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怪異清掃、請負います  作者: 夾竹桃


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12.第十二話

東京、新宿。眠らない街と呼ばれるこの場所には、表の顔と裏の顔がある。きらびやかなネオンサイン、観光客の笑い声、客引きの怒号。それらが表層を覆う極彩色の皮膜だとすれば、その下にはドス黒い血管のように、非合法な欲望と暴力が脈打っている。

時刻は深夜一時。歌舞伎町の喧騒から一本外れた、薄暗い路地裏。「会員制」とだけ書かれた錆びた真鍮のプレートが掲げられた、古びた雑居ビルの地下に、その店はあった。

バー『Stray(ストレイ) Sheep(・シープ)』。迷える羊、という意味深な店名だが、ここに集まるのは羊などではない。狼か、あるいは狼に寄生するハイエナたちだ。

カラン、コロン。重厚な木の扉を開けると、紫煙とアルコールの匂いが鼻をついた。ジャズが低く流れる店内。照明は極限まで落とされ、客たちの顔は陰影に沈んでいる。


「……いらっしゃい」


バーテンダーが低い声で迎える。私は無言で頷き、カウンターの一番奥、壁際の席へと向かった。そこには既に、一人の男が座っていた。


「よぉ。遅かったな、お嬢ちゃん」


男は、氷が溶けかけた琥珀色のグラスを揺らしながら、ニヤリと笑った。無精髭に、着崩した安物のスーツ。年は三十代半ばだろうか。

一見すると疲れたサラリーマンだが、その眼光だけは鋭利な刃物のようにギラついている。

佐久間(さくま)。この界隈で知らぬ者はいない、凄腕の情報屋だ。


「五分前行動です。貴方の時計が進んでいるだけでしょう」


私は隣の席に腰を下ろし、バーテンダーにいつもの紅茶を注文した。ここに来るときは、あの目立つメイド服ではない。

地味なパンツスーツに伊達眼鏡。できるだけ「どこにでもいるOL」に見えるよう擬態している。もっとも、私が仕える「魔女」の名を出せば、どんな擬態も意味をなさなくなるのだが。


「へいへい。相変わらず堅いねぇ、氷室ちゃんは」


佐久間はショートホープに火をつけ、紫煙を吐き出した。


「で? 今日は何の用だ? まさかデートの誘いじゃあるまいし」


「冗談は結構です……情報の精算と、事後処理の確認に来ました」


私は鞄から封筒を取り出し、カウンターの上に滑らせた。中に入っているのは、帯封がついた現金だ。


「例の『研究所』の件。政府側の動きはどうなっていますか?」


数日前、私たちが壊滅させたあの施設。私の生まれ故郷であり、忌まわしき実験場。あそこを地図から消し去ったことに対する、敵のリアクションを確認する必要があった。

佐久間は封筒の中身をチラリと確認し、満足げに懐へ入れた。


「上は大荒れだぜ。ハチの巣をつついたどころの騒ぎじゃねぇ。内閣特務呪術管理局――通称『局』の連中は、顔を真っ赤にして激怒してるよ」


「でしょうね」


「だが、表立った報復はない……今のところはな」


佐久間はグラスを傾けた。


「そっちの会長さんがバラ撒いた『毒』が効いてるんだよ。人体実験の証拠データ。あれが裏社会に流出したおかげで、局は火消しに追われてる。今、御堂アリスに手を出せば、さらなる爆弾を投下されかねないってビビってやがる」


「会長の計算通り、ということですか」


あの日、会長は博士を泳がせ、完成体を育てさせ、そして最後に全てを破壊した。それは単なる暇つぶしであると同時に、政府の弱みを握るための布石でもあったのだ。私の個人的な復讐心すら、彼女にとっては盤上の一手に過ぎない。


「全くだ。とんでもない魔女だよ、あんたのボスは」


佐久間は呆れたように首を振った。


「で、こっちからの情報は以上だ……次は、俺からの質問の番だな」


情報屋の目が、スッと細められた。ビジネスライクな空気が、少しだけ張り詰める。


「質問?」


「ああ。情報はギブ・アンド・テイクだ。金だけじゃ買えないネタもある」


佐久間はタバコの灰を落とし、私の目をじっと見据えた。


「お宅の会社にいる、あの新人のことだ」


心臓が、とくんと跳ねた。私は表情筋を総動員して、ポーカーフェイスを維持する。


「……彼が、どうかしましたか? ただの雑用係ですが」


「とぼけんなよ。俺の目は節穴じゃねぇ」


佐久間は鼻で笑った。


「あの研究所での立ち回り、噂に聞いてるぜ。『完成体』の弱点を一発で見抜いたってな」


「…………」


「あそこの研究員が五年かけて隠蔽した動力炉の位置を、素人が一瞬で見抜くか? ありえねぇ話だ」


佐久間の指摘はもっともだった。佐藤君の「眼」。彼はそれを冗談交じりに「清掃眼(クリーン・アイ)」などとふざけた名前で呼んでいるが、その本質は異常だ。

霊的な構造解析、弱点の看破、隠蔽の無効化。本来なら、高位の霊能力者が数十年かけて習得するような「神眼」の領域に、彼は無自覚に足を踏み入れている。


「どこから拾ってきた? あんな『原石』」


原石。佐久間は彼をそう呼んだ。


「あんな特異な才能を持った人間が、今までどこの組織にも属さず、野良で生きていたなんて信じられん……もしかして、あいつも『作られた』側か?」


「いいえ」


私は即答した。それだけは否定しておかなければならない。


「彼は、純粋な一般人です。借金まみれで、運が悪くて、ただ筋肉質の社長に強引に採用されただけの、一般市民です」


「ふーん……」


佐久間は納得していない様子だったが、それ以上追及するのはやめたようだ。彼はプロだ。相手が「これ以上は喋らない」と線を引いたなら、無理に踏み込もうとはしない。


「ま、いいさ。だが忠告しとくぜ、氷室ちゃん」


佐久間は声を潜めた。


「あいつの『眼』は、遅かれ早かれバレる。局の連中や、他の厄介な連中が、その価値に気づく時が来る……『見る』という行為は、呪術において最も基本的で、最も強力な力だからな」


「……肝に銘じておきます」


「それともう一つ」


佐久間は、指を二本立てた。


「お宅のピンク色の狂犬……『鬼』のお嬢ちゃん(桃)のことだ」


「桃が、何か?」


「最近、裏できな臭い噂が流れてる。『鬼の一族』が、はぐれ者を探して東京に入り込んだってな」


鬼の一族。その単語を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

桃は、自分が鬼であることを隠して生きてきたわけではない。だが、彼女は「故郷」や「家族」について語ろうとはしない。

それは、語るべき過去がないからなのか、それとも語りたくない事情があるからなのか。


「逸れ者……それが、桃のことだと?」


「十中八九な。あの一族は掟に厳しい。脱走者は地の果てまで追って始末するっていう、物騒な連中だ」


佐久間はタバコを揉み消し、残った酒を飲み干した。


「気をつけなよ。政府(オモテ)からは目をつけられ、鬼一族(ウラ)からは追われる……お宅の会社、相変わらず地雷原でタップダンスしてるみてぇだな」


「ええ。会長が退屈しないためには、それくらいの刺激が必要ですから」


私は強がって見せた。佐久間は「違げぇねぇ」と笑い、席を立った。


「情報は以上だ……あーあ、平和なんてクソの役にも立たねぇな」


彼は捨て台詞のように吐き捨て、伝票も持たずに店を出て行った。支払いは私持ちということらしい。相変わらず図々しい男だ。

残された私は、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。渋みが、口の中に広がる。

佐藤君の「眼」。桃の「過去」。そして、政府の「報復」。

研究所の一件は終わったが、それは新たな火種の始まりに過ぎなかった。私はため息をつき、カップを置いた。

休まる暇などない。それが株式会社クライシス・クリーンサービスの社員であるということなのだから。




一方、その頃。深夜のクライシス・クリーンサービス事務所。

静まり返ったオフィスに、麺をすする音が響き渡っていた。俺こと佐藤健太は、給湯室のポットから注いだお湯で作ったカップラーメン(特売品・シーフード味)を食べていた。


「んめぇ……深夜のカップ麺、背徳の味がする……」


汁まで飲み干し、ふぅ、と息をついた。時刻は深夜二時。本来なら寝ている時間だが、残業をしていたわけではない。

単に、事務所のソファで寝落ちしてしまい、空腹で目が覚めただけだ。


「誰もいないと静かだなぁ」


俺は広々とした事務所を見渡した。神宮寺社長は帰宅し(「筋肉のゴールデンタイムは睡眠だ!」と言って九時に寝た)、桃も補習の疲れで早退した。会長と氷室先輩は外出中。

完全なる孤独。そして平和。爆発も、悪霊も、理不尽な命令もない空間。


「……はぁ。普通の会社員になりたかったな」


空になったカップを見つめ、独りごちた。俺の人生は、この会社に入ってから激変した。

借金を背負わされ、壺を割り、雪山で遭難し、殺戮兵器と戦わされ。命がいくつあっても足りない日々の連続。だが。


「でもまぁ、前よりは退屈しねぇか」


以前の俺は、ただ生きるためだけにバイトを掛け持ちし、死んだように日々を消化していた。

それに比べれば、今は毎日がジェットコースターだ。命の保証はないが、少なくとも「生きている」実感はある。


「それにしても、氷室先輩遅いな。こんな時間まで何の用事だろ」


俺はスマホを見た。特に連絡はない。彼は知らない。

今まさに、自分が裏社会の情報屋から「原石」として値踏みされ、同僚の桃に殺し屋が差し向けられようとしていることなど、露ほども知らない。

借金まみれの一般人(のつもり)なのだから。その時、ドアの鍵が開く音がした。


「おっ、帰ってきた」


俺は立ち上がり、玄関へ向かった。ドアが開き、パンツスーツ姿の氷室先輩が入ってくる。


「お疲れ様です、先輩。遅かったですね」


「……佐藤君?」


氷室先輩は少し驚いたように目を丸くした。事務所には誰もいないと思っていたのだろう。


「まだ残っていたのですか?」


「いや、ソファで寝落ちしちゃって。今起きて夜食食ってたところです」


「そうですか……電気代の無駄ですよ」


いつもの冷たい口調。だが、その声色はどこか柔らかかった。彼女は靴を脱ぎ、ふぅ、と小さく息を吐いた。その仕草に、隠しきれない疲労が滲んでいる。


「何かあったんですか? すっげー疲れた顔してますけど」


「失礼ですね。女性に向かって」


「あ、すみません。でも、なんかこう……重い空気まとってるっていうか」


俺の何気ない言葉に、氷室先輩はドキリとした。彼の「眼」は、人の纏う雰囲気(オーラ)の変化にも敏感だ。

佐久間の言葉が脳裏をよぎる。『あいつの眼は、遅かれ早かれバレる』


「……ただの、仕事の疲れです」


氷室先輩は誤魔化すように視線を逸らし、自分のデスクへと歩いた。そして、鞄の中から小さな包みを取り出した。


「これ。差し入れです」


「えっ?」


投げ渡されたのは、コンビニの高級プリンだった。佐藤が目を輝かせる。


「いいんですか!? これ、一個三百円もするやつですよ!」


「情報屋との打ち合わせで、経費が少し余りましたので……賞味期限が近いだけです」


「やったー! ありがとうございます! 一生ついていきます!」


大袈裟に喜ぶ。その無防備な笑顔を見て、氷室先輩の胸に小さな痛みが走った。

彼は知らない。自分が「視られている」ことを。自分が、この異常な世界における「特異点」になりつつあることを。

そして、彼を守るための戦いが、水面下で始まっていることを。


(……この笑顔を、守らなければ)


氷室先輩は心の中で誓った。かつて研究所で「廃棄処分」を待つだけだった自分を、会長が拾い上げてくれたように。

今度は自分が、この無力で、お人好しで、少しだけ特殊な後輩を守らなければならない。それが、人間として――いや、先輩としての矜持だ。


「佐藤君」


「はい? もぐもぐ」


「明日は早出です。社長が『朝の筋肉ミーティング』をすると張り切っていましたから」


「げっ……マジですか。じゃあ今日は帰って寝ます」


佐藤はプリンを完食し、慌ただしく帰る支度を始めた。


「お疲れ様でした! 先輩も早く休んでくださいね!」


「ええ。お疲れ様」


事務所を出て行く。パタン、とドアが閉まり、静寂が戻った。

氷室先輩は一人、薄暗いオフィスに残された。彼女はデスクの引き出しを開け、一丁の拳銃を取り出した。

メンテナンスが必要だ。次の敵は、今まで以上に厄介かもしれない。


「……鬼の一族、ですか」


彼女は呟き、銃のスライドを引いた。カシャン、と冷たい金属音が響く。

日常は続いている。だが、その薄皮一枚下では、常に危機(クライシス)が口を開けて待っている。

ここは掃除屋。汚れ仕事を片付けるのが、私たちの仕事なのだから。

氷室先輩は眼鏡を外し、少しだけ目を閉じた。明日の朝、また騒がしい日常が始まることを祈って。

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