七十三話 神域の自覚<一>
巨大なオルドムの顔が同じ位置に来るほど上昇し、ミノタウロスの霊体が攻撃する為に飛んでいくのをそこから確かめた。
身体が数十、もしかすると数百メートルはあるように見えるオルドムと比べると、ミノタウロスが滑稽な程に小さく思えてしまう。けれどミノタウロスは私の出せる攻撃の中で最大の威力を持っている。すなわち、ミノタウロスの攻撃が通用しないとなると勝てる可能性が大きく減ってしまう。
一体のミノタウロスはオルドムの腹辺りまで来ると、不安な私が見つめるなか自身の右腕を至近距離で腹に放った。
すると攻撃の当たった腹がへこみ、傷口から赤い血が噴き出てきた。私はこいつに赤い血が流れていたことが驚きだったが、何より攻撃が効いていることに安堵した。
そして今度はミノタウロス一体だけでなく、数十体を一気に出して攻撃させた。
数十体のミノタウロスは一直線にオルドムまで飛んでいくと、間近に来た途端振り上げた右手を一発、次に左手で一発とひたすら連続して攻撃した。
オルドムの身体はミノタウロスの攻撃で楽々と傷つけられていき、光り輝いていた先程とは違い全体的に赤く染まっていった。表面を進みながら殴り続けられたせいか、綺麗だった肉体もボロボロになっている。
思っていたより拍子抜けだけど、これならあいつに勝てる。偉そうに裁きだと言っておきながら、結局そんなに強くないって………でも、こっちとしては好都合。ある程度負傷を負わせたあと、この世界にいる筈のニャン太を探し出して、元の世界に連れて帰る。
(何か、おかしい気が………)
(どうかした?)
(ユウカ、何故オルドムは私たちを攻撃してこないのでしょうか?)
黒猫のことを考えていた私は、ちっとも考えていなかったオルドムの状態を確認した。
すると確かにエレノアの言う通り、ミノタウロスから絶えず攻撃されているにも関わらず、動じず喋らずオルドムは突っ立ている。
(確かに、なんで………)
(何か企んで………しかしそんな様子は……)
身体に攻撃を喰らっても、目玉を潰されても、オルドムは動じることなくまるで山のように堂々としている。
(堂々………ですがあれは、どちかというと抜け殻……)
エレノアがそう言いかけた瞬間だった。数々の戦場を潜り抜けてきたわけではない私ですら、鈍器で殴られたような殺意を感じ振り向いた。
え…………?
そこには今ミノタウロスが攻撃している筈のオルドムが、普通の大きさで私の後ろに浮遊していた。
一瞬訳が分からず止まっていた私は、左腕を軽く上げたそいつを見て一気に警戒心を取り戻し、何はともかく逃げようとした。
けれど間に合わず、目にも留まらぬ速度で左腕は私の腹に命中した。私はその拳が腹のど真ん中にめり込み、とんでもない激痛を感じた。
そしてその反動で私は体験したこともない速さで地に叩きつけられた。
「うぐッ……痛い…………」
攻撃された腹がズキズキと痛み、どうなっているのかと私はそこを見た。しかし大きく穴が空いた腹が目に入ると、思わず目を伏せて手で腹を押さえた。
霊体化している私には攻撃が当たるなんてことはない筈。それなのに私の腹に攻撃を当てたあいつはなんなのか考えた。もしかするとあいつは私と同じ霊体で、だから同じ霊体の私に攻撃を当てられた。や、魔法か何かに霊体を攻撃できるものがあり、アレがそうなのだなど色々考えた。
(ユウカ!)
するとエレノアの叫び声が頭の中で響き渡り、ハッと目を開けた私はこちらに迫り来るアレを見上げた。
静かに、しかし超スピードでそいつは私の元まで距離を詰めた。私はそれに少し動揺したが、まずは攻撃に当たらないようにと霊体の魔力を弱めた。
そして迫ってきたそいつは私の目の前まで来ると、今度は右腕で顔を狙ってきた。
しかし魔力を弱めておいたお陰でそれは空振りに終わり、その隙に私はそいつから遠く離れた。幸い痛かった腹は、霊体の魔力が弱まったためか痛みを感じないまでになっていた。
私はそいつがいる足場から離れた場所で浮遊して、次に何をするのか警戒して眺める。ふと腹を見ると、未だに穴が空いているのが見えさっと治した。
(一体アイツは………)
(霊体を見ましょう。そうすれば元の形が分かります)
私は霊体を見るために魔眼を使い、こちらをじっと見つめるアレの霊体を確認した。
え、何これ………? 霊体が、無い…………でもそんな筈は。
そいつには身体の何処にも霊体が無かった。つま先から頭のてっぺんまで。魂を覆う内側の霊体でさえも。流石にそんなことを予期していなかった私は、一体どうなっているのかと大きい方のオルドムを見た。
すると驚くことに、そいつもアレ同様に霊体が無かった。
それどころかよく見てみると、この場所のあちこちからは一切の魔力が出ていない。普段であれば、オルティアの光などから多少の魔力が見れる。しかしここは足場や空中は勿論、明らかに魔力を放っていそうな真下の光からも魔力を見ることができない。
「何が、どうなって……」
「フ……フハハハ! やはり愚かだ」
オルドムは急に笑い出すと、私にそう言って罵った。けれど喋っているのは巨大な方ではなく、普通の大きさのオルドムだった。
「何が!」
「お前は今ここが何処なのか忘れたのか? ここは私の領域、私の世界、私の宇宙なのだ!」
「………だから」
「フッ、まだ分からないか………ここは光と闇の世界ではなく、私だけの世界。そして私の世界は私の中にある。つまりお前は私の魂と同じ場所にいるのだ」
なか………そう言えば骸骨さんが前に言っていた気がする。けどそれが何で魔力が見えないことになるの? こいつは一体何が言いたいの…………。
「ふう、まだ分からないのか。それ程の力を有しているのにも関わらず、知識は拙いのか?」
「なにが……」
「私の霊体はある………しかしその中にお前がいるのだ。見えていないのではない。ここにある全てが霊体なのだ」
霊体の中に………ということは!
世界とはその者の霊体の中にある。それは文字通りではあるけれど、今まで良く理解しきれていなかった私にとって、曖昧でボヤボヤとしたものだった。しかし今私は胃の中で徐々に消化されている状態だと理解した。
私の霊体は相手の霊体を攻撃する。しかし目の前にいるオルドムは魂の無い人形同然。何度倒そうと、何度破壊しようとオルドムに魂がある限りこの戦いの終わりはない。
「ふん、この無知が。無垢であるならばまだしも、お前は無知であると言わざるをえない。そしてそれは罪だ。罪は裁かねばならない。
それはもう既に死んでいるようなもので、ニャン太を助けようとすることは自ら死へ向かう間抜けな行為だったのか。
そんな絶望が私を襲い、戦う気力を大きく削ぎ落としていった。
(落ち着いてユウカ! きっと何か方法がある筈………それにそもそも勝てないのなら…………)
(どうしたの……?)
(……いえ。しかし、きっと何か………)
もう私に逃げ道はない。何処へ行こうが霊体によって阻まれる。それにオルドムはいつでも何処からでも攻撃することができる。そんなのの何処に勝ち目が………けれど何だろう。私はどこかで、内側の霊体を壊したことがあるような………誰かを殺した………いや、それよりも酷い。死ぬことすら生ぬるいことを………。
微かにチラつく記憶の影が、あの日までの、エレノアと一緒になる日までの私を思い出させた。記憶が途切れ途切れになり、聞いたこともすぐに忘れ、エレノアが不機嫌になった日のことを。
その時に私は誰かを…………。
「さあ、裁きの時だ………」
「ハッ!」
オルドムがそう呟き、こちらへ迫ってこようと浮遊したのが見えた瞬間、目と鼻の先に突然オルドムが現れて私を殴った。
その攻撃で結構な距離に飛ばされる私だったが、痛みはそれ程なく、それよりも殴られたことに驚いた。
しかし何も不思議なことではない。ここは全て霊体で出来た世界なのだから、どんなに魔力を調節しようと相手もそれに合わせればいいだけなのだから。
その後もオルドムは絶え間なく私に攻撃を浴びせ続けた。
吹き飛ばされた先で霊体を造ると殴り、そしてまたその先で霊体を造り殴る。痛ぶっているのか、何故か決定打のようなものはなく、只ひたすらに私は吹き飛ばされ続けた。
流石に私もミノタウロスだけでなく、人間やウルフなど様々な霊体で応戦したが、そんなものはお構いなしに私だけが殴られている。
(ユウカ!)
身体の大部分が壊され、もう残っているのは胴と頭だけになった私は、まさか内側の霊体も壊されないかと焦った。
しかしエレノアの私を呼ぶ声が聞こえた途端、オルドムの攻撃がピタリと止んだ。
「な、なに………あ」
「ふむ、これは……何処かで見た姿だ」
私は黒猫が殺される前、ある実験をしていた。それは、ミノタウロスやウルフの霊体が出せるのなら、私の中にいるエレノアも出せるのではということ。
そして今目の前にいるのはエレノアの霊体。しかし私はそれを出した覚えがなかった。
(もしかして)
(私の、霊体………出せました)
私ではない。エレノア自身が霊体を造り出していた。
--ソフィア視点--
「はあ……行かせてよかったのかしら?」
ユウカが黒猫を救い出しにオルドムの世界へ赴いて数時間後。もう既に日が暮れ、空には青白く輝くディアが新都を照らしている。
「雨、止んだわね………」
ユウカは何故かあの獣人に深く情をかけているように見える。確かにあの子の境遇は同情を煽るものだし、気持ちは分からなくもないけれど………ウゥン、私はどうも好きには……。
けれどユウカ、無事かしら………あ、まずい。そういえばユウカは霊体が破壊されると光を………神殺し、なんてことにならないといいけど。
「は、はは……ん?」
今日のディアはやたらと明るいわね………まさか、カーラ………いや、まさかね。
世界の説明が分かりにくいような………ま、まあこの章の終わりにきちんと書きます。




