガタと震えている。パンツ一丁で冬の夜風に晒されているせいもあるが、それ以上の悪寒を感じているようだ。自慢の大胸筋も、今は小鳥のように怯えている。
「……まだ、振動が続いています」
氷室先輩が地面に手を当て、深刻な顔で言った。地下深くから、微弱な地震のような揺れが伝わってくる。そして、時折重低音が響く。
「やってるな。派手に」
「ああ。地形が変わるレベルだぞ、あれは」
「……佐藤君は?」
氷室先輩が呟いた。誰も答えない。答えられないのだ。あの地獄に取り残されて、生きているはずがない。普通なら、最初の衝撃波で塵になっている。
だが誰も何も言えない。誰もがあの場では自分の命を守るだけで手一杯だ。生半可な言葉など無謀の一言で斬り捨てられるほどに。
「……あいつなら、案外生きてるかもな」
桃がボソリと言った。
「え?」
「あいつの『目』だ……あいつ、私の攻撃もギリギリで避ける時がある。無意識に『一番安全な場所』を選んで動いてる節があるんだよ」
「確かに。私のポージングの死角に潜り込むのも上手い」
社長が頷く。
「ゴキブリみてぇな生命力だ……運が良ければ、瓦礫の隙間で震えてるかもしれねぇ」
「だと良いのですが……」
氷室は祈るように、マンホールを見つめた。その時。
一際大きな揺れが襲った。広場のアスファルトに亀裂が走り、街灯が明滅する。そして。
マンホールが、シャンパンの栓のように空高く吹き飛んだ。
噴き上がる黒煙と土煙。その中から、ボロボロになった影が一つ、弾き出された。
「生還ンンンンン!!」
叫び声と共に、佐藤健太が地面に転がった。服は裂け、顔は煤だらけ、体中擦り傷だらけ。靴なんて片方ない。だが、五体満足だ。
「佐藤君!」
「新人!」
氷室先輩と桃が俺に駆け寄る。彼は大の字になって空を見上げ、ゼェゼェと息をしていた。生きている。地獄の釜の底から這い上がってきたのだ。
「い、生きてる……! 俺、生きてるぞぉぉ!」
「よく無事で……! 奇跡です!」
「奇跡じゃねぇよ! 実力だよ! 俺の『清掃眼』、回避スキルとしてカンストしたわ!」
佐藤は泣き笑いのような表情で叫んだ。その直後。噴煙の中から、もう一つの影がゆっくりと浮き上がってきた。
御堂アリス。彼女は宙に浮いた瓦礫を足場に、優雅に地上へと降り立った。まるで、舞踏会の階段を降りるように。
その姿を見た瞬間、俺たち全員が直立不動になった。
彼女は舌打ちをした。不機嫌だ。最高に不機嫌だ。
だが、さっきまでの「殺意の波動」は少し収まっていた。
どうやら、地下を更地にするまで暴れ回ったことで、多少のストレス発散にはなったらしい。
「……空気の悪いところね。埃っぽい」
彼女はドレスを払い、周囲を見渡した。新宿の夜景。ネオンの光。それらを、彼女はつまらなそうに一瞥した。
「会長……あの、お怒りは……」
氷室先輩が恐る恐る尋ねる。会長は鼻を鳴らした。
「怒ってる? 私が? まさか」
彼女は冷たく笑った。その笑みは、怒りよりも恐ろしい「断絶」を感じさせた。
「あんな子供騙しの人形ごときで、私が感情を動かすと思った?」
「で、では……」
「不愉快なだけよ……自分の評価が、あまりにも低く見積もられていたことがね」
彼女がキレた理由。それは「呪われたこと」ではない。
「こんな安っぽいオカルトグッズで、御堂アリスに対抗できると思われたこと」への、プライドの毀損だったのだ。
舐められた。その事実が、何よりも彼女の逆鱗に触れた。
「……おもちゃ、ちょっときなさい」
「え゛!?」
突然呼ばれて俺は変な声を出した。それがまずかったのか、会長は不機嫌そうな表情をする。
「こないなら引っ張るわよ。挽肉になっても知らないけれど」
「いきます!」
俺はおそるおそる会長の傍に行くと直立不動をする。彼女は顎に手を当てて俺をじっと見る。たまに額や胸、腹などを小突く。ちょっとくすぐったいが文句を言える状況ではない。
「なるほどねぇ」
やがて会長は何かに満足したのか、ニヤリと笑みを浮かべた。
「あの、会長? 何がなるほどなんですか?」
「おもちゃの顔がどうしようもないほど間抜けってことよ」
そういって彼女は俺の腹を殴る。軽い衝撃を感じると同時、先ほどから感じていた頭痛が消えた。
だが、肩こりのような、胃もたれのような、正体不明の『重いもの』は残っていた。
だがそれを感じたのも一瞬、すぐにふわっと消えるように感じなくなった。
「面倒ね。少し時間はかかるけど、それはそれで面白そうだわ」
「え、何がですか?」
「それよりおもちゃ」
「は、はい!」
「貴方、自分への『プレゼント』で、中身が『自分の不幸を願う手紙』だったこと、ある?」
「い、いえ……流石にそれは……」
「そう。普通はないわよね。喧嘩を売るにしても、作法というものがあるわよね」
会長は夜空を見上げた。その瞳に、冷徹な光が宿る。
「私のことを『化け物』として恐れるなら、それ相応の敬意と、全力の殺意を持って挑むべきだわ……それを、陰湿な嫌がらせで済ませようなんて、教育が必要ね」
教育。その言葉の響きに、俺たちは戦慄した。この魔王による「教育」が、どれほど凄惨なものになるか、想像するだけで胃に穴が開きそうだ。
「帰るわよ」
会長は踵を返した。
「……掃除の時間よ」
「ど、どこを掃除するんですか?」
俺は震える声で聞いた。会長は振り返り、悪魔のような笑みを浮かべた。
「決まっているでしょ……『局(ゴミ捨て場)』よ」
その夜。東京の地下で起きた「謎の地震」と「爆発事故」は、翌日のニュースで小さく報じられた。
原因は「老朽化したガス管の破裂」とされた。もちろん、政府による情報操作だ。
だが、本当の災害はこれからだった。御堂アリスという、制御不能の核弾頭のスイッチが入ってしまったのだから。
「……あの人形、送った奴は今頃どうしてるかな」
帰り道、桃がボソリと呟いた。俺は夜空を見上げた。
「震えてるんじゃないか? それとも、まだ自分の愚かさに気づいていないか」
「どっちにしろ、ご愁傷様だな」
俺たちは合掌した。見知らぬ役人たちへ。そして、これから巻き込まれるであろう、俺たち自身へ。
癇癪は終わった。ここからは、冷酷で、徹底的で、慈悲のない「報復」が始まる。
俺はボロボロのジャージを握りしめ、深くため息をついた。給料防衛戦は、まだ終わらない。
むしろ、フェーズ2(地獄篇)への入り口に立ったに過ぎなかったのだ。




