六十八話 魚で餌付け
その日はソフィアからの熱い誘いを断り、遺跡破壊をしようとしていた日だった。少し遅い昼前に神殿を出た私は、神都の住宅街付近で浮遊しながら何やらうごめく影を見つけ、気のせいかとも思ったけれど一応近づいてみることにした。するとそこにはひたすら神都の外に逃げようとする黒猫の姿があり、私は思わず人間の霊体を出して逃げる黒猫の身体をガシッと掴ませた。その後はニャアニャアと騒ぐ黒猫を牢に入れ、これで良しと私も遺跡破壊へ向った。しかし次の日、熱中するあまり日を跨いでしまった私たちは神殿に帰る途中、ふと見た監獄でまたも脱走する黒猫を見つけて捕獲した。
「はい、どうぞ」
「ニャァ……あむ、あむ」
けれど捕まえた黒猫はソフィアと私がいる前で騒ぎながらもう一度逃げ出すと大声で言った。ソフィアはそれに困ったような表情をしながらも、私に思い付いたことを耳打ちした。それは黒猫に魚をあげる代わりに逃げ出すのをやめてもらうというもので、黒猫は少し悩んだあとに満面の笑みでこれを承諾した。そして今、私はソフィアに渡された数匹の小魚を黒猫に届けていた。
「美味しい?」
「ニャア!」
黒猫は小魚を三匹同時に頬張りながらそう言った。どうやら美味しいらしい。
(………火を通さなくて良かったのかな?)
(……どうでしょう?)
私たちは黒猫が小魚を食べ終わるまで傍でモフモフしたいと思いながら見守り、それが終わると黒猫は小魚の骨をポイッと近くにあった机の上に投げた。
そしてお腹が膨れて眠くなったのか、大きなあくびをするとベッドの端でスヤスヤと眠り始めた。
「…………ね、寝た」
この猫ちゃん、マイペースだ。色々聞きたいことがあったんだけど…………まあ、それは明日でもいいか。私も遺跡破壊しなきゃいけないし。
私は丸まって眠る黒猫を見ながら遺跡破壊の為に監獄を出ようとしたが、そのあまりに可愛らしい姿にまた触れてみたくなった。
そこで私は少しくらいなら良いだろうと、檻をすり抜けて黒猫に近づくと右手で黒猫の頭を撫でた。
「おォ……おお!」
黒猫の頭は手のひらよりも大きく、前の世界の猫とは違って触りごたえがある。人間の子供程の大きさしかないけれど、前の世界の猫とは倍以上の体格差だ。
異世界の獣人って、てっきり猫耳と尻尾だけ生えた殆ど人間と変わりない姿だと思っていたけど、これはこれでかわゆいのォ………ウリウリ。
私は少し強めに黒猫の頭を撫でてその感触を楽しんだ。
「…………ぬ、ニャア! ニャにするニャ!」
「ぬわ! 御免なさい」
「全く………フンッ、もう少し優しくニャでろ」
黒猫はそう呟いてまた眠りについた。私はそれを見て撫でるのは良いんだと思いながら、もうやめておこうと後ろ髪引かれる思いで遺跡破壊へおもむいた。
そして私が黒猫のお魚当番になって一週間が過ぎ、毎朝三匹の小魚を黒猫に届けていた私は、
「だからニャア、俺は思うんニャ。貴族って奴らは全員腹黒ニャんじゃニャいかと」
黒猫が行ってきた仕事の話をするくらいには仲良くなっていた。内容は大体が仕事の愚痴か、活躍した武勇伝かのどちらかだが、そのどれもが陰鬱とした暗殺などで、それを平然と話す黒猫に私は哀れみを向けるべきなのか迷った。
「んン? どうしたんだ急に黙って」
「ああ、いや………気になってたんだけど、なんでそういう事してるの?」
「…………」
ソフィアから前に聞いた話だと、獣人は決まったところに住まず移動しながら暮らしていると言っていた。それがどんな環境だったかは分からないけど、よほど酷くはない限りそんな事をしようと、私は思えない。
私は質問して黒猫を見たが暫く黙っているのが目に入ると、聞いて良かったのか不安になり慌てて質問を撤回しようとした。
しかし黒猫は、
「お前、知らニャいのか………まあ、知ってる奴は少ニャいか」
「え? 何を?」
「黒毛が獣人に忌み嫌われているという事を……ニャ」
黒猫は今までに聞いたことないくらい冷めた声と表情で語った。自分の生まれと、その生い立ちを。
「俺は獣人たちが暮らす村で、黒毛として生まれたんニャ。ああ、獣人は皆んな旅をして生きていると思われがちニャんだが、同じ場所に住み続ける獣人もいる。俺の村がそうだった。そんで俺の生まれた村はそれニャりに人間と良い関係を持っていたんニャけど………まあ貧しかった。そんニャある日俺が生まれて、普通は殺すらしいんニャけど、俺は金と引き換えに売られたんニャ」
それは今までそんな事を考えてこなかった私にとってあまりに現実味がなく、私はそんな境遇にあった黒猫にどんな言葉を掛けようか全く思い付かなかった。
「あの、その…………ごめん」
「ん? ニャにしんみりしてるんニャ。売られたと言ってもそれ程悪い暮らしじゃニャかったニャ。買われるのはいつもお貴族様で、寝る場所もそこそこだったし」
「へえ………話してくれて有難う」
「……いんニャ、俺も少し気が楽になった」
それから私と黒猫の談笑は盛り上がり、監獄を出る頃には辺りは暗く静かだった。
今日は流石に遺跡を探しに行けないと思った私は、神殿の自室へ戻り明日は遺跡へ行こうと寝ようとした。
「ユ、ウ、カ」
「ぬわ! ソフィア!?」
ベッドで横になる私は壁からスウっと出てきたソフィアに驚きの声を上げた。
「どうし……というか、なんで扉から入ってこないんですか」
「いやァ、霊体が楽で………と、それで少し話しがあるんだけど……良い?」
私は喉まで出かかった言葉を一旦飲み込み、その返事に頷いてベッドから起き上がった。
ソフィアは私の隣にフワッと腰をゆっくりおろすと話し始めた。
「まず初めに、ユウカが今も私に与えてくれる加護には感謝しているわ。この加護が無ければ霊体でいる事もできなかった」
「いや、そんな………私もあの時は必死だったし。感謝される程では……」
「ふふ、それでも感謝してるわ。あの時は本当に有難う」
少し改まって話すソフィアに緊張を覚えながらも、感謝されることは素直に嬉しかった。
そして話しとはこの事だろうかと思っていると、ソフィアは突然立ち上がって、
「それで本題なんだけど……もうすぐ私の身体……肉体が元に戻るの。酷い傷だったから治すのに結構な時間を要したけど、これで私は自分の肉体に戻れるというわけなのよ」
「ああ! 良かったですね」
「それでねユウカ。その後についてなんだけど…………私に与えている加護を絶ってもらえないかしら? 勿論勝手なのは分かっているけど、その…………」
ソフィアは気まずそうではあるが、私の目を見てそう頼んだ。
そういえばこの前、私の加護について思うところがあると言っていたっけ。ソフィアはそういうのが分からない私から見ても信仰心が強いし、確かにそれなら別の加護があるというのは良い気がしないのかもしれない。
「分かりました、良いですよ。それは私の決める事じゃないと思いますし」
「そう、良かった……」
(元々ソフィアを死なせない為の加護だったし、ソフィアがそれを望むならそうした方がいいよね)
(そうですね)
私は安堵するソフィアを横目に、一つの疑問が浮かんだ。
「そういえば、加護ってどうすれば消せるんですか?」
「え………!? 分からないの?」
「………はい。ははは」
私は半笑いでソフィアにどうすれば良いか尋ねると、ソフィアは焦るものでもないと、その時になったら教えると言って部屋を出て行こうとした。
しかしそこで、私は頭にふと浮かんだある事をソフィアに伝える為、出て行く直前で呼び止めた。
「どうしたの?」
「ちょっと、頼みが……」
私が思い浮かんだ事。それは牢に捕らわれている獣人の事だった。
あの猫ちゃんはあんな狭い場所で長くいて苦しい筈。現にここ数日猫ちゃんは狭い檻の中で窮屈そうに運動をしている。どうにか外に出してあげられないものか。
私はそれをソフィアに相談した。
その間ソフィアは随分と悩んでいる様子で、頼み込んだ私がこれは駄目かと思っていたところ、まず一言、
「難しいわね」
と言った。流石に私自身無理を言っているのは分かっていたし、断られるのも予想していたので仕方がない、そう言おうとしたところ。
「でもそうね………」
「え?」
「ねえユウカ、知ってる? 獣人は無くした物や探したい人を見つけるのが上手だって」
「へえ、そうなんですか」
「……ふふん」
何故か誇らしげな笑みを浮かべるソフィアから、私は黒猫の外出を許可するという言葉を貰った。驚いた私が理由を聞いてみたところ、どうやらソフィアの剣に関係があるらしい。なんでも、未だに剣探しは難航を極めているようで、手がかり一つ見つけられずにいるという。それに痺れを切らしたソフィアは、物探しの達人である獣人に探してもらおうと今、考えたらしい。
「良いんですか? そんな簡単に」
「良いのよ。けど、逃げられないようにしてからね」
次の日、黒猫のいる檻の前で私とソフィア、それと数人の兵士が黒猫を檻の外に出した。
「なんニャ!? なんニャ!?」
「猫ちゃん。外に出よう!」
「…………ニャ?」
黒猫は呆然としたまま状況が飲み込めない様子だった。




