18.第十八話
祭りの後、という言葉がある。熱狂が去り、静寂が訪れ、散らかったゴミだけが残された虚しい時間のことを指す。
だが、今の俺たちが直面しているのは、そんな生易しいものではなかった。
深夜の首都高速湾岸線。あちこちで煙を上げる装甲車の残骸。ひしゃげたガードレール。そして、アスファルトに刻まれた無数の弾痕。
まるで怪獣映画の撮影現場のようだが、これは紛れもない現実だ。
俺が悔し涙を流していると、インカムから氷室先輩の声が入った。
『……会長。お遊びは堪能されましたか?』
冷静な声だ。彼女は離れた場所から全てを見ていたはずだ。
「ええ、まあまあね……で? 本命の場所は特定できたのかしら?」
『はい。予測通りです』
氷室先輩の言葉に、俺たちは耳をそばだてた。
『地上の騒ぎの裏で、ネズミは地下を這っています……現在、政府専用の極秘路線「帝都地下秘密路線」を使って、本物の『箱』が輸送されています』
帝都地下秘密路線。都市伝説で聞いたことがある。東京の地下深くに、一般には公開されていない、政府要人や皇族のための避難用路線が存在すると。
『現在、当該車両は新宿の地下深度六十メートルを通過中。あと三十分で、目的地である「結界の最重要ポイント(安置所)」に到着します』
「三十分!?」
俺は叫んだ。
「間に合わないじゃないですか! ここから新宿まで戻るのにどれだけかかると思ってるんですか!」
「間に合わせるのよ」
会長がパン、と手を叩いた。
「移動手段ならあるわ……筋肉、準備はいい?」
「イエッサー! 私の大腿四頭筋は、いつでもトップギアだ!」
社長が輝く笑顔でポーズを取る。嫌な予感がした。
「まさか……走るんですか?」
「いいえ。もっと速い方法よ」
会長は足元を指差した。
「降りるわよ」
地下世界は、地上の喧騒が嘘のように静まり返っていた。あれから氷室先輩の指示に従い、指定のマンホールがある場所まで移動する。
マンホールをあけて垂直に伸びる梯子を降り、点検用の通路を抜け、さらに奥深くへ。そこは、光の届かない闇の迷宮だった。
「くっせぇ……ドブの臭いがする」
桃が鼻をつまみながら悪態をつく。彼女はまだ、あのファンシーなキメラ・メイド服(犬耳付き)を着たままだった。
戦闘でボロボロになり、煤と埃で汚れて、もはや「落ち武者」にしか見えない。
「我慢しなさい。給料のためよ」
先頭を行く会長は、暗視ゴーグルなど着けていないのに、迷うことなく闇の中を進んでいく。彼女のドレスは、なぜか汚れ一つついていない。不思議だ。
「ここ、どこなんですか?」
「旧陸軍が掘った地下トンネルよ。今は政府の専用路線と繋がっているわ」
会長が指差した先。崩れかけた壁の隙間から、微かに風が吹き込んでいた。
湿った、生ぬるい風。そして、遠くから「ゴォォォ……」という重低音が響いてくる。
「音がする……」
「電車だ。近いぞ」
桃が犬耳をピクリと動かした。
「方向は?」
「あっちだ。猛スピードで近づいてくる」
俺たちは壁の隙間をくぐり抜け、広い空間に出た。そこは、古びた地下鉄のトンネルだった。錆びついたレールが二本、暗闇の彼方まで続いている。壁には裸電球が等間隔に並んでいるが、ほとんどが切れていて薄暗い。
「ここが『帝都地下秘密路線』か」
「ええ。このレールの上を、本物の『箱』を積んだ列車が走ってくるわ」
氷室先輩の情報によれば、敵は「特別編成の地下鉄車両」を使っているらしい。装甲を強化し、結界を張った、動く要塞だ。
「で、どうやって止めるんですか?」
俺は素朴な疑問を口にした。駅はない。ここはトンネルの途中だ。猛スピードで走る地下鉄に飛び乗る? 映画じゃあるまいし。
「ぶっ壊せばいいんじゃねぇの?」
桃が金棒を構える。
「レールをひん曲げれば脱線するだろ」
「ダメよ。脱線の衝撃で『箱』が壊れたら、中身がどうなるか分からないわ……今回は『ソフトタッチ』で止めるの」
「ソフトタッチって……相手は数千トンの鉄の塊ですよ!?」
無理だ。物理的に不可能だ。だが、会長はニヤリと笑い、一人の男を見上げた。
「筋肉。出番よ」
「任せたまえ!」
社長が、一歩前へ出た。暗闇の中で、オイルを塗った肉体が鈍く光る。
「私の筋肉物理学に不可能はない!」
「えっ、社長が止めるんですか!? 死にますよ!?」
「案ずるな佐藤君。電車とて、突き詰めれば『鉄』と『エネルギー』の塊に過ぎない……そして私の筋肉もまた、『鉄の意志』と『無限のエネルギー』の塊なのだ!」
意味が分からない。だが、社長は迷いなく線路の上に降り立ち、仁王立ちした。
「来るぞ!」
桃が叫ぶ。トンネルの奥から、強烈なヘッドライトの光が差し込んできた。轟音と共に、風圧が押し寄せる。
見えた。黒塗りの車両。窓はなく、装甲板で覆われた異様な地下鉄。速い。時速八十キロは出ているだろうか。
「しゃ、社長! 逃げて!」
「逃げん! 大胸筋は決して背中を見せない!」
社長は腰を落とし、両手を前に突き出した。相撲の立ち合いのような姿勢。
「来いッ! 鉄の蛇よ! 私の愛で受け止めてやる!」
運転士が気づいたのか、急ブレーキの音が響く。だが、止まらない。慣性の法則は無慈悲だ。巨大な鉄塊が、生身の社長に激突する。
衝撃音が鼓膜を揺らす。火花が散り、煙が舞い上がる。俺は目を覆った。ミンチだ。社長が挽肉になった。
「ぬんぬぬぬぬぬ……!!!」
煙の中から、野太い唸り声が聞こえた。恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
社長が、止めていた。列車の先頭車両を、両手で受け止め、足を踏ん張って耐えている。靴底が削れ、コンクリートの枕木が砕け、社長の体がズルズルと後退していく。だが、潰れていない。
「物理停車ィィィ!!!」
社長の筋肉が、異常なほど隆起する。血管が蛇のように浮き上がり、皮膚が裂けんばかりに膨張する。彼は衝撃を吸収したのではない。
全身の筋肉を「バネ」と「ダンパー」に変え、数千トンの運動エネルギーを相殺しているのだ。
「ぐ、ぐぅぅぅ……! 重い……! これは、スクワット換算で……五千トン……!」
「人間やめてるぅぅぅ!!」
最後の火花を散らして、列車が停止した。社長の足元は膝まで地面にめり込んでいたが、彼は生きていた。プシューッ、と体から蒸気を発しながら、彼はニカっと笑った。
「ふぅ……ナイス・ストップ」
「バケモノかあんたは!」
列車が止まった瞬間、俺たちは動いた。
「突入!」
桃が先頭車両のドアを金棒でこじ開ける。鋼鉄の扉が紙のようにひしゃげる。
「邪魔だオラァ!」
車内に飛び込む桃。中は薄暗く、黒いスーツを着たエージェントたちが待ち構えていた。
彼らは一瞬、桃の姿(と、電車を生身で止めた社長)を見て呆然としていたが、すぐに銃を構えた。
「撃て! 侵入者だ!」
「遅ぇよ!」
狭い車内での乱戦。桃は金棒を振り回せないため、素手での格闘に切り替えた。
エージェントの胸ぐらを掴み、天井に叩きつける。蹴り飛ばす。投げ飛ばす。
まさに暴風雨。
「ひぃぃ! 俺は一般人だ! 撃つな!」
俺は桃の後ろに隠れて、這いつくばって進んだ。流れ弾が頭上をかすめる。なんで俺、こんな目に遭ってるんだろう。
「奥だ! 一番後ろの車両に反応がある!」
俺の『清掃眼』が、最後尾の車両から放たれる禍々しいオーラを捉えた。
ドス黒い、粘り気のある瘴気。間違いなく、あれが『箱』だ。
「了解! 道を開けるぜ!」
桃がエージェントたちをボウリングのピンのように蹴散らしながら進む。一両目、二両目、三両目。そして、最後尾の車両。
そこには、一人の男と、厳重に鎖で巻かれた『箱』があった。男は、政府の特務エージェントのリーダーらしき人物だ。彼は震える手で『箱』に触れながら、こちらを睨みつけた。
「き、貴様ら……! これに触れるな! これは『終わりの始まり』だぞ!」
「知るか! それは私の『給料』だ!」
桃が吠えた。終わりの始まり? こちとら給料未払いの始まりがかかってるんだよ!
「渡さん! 渡すくらいなら……!」
男が懐から起爆スイッチのようなものを取り出した。自爆? いや、箱を破壊するつもりか?
「させないわ」
空間が揺らいだ。いつの間にか、男の背後に会長が立っていた。幽霊のように、音もなく。
「ひッ!?」
「いただくわね」
会長が男の手首を軽く掴む。乾いた音がして、スイッチが床に落ちた。男は悲鳴を上げる間もなく、会長のデコピン一発で壁まで吹き飛ばされ、気絶した。
「……確保完了」
会長は、目の前の『箱』を見下ろした。古びた桐の箱。表面にはびっしりと御札が貼られ、注連縄で封印されている。
先ほどの囮とは比べ物にならない、本物の「ヤバい気配」が漂っている。
「これが本物か……」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。近づくだけで肌が粟立つ。中には何が入っているんだ?
世界を滅ぼす悪霊? それとも、未知のウイルス?
「さあ、開けましょうか」
会長は楽しそうに、封印の御札に手を伸ばした。
「ちょ、会長! ここで開けるんですか!?」
「当然でしょ。中身を確認しないと、クーリングオフもできないじゃない」
「クーリングオフってレベルじゃねぇぞ!」
止める間もなかった。会長の指先が触れると、厳重な封印が青白い炎となって燃え上がった。
呪術的なロックが解除される。鎖がパラパラと崩れ落ちる。そして箱の蓋が、ゆっくりと開いた。
俺たちは固唾を呑んで会長を見守った。桃も、社長も、俺も。中から出てくる「災厄」を覚悟して。
だが。
「…………は?」
待てども待てども何も起きない。一分近く待ったが、エージェントたちの言う「終わり」は一向に来なかった。
暫くするとガラスが砕け散るような音が聞こえた。だがそれだけだ、音がしただけでその後は再び静寂が訪れる。
俺たちは顔を見合わせると、恐る恐る箱の中をのぞき込んだ。
箱の中に入っていたのは、武器でも、怪物でもなかった。一体の、人形だった。市松人形。おかっぱ頭の、着物を着た、古めかしい日本人形。
ただし、その顔には目も鼻も口もなかった。のっぺらぼう。そして、その白い顔の真ん中に、赤黒い文字で、こう刻まれていた。
『御堂 アリス』
「……え?」
俺は目を疑った。名前? 会長の名前が書いてある? 人形の胸元には、無数の五寸釘が打ち込まれていた。
そして、人形の腹部には、何かの髪の毛や爪が詰め込まれているのが見える。
これは。これは、兵器ではない。ただの、「呪い」だ。会長個人を呪い殺すためだけに作られた、特級の呪詛人形。
あれだけ仰々しい名前がついていたのに? 本当にこの市松人形と箱を、局は対会長用に使う気でいたのか? え、どうやって?
俺は別の意味で混乱した。本当、誰か説明してくれ。
「…………」
会長は、無言だった。彼女は人形を手に取り、まじまじと見つめた。自分の名前が刻まれ、釘を打たれた、おぞましい人形を。
空気が、変わった。さっきまでの「ゲームを楽しむ余裕」が、急速に冷えていく。温度が下がる。物理的に、車内の気温が氷点下まで下がった気がした。
「……不愉快ね」
会長がポツリと呟いた。その声は、今まで聞いたどの声よりも低く、そして冷たかった。
「私を封印する『箱』だと聞いていたけれど……中身はこんな、陰湿なゴミだったわけ?」
彼女の手の中で、人形がミシミシと音を立てる。
「……不愉快だわ。本当に、不愉快」
ピリリ、と空間が張り詰める。俺の本能が、警報を鳴らした。ヤバい。これは、ヤバい。彼女は怒っているのではない。呆れているのでもない。ただ純粋に、底知れぬほどに、「不快」を感じているのだ。
御堂アリスにとって、自分に向けられる敵意や殺意は「スパイス」だ。だが、この人形から感じるのは、そういった高尚なものではない。
ただの「嫌がらせ」。陰湿で、粘着質で、そして何より――彼女を「舐め腐った」子供騙しの呪い。それが、魔女の逆鱗に触れた。
彼女が一歩踏み出すたびに、地下鉄の窓ガラスがパリン、パリンと割れていく。俺たちは震え上がった。
アメリカ軍との戦闘よりも、暴走する列車よりも。今、目の前にいる「不機嫌な少女」の方が、遥かに恐ろしい存在だと理解したからだ。
箱は開かれた。だが、そこから出てきたのは災厄ではなく、魔女の「本気」だった。給料防衛戦は終わった。そして、ここからは――「一方的な蹂躙」が始まる。
俺は壊れた窓から吹き込む風に身震いしながら、ただただ、政府の役人たちの冥福を祈った。あなたたちは、虎の尾を踏んだのではない。竜の逆鱗を、五寸釘で貫いてしまったのだと。




