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怪異清掃、請負います  作者: 夾竹桃


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14.第十四話

夜の帳が下りると、東京は別の顔を見せる。表通りのネオンサインが眩しければ眩しいほど、その足元に広がる影は濃く、深くなる。

欲望と金、そして暴力が循環する巨大な臓器のような街、新宿。その最深部に、一軒のバーがあった。

バー『Stray(ストレイ) Sheep(・シープ)』。看板には、迷える羊の絵が描かれている。だが、この重厚なオーク材の扉をくぐる者に、羊のように無垢な者など一人もいない。

ここに集うのは、血の匂いを嗅ぎつけた狼か、あるいは死肉を漁るハイエナたちだ。


「……聞いたかよ、おい」


紫煙が漂う薄暗い店内で、男の押し殺した声が響いた。カウンターの隅でグラスを傾けているのは、裏社会で武器の密輸を手掛けるブローカーの男だ。


「ああ。内閣の連中、ついに屈したらしいな」


「信じられねぇよ。五億だぞ? たかが民間の一業者に、国が慰謝料名目で五億払ったんだとよ」


隣に座る男――情報屋の佐久間は、琥珀色のバーボンを揺らしながら、冷笑を浮かべた。


「たかが民間業者、ねぇ。相手があの『御堂アリス』だってことを忘れちゃいけねぇよ」


「へっ、魔女か……噂じゃ、研究所を一つ更地にしたって話じゃねぇか。あそこは政府の極秘施設だったんだろ? メンツもクソもあったもんじゃねぇな」


「メンツより椅子(ポスト)が大事なお偉いさんばかりだからな……ま、おかげで俺たちの懐は潤うってもんだ」


佐久間はタバコの煙を天井へと吐き出した。混乱は金になる。秩序が揺らぎ、権威が失墜し、疑心暗鬼が広がる時こそ、情報の価値は跳ね上がる。

御堂アリスという特異点が動き出したことで、この街の(おり)は活性化し、腐臭と共に黄金を生み出し始めていた。


「けどよ、佐久間。このまま終わると思うか?」


ブローカーが声を潜めた。


「政府がただで引き下がるとは思えねぇ……報復があるぞ。それも、とびきりデカいのがな」


「違いねぇ」


佐久間はグラスを煽った。喉を焼くアルコールの熱さを感じながら、彼は心の中で嗤った。報復? ああ、あるだろうさ。

だが、その報復合戦がどう転ぼうと、俺は高みの見物を決め込むだけだ。どちらが勝っても、死体が転がれば転がるほど、そこには「ネタ」が落ちているのだから。

カラン、コロン。ドアベルが鳴り、地下の冷たい空気が流れ込んできた。会話が止まる。店内の客たちの視線が、一斉に入り口へと注がれる。

現れたのは、場違いなほど清潔な空気を纏った女性だった。黒のパンツスーツに身を包み、銀縁の眼鏡をかけた知的でクールな美女。だが、その冷徹な瞳を見た瞬間、狼たちは悟る。

この女は「(エサ)」ではない。  自分たちと同類、いや、それ以上に危険な捕食者であると。彼女は迷うことなく店内を進み、佐久間の隣の席に腰を下ろした。


「……待たせたわね」


「いいや。丁度、退屈してたところだ」


佐久間はバーテンダーに目配せをした。何も言わずとも、彼女――氷室澪の前には、温かいアールグレイが置かれる。ここは酒場だが、彼女が酒を飲まないことを店主は熟知している。


「で? 今日のオーダーは?」


佐久間はニヤリと笑い、手のひらを差し出した。氷室は無言で鞄から封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。

厚みのある封筒。帯封のついた札束が入っていることは、触れなくても分かる。


「先日の件。事後処理の状況と、政府の『次の一手』について」


「毎度あり」


佐久間は封筒を懐にしまい込んだ。ビジネスの時間だ。




「まずは確認だが、五億円の振込は完了してる。政府は泣く泣く払ったよ……だが、同時に現場の指揮官クラスには箝口令が敷かれた」


佐久間は声を潜め、手元のコースターを指先で回しながら語り始めた。


「研究所の件は『地下ガスの爆発事故』として処理される。死んだ研究員や兵士たちは『行方不明』扱いだ。遺族にはたっぷり見舞金が積まれただろうよ」


「予想通りですね」


氷室は紅茶に口をつけることなく、淡々と答えた。


「彼らは自分たちの汚点を隠すことに必死です。人体実験のデータが公表されることを何より恐れている」


「ああ。だが、それだけじゃねぇ……奴らはビビってるんだよ。お宅の会長の『力』にな」


佐久間は自身のこめかみをトントンと叩いた。


「俺も現場の生き残りの兵士から話を聞いたぜ。『指先一つで人間がバラバラになった』『銃弾が止まった』とかな……半分は錯乱した妄言だとしても、残りの半分が事実なら、そりゃ化け物だ」


「事実ですよ」


氷室があっさりと肯定する。


「会長にとって、あれは『掃除』に過ぎません……それで? 彼らは恐怖に震えて縮こまっているのですか?」


「いや。逆だ」


佐久間の目が鋭く光った。


「恐怖は、時として狂気を生む……奴らは今、『どんな手を使ってでもあの魔女を殺さなければ、自分たちが食われる』という強迫観念に取り憑かれてる。いわば、窮鼠(きゅうそ)だ」


「猫を噛むつもりですか」


「噛むどころか、毒ガスを撒く勢いだな……局の内部で、ある『極秘計画』が前倒しになったという情報が入ってる」


佐久間はスマホを取り出し、一枚の画像データを氷室に見せた。それは、盗撮された粗い画像だった。

どこかの港湾施設だろうか。夜闇の中、厳重な警備に囲まれて陸揚げされる「コンテナ」が映っている。

コンテナの側面には、アメリカ軍のエンブレム。


「……アメリカ軍?」


「ああ。第七艦隊が運んできた『特級貨物』だ。中身についてはトップシークレットだが、噂じゃ『戦後、GHQが持ち去った日本の遺産』だとか」


氷室の眉がピクリと動いた。


「遺産……まさか」


「心当たりがあるか?」


「……いえ。確証はありません」


氷室は視線を落とし、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。彼女の脳裏には、ある「呪物」の伝承が浮かんでいた。

もしそれが事実なら、政府は東京を火の海にしてでも、会長を排除するつもりだということになる。


「ま、中身が何であれ、ロクなもんじゃねぇのは確かだ……あの『局』が、なりふり構わずアメリカに頭を下げてまで取り寄せたんだからな」


佐久間は呆れたように笑い、タバコの灰を落とした。


「それにしても、不思議なもんだよな」


「何がですか?」


「今の政府……特に『局』の連中の体たらくだよ。腐敗、隠蔽、人体実験……かつては『霊的国防の砦』なんて呼ばれてた組織が、どうしてこうも落ちぶれたのか」


佐久間の言葉に、氷室は眼鏡の位置を直した。


「……貴方は知っているのでしょう? その理由を」


「ああ。俺はこの街で長く生きすぎたからな」


佐久間は遠い目をした。薄暗いバーの天井を見上げ、吐き出した煙の行方を目で追う。


「二十年前だ……『大戦』があった」


その単語が出た瞬間、店内の空気が少しだけ重くなった気がした。二十年前。一般の歴史書には載っていない、しかし裏社会の住人ならば誰もが知っている、悪夢のような一年間。


「当時、日本中で前代未聞の『百鬼夜行』が発生した。原因は不明だが、強力な悪霊や妖怪が同時多発的に溢れ出し、都市機能を麻痺させたんだ」


「ええ。記録には残っています」


「記録? ハッ、そんな綺麗なもんじゃねぇよ」


佐久間は自嘲気味に笑った。


「あれは戦争だった。人類と、人外との総力戦だ……当時の『局』には、骨のある奴らがいたんだよ。強い霊能力を持ち、正義感に燃え、市民を守るために命を懸ける本物の『除霊師』たちがな」


佐久間の脳裏に、かつての光景が蘇る。燃え盛る東京。血路を開くために特攻する術者たち。仲間を守って散っていった英雄たち。


「奴らは戦った。昼夜を問わず、泥水をすすり、血を流して……そして、死んだ」


佐久間の声が低く沈んだ。


「まともな奴は、みんな死んじまったんだよ。優秀な奴ほど最前線に出て、他人を庇って死んでいった……生き残ったのは誰だと思う?」


「……安全な場所で隠れていた者たち、ですか」


「その通りだ」


佐久間はグラスの中の氷をカランと鳴らした。


「シェルターの中で震えていた臆病者。部下を盾にして逃げた卑怯者。他人の手柄を横取りして出世したハイエナ……そいつらが生き残った」


「…………」


「戦争が終わった後、焼け野原に残ったのは『ゴミとクソの掃き溜め』だったわけだ……優秀な人材が枯渇した組織は、急速に腐敗した。力がないから、権力と金に執着する。正義感がないから、平気で人体実験なんて禁忌に手を染める」


佐久間はタバコを灰皿に押し付けた。ジュッ、という音が、まるで何かの断末魔のように響いた。


「それが、今の『局』の正体だ……だから奴らは弱い。だから奴らは、御堂アリスという圧倒的な『本物』を前にして、恐怖し、狂奔するんだよ」


氷室は静かに聞いていた。彼女自身、その「腐敗した組織」の実験によって生み出された被害者だ。佐久間の言葉は、彼女の心の奥底にある傷跡を抉るようでありながら、同時に奇妙な納得感をもたらしていた。


「……皮肉なものですね」


「ああ。だが、だからこそ危険だ」


佐久間は新しいタバコを取り出した。


「無能な働き者ほど厄介なものはない。奴らは自分たちの保身のためなら、平気で国一つ売り飛ばすぜ……今回のアメリカとの取引も、その一環だろうよ」


「忠告、感謝します」


氷室は封筒とは別に、一枚の紙幣をカウンターに置いた。チップだ。


「私たちは、売られた喧嘩は買います……たとえ相手が国でも、アメリカ軍でも」


「威勢がいいねぇ……ま、俺はどっちが勝とうが知ったこっちゃないがな」


佐久間は紙幣を指で弾いた。


「俺は情報屋だ。正義の味方でも、悪の組織の手先でもない……ただ、面白い方(カネになるほう)に賭けるだけさ」




その時だった。佐久間の懐で、スマートフォンが短く振動した。彼は眉をひそめ、画面を確認する。

表示されたメッセージを見た瞬間、彼の表情が変わった。いつもの冷笑的なマスクが剥がれ、獲物を見つけた獣のような目になる。


「……ほう」


「何か?」


「噂をすれば影、ってやつだ……新しい仕事(ヤマ)が入った」


佐久間はスマホの画面を氷室に見せた。そこには、暗号化されたメールが表示されていた。差出人は不明。だが、その内容は明白だった。


『依頼:輸送ルートの確保および護衛』

『対象:第七艦隊より移送される特殊貨物』

『報酬:相場の三倍』

『備考:妨害勢力(特に“魔女”と呼称される勢力)の排除』


「……来ましたか」


氷室の目が細められた。予想よりも早い。アメリカ軍からの貨物――おそらく、例の「箱」。それが、いよいよ日本国内へ、そして東京へと持ち込まれようとしている。


「裏社会のブローカーや傭兵たちに一斉送信されてるみたいだな……なりふり構ってねぇな、局の連中は」


「それだけ追い詰められている証拠でしょう」


「ああ。こいつは戦争になるぜ、氷室ちゃん」


佐久間は楽しそうに笑った。不謹慎極まりない笑みだ。だが、それが彼の本質だ。平和などクソ食らえ。混乱こそが飯の種。


「この依頼、どうしますか?」


「受けるさ……ただし、護衛としてじゃない」


佐久間はスマホを操作し、何処かへ転送した。


「俺はあくまで『観客』だ。特等席で、この馬鹿げたお祭り騒ぎを見物させてもらうよ」


「……そうですか」


氷室は立ち上がった。情報は十分だ。これ以上、長居する理由はない。


「帰ります……社長の筋肉自慢が始まる前に」


「ハッ、あの大将も元気そうで何よりだ。よろしく伝えといてくれ」


氷室は小さく会釈をし、出口へと向かった。その背中を見送りながら、佐久間は呟いた。


「……死ぬなよ、お嬢ちゃん。せっかく拾った命なんだからな」


その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか。氷室は振り返ることなく、重い扉を開けて夜の街へと消えていった。




店を出た氷室は、深く息を吸い込んだ。歌舞伎町の空気は澱んでいる。腐った生ゴミと、安っぽい香水の匂い。

だが、今の彼女には、その空気さえも戦場(日常)の一部として馴染んでいた。


(……二十年前の大戦、ですか)


彼女は歩き出した。ヒールの音がアスファルトに響く。

彼女自身、その戦争の犠牲者の一人だ。戦後の人材不足を補うために作られた、人造の除霊師。

だが、今は違う。彼女には、帰るべき場所がある。守るべき主人がいて、騒がしい同僚たちがいる。

ポケットの中のスマホを取り出す。画面には、佐藤健太からのメッセージが表示されていた。


『氷室先輩、プリンありがとうございました! 冷蔵庫に入れておきます! あと社長が「明日は朝練だ!」って張り切ってるんで、遅刻しないでくださいね!』


文面からでも伝わってくる、佐藤の能天気な明るさ。氷室の口元に、自然と笑みがこぼれた。


「……ふふっ。本当に、平和ボケした人たちですね」


嵐はすぐそこまで迫っているというのに。巨大な空母が、災厄を運んで来ているというのに。

彼らは明日も、筋肉の話をして、お菓子を食べて、馬鹿騒ぎをするのだろう。だが。だからこそ、守る価値がある。


「……させませんよ」


氷室は夜空を見上げた。ネオンにかき消されて星は見えない。だが、その向こうには確かな闇が広がっている。


「会長の退屈しのぎのため……そして、あのおバカさんたちの日常を守るため」


彼女は眼鏡のブリッジを押し上げた。その瞳に、冷徹な戦闘モードの光が宿る。


「来るなら来なさい……アメリカ軍だろうが、特級呪物だろうが。私が全て、事務的に処理(排除)してあげますから」


彼女は足早に雑踏の中へと消えていった。その足取りは軽い。迷える羊(ストレイ・シープ)ではない。

彼女はもう、自分の意志で歩く狼なのだから。情報屋は嗤う。政府は震える。そして魔女は、高笑いと共に待ち構える。

舞台は整った。次のショーの演目は『給料防衛戦』。開演のベルが、もうすぐ鳴り響く。

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