九十三話 感情
白く綺麗な城の一室にいる私はそこから見える壮大な宇宙と、そのせいでちっぽけに思える地球を見上げながら溜息をついた。ここでは風もなく、浮遊していなくても重力が軽いため落ち着ける気がしない。これは霊体が物に触れられなかった頃、どことなく不安を感じていたあの頃と似ている。
部屋の隅に空いた縦長の枠の近くでそう感じている私が、なぜ今このような状況になっているのか。それはここ、ディアという前の世界での月に来た私はカーラという神に会い、その神にこの部屋へ案内されたからだ。この部屋は家具が少なくとても質素で、長らく誰も使っていないということが窺えた。
しかし今はそんなことを考えている場合ではなく、この部屋に案内をしたカーラについて深く、それはもう海よりも深く思考しなければならない。
「う、うう………会いたくない」
私は両手で強く頭を抱えた。女神に会うというのだから、もちろん生半可な気持ちでここまで来たわけではない。オルドムのように何かを目的にし、それゆへに難儀な性格なのだろうと身構えてもいた。けれどもあれ程までに予想外なことになっては憂鬱になるのも当然だ。
あのとき、初めてカーラにあったとき。私は彼女にセクハラをされた。抱き締められるまでならまだ良いけれど、背中の変なところを撫でられ、耳元で鼻息荒げに私の名前を連呼されては身の危険を感じるのもしょうがない。
「オルドムからは命を狙われたけど…………はあ、どうしようか………」
初対面でお互い顔も知らないはずなのに、あそこまで馴れ馴れしく接してくると逆に怪しい。敵意剥き出しなオルドムよりは良いけれど、かといってカーラは別の意味で嫌悪感がある。
(ユウカ、きっとあいつはああやってユウカの警戒心を無くしてから、寝首を掻く気ですよ)
(え、そうなの………?)
(はい。私にはあいつのユウカを見る目が、獲物をとらえようとする狩人のそれと同じような気がします)
しかしこうやって色々と言ってはいるけれど、実際のところとしては少し恐怖していたディアの地で、カーラに会えたことを安心していたりもする。それは私がこの広大な、そして何もないディアをよく知らなのに探索するのは不安なところもあったからだ。
それだけでなく友好的なのであれば、それに越したことはないのだから。
「ごめんなさい。待たせてしまったわね」
「ああ、いえ………って、どうしたんですか?」
遅れてきたカーラが気恥ずかしそうに振る舞いながら扉を開けると、私の目には先ほどとは違う派手で大きなそれが見えた。先ほど話していた時は特に目移りするところは無い白色のドレスだったのに、今見えるカーラの服装は大きな帽子に、フリルが全体につけられた派手なドレス。胸元は大胆にも広く開いていて挑戦的だ。
「え? その、これは……久しぶりにお洒落をしてみようかと………どうかしら?」
「えっと………似合っていると思いますよ」
「そう? それなら良かったわ!」
カーラは私のその言葉を聞くと軽く地面を蹴って浮遊し、私がいる近くの椅子に腰をかけた。その姿はどこか嬉しそうで、見た目から感じられる大人の雰囲気とは裏腹に恋する乙女のようだ。
「あはは…………そ、それじゃあその……カーラ、さん」
「カーラで良いわよ。私もあなたのことをユウカと呼ぶから」
「そ、そうですか……カーラ」
「そう堅苦しくしないで。もっと気楽に話しましょう……!」
こんなにも距離が近いと一瞬気を抜いてしまいそうになる。しかし、この雰囲気で忘れてしまいそうだけれど、この人は。いや、カーラは女神なのだ。そこを見誤らずにいなければ後悔することになるかもしれない。
「良い、ユウカ?」
「はい、じゃなくて……う、うん。カーラ」
「フフ」
それから私はカーラに聞こうと思っていたことを頭の中で整理した。
やはり気になるのは私のことに関してだけれど、しかしそれよりも早く知っておいた方がいいのはアンナとエレノアに関してだろう。なぜアンナに加護を与えたのか。そしてあの出来事以降のアンナの変わりようはなんなのか。
「カーラは、アンナが不老不死を求めた理由を知っているの?」
「………」
「私はアンナが生きてきた記憶を見てきた。結構長い間………でも、最後まで不老不死を夢見た理由がわからなかった………だからもしかしたら、カーラはそれを知っているのかもと思ったんだけど……」
私の問いにカーラはしばらく沈黙した。何を考えているのかは分からない。もしかしたらやましいことがあって、その言い訳を思いつこうとしているのかもしれない。しかし私はこれを単なる好奇心で聞いたわけではない。もしもカーラが何かをして、その結果アンナがああなってしまったのなら、私は彼女に対してはっきりとした嫌悪感を抱いてしまうかもしれない。
そうやって湧き上がる感情を沈黙の間抑えていると、カーラは口を開いて言った。
「あれは私ではなく、あの子の祖父がもたらした影響よ」
「え! そう……なの……?」
「ええ……あの男はね、ある時から不老不死という存在に憧れていたの。アンナはそれを実現させるための生贄だった。私もどうやってそれを実現しようとしていたのかは分からない。けれどあの日、男はそれを実行するために館の人間を使ってキメラを作り、その身体を乗っ取った」
あのおぞましい姿の霊体が人間を繋ぎ合わせたものなのは記憶を見たから知っていた。けれどその時になぜ就寝中のアンナも一緒に取り込まなかったのか。
私はそこが気になりカーラに質問したけれど、彼女自身もその理由は知らないらしい。ただ、きっとアンナの祖父は思慮を深めれば深めるほどその夢の実現が遠のいていくのを知り、同時に老化による死への焦りからあのような意味の分からない行動を取ったのだろうと、カーラは自分の考えを話した。
そしてカーラは次に外に目を向け、今度はなぜアンナがあのような状態になったのかを話した。曰く、祖父がアンナの元へ迫り取り込もうとした瞬間にあの光を使って助けたけれど、その時すでに霊体からの侵食はアンナの内側の方の霊体にまで及んでいた。なのでなんとかその侵食を喰い止めるために尽力はした。けれど最終的に祖父の「不老不死になる」という思いと、その残虐性がアンナに残りあのような性格になってしまったらしい。
「それじゃあカーラは、助けようと……?」
「そう、なるわね………けれど、結局は助けられなかった」
カーラの考え、思い。それは意外なものだったけれど、これで良かったという安心もある。むしろ、私はカーラが優しい存在であってほしいと、そう望んでいたのかもしれない。
「……じ、じゃあ加護を私に分からなくしていた理由は? 聞いた限りだと、隠す理由がないように思えるけど……」
「それは私も話をしたいと思っていたの………でも、その前に謝らなければいけないことがあるわ」
「謝りたいこと……?」
「ええ…………エレノアのことで……彼女の感情は私が変えたの」
「……え」
まるでジェットコースターのようだと思った。アンナのことで安心する私に、上げて落とすようにそんなことを言うのは。そのことで私の感情はとても不安定になった。
この話を聞いているエレノアは今、どんなことを思っているのか。動揺して声も出せない私はそれが頭では分かっていても、心の中にいるエレノアに聞くということができずにいた。
(ユウカ)
(……ノア………わ、私、どうすればいいのか。混乱して………)
怒ればいいのか、悲しいと涙を流せばいいのか。色々な感情が生まれては消えていく。カーラの言ったことの意味を再度考え、そして更に分からなくなる。なぜそんなことをしたのか。どうしてそんなことが出来たのか。
(落ち着いてくださいユウカ)
(……ノアはなんでそんなに落ち着いていられるの? 感情が……だって………)
(ユウカが私以上に悩んでいるからですよ……確かに、気持ち悪いと思う部分もあるのですが………今はもう、ユウカがいるので問題ありません)
(………許せるの? カーラを)
(私は…………私は、敵意を向けられません。だから私は彼女をどうもしません)
それはエレノアの意思なのか私には分からなかった。しかしカーラはまるで心を弄ぶような、そんなことを平然とやってのけるような性格なのだろうか。そう疑問に思った。
「………あの時は私も余裕がなくて……今は反省しているわ………いえ、よしましょう。言い訳はしないから、私をどうしようと二人に任せるわ……」
「………なんで、そんなことを?」
「……ユウカのためになると思ったの」
「私の?」
「ええ………未来にユウカと出会えると知った日から、私の頭にはそのことしかなかった。ユウカと何を話そうか、どんなことをしようか……そればかり考えていたわ。そしてユウカがこの世界にやってくる日、私は新たな身体に宿ろうとしているあなたの霊体に触れようとした………けれどそれは出来なかった。でもそれは予知ですでに知っていたわ。だからアンナに不老不死のためだと嘘を言ってエレノアの魂を手に入れさせた……本当に愚かだったと、今はそう思う。傲慢だったと………」
倒れ込むように椅子から降りたカーラは、子犬のように私の膝近くまで来ると、許しを請う訳ではなくただひたすらに謝り続けた。
その様子を見ていた私は怒りが湧き上がってきたけれど、カーラの境遇を思い出して言葉にまで出せないでいる。ただ一人、常人が想像も出来ないほど長い間彼女をはここにいた。
しかしそれならば仕方ないとこの感情を飲み込むべきなのだろうか。カーラのせいで殺された命があるというのに。
(ユウカ……私はユウカのしたいようにすれば良いと思います)
(ノア………)
「戻せないの?」
「え……」
「ノアの感情は、戻せないの?」
「………私には………」
「そう」
傲慢な私のせいで黒猫は今心を閉ざしている。だからもう、そんなことはしないと決めていた。
(けれど……これは、これだけは………!)
私はひざまずくカーラの前に背を低くしてその手を取り、目線を合わせて言った。
「約束して。もうこんなことは、二度としないと。約束できないのなら、私がノアの代わりにあなたを絶対に許さない……!」
「…………はい」
静かなディアの空間、動かないでいるカーラ、そしてしばらくの沈黙が私を時が止まったのではないかと錯覚させた。
しかしよく見るとカーラは目元に小さな涙を溜めていて、これで良かったのかと悩む私は少し戸惑ってしまった。
それから私はカーラに連れられ、この城の中を見て回った。
投稿遅れました。
しかもきちんと確認していないため誤字が……ごじ、ごじ……いまは五時です。




