仙術の入り口
「さて、それじゃあ早速気を扱うための修行を始めるよ」
「え、今から? さすがにもう遅いし、今日は帰った方が……」
意気込むツキヒには申し訳ないが、この『空間球』の内部に入ってからは既に半刻が過ぎており、ここからでは分からないが辺りは暗くなっている頃だろう。自分としては時間が惜しい限りではあるが、さすがにツキヒを巻き込むのは忍びない。
「あー、それは無理だね」
「え?」
言い切ったツキヒを見て首を傾げる。
「望月ゼミにたくさん『空間球』があったでしょ? あれらの転移門の魔力運用は望月先生が行ってるから、そのタイミングじゃなきゃ出られないんだ」
部屋一面に設置された『空間球』を思い返す。確かにあれほどの数を一人で操作し続けるというのは無理があるだろう。
「先生はそれを時間設定で自動化してるみたいだから、先生が寝てようが研究室にいなかろうが時間になれば出られるんだけどね。現実世界であと二時間ってところかな」
「それじゃあしょうがないか」
『空間球』の仕様を把握している限りでは、ツキヒは少なくとも二時間は出られないことを考慮済みのようである。どのみち出られないのならばこの時間を活用する他なかった。
ところで一つだけ疑問に残ることがあった。
「……ん? 今現実世界で、って……」
「この場所は現実世界とは時間の進みが違うんだ。大体五倍くらいかな」
二時間の五倍、つまり十時間ほど修行の時間を設けられるということだった。誰にも見られない広い空間といい、まさに修行にはもってこいの場所だ。
「じゃあ始める前に、一度魔力を使い切ってほしいんだ」
「え? どういうこと?」
「体内エネルギーである気を感じ取りやすくする為には、同じ体内エネルギーである魔力の存在はちょっと邪魔なんだ。魔力が無い状態で身体の中の力の流れを感じ取る、ということ」
「なるほど……でも僕は、魔力を使い切ることはできないんだ」
現在のヒノワの魔力は、妹のヒナタと謂わば共有状態にある。ヒノワの魔力を使い切ることは、そのままヒナタの死に直結してしまうのだ。
「使い切れないって……どうして? 君は魔力量が少ないんだから、すぐになくなると思うよ?」
「ちょっと……ね。他の方法は無いかな?」
「ちょっとねぇ……無いことも無いけど……」
理由を話さないヒノワの様子に、少し納得がいっていないようである。だがヒナタのことを説明すると、自分の過去や復讐についても話さなくてはならなくなる。先ほど眩しいとさえ思った彼女に、そのような黒い自分は見せたくなかった。
「どんな方法?」
「私の気を直接、肌で感じてもらうの。一番手っ取り早い方法でもあるんだけど、その分危険があるんだ」
直接感じるということは、先ほどヒノワを飛ばしたような気を、魔法障壁を張らずに受けるということだ。二十メートルも吹き飛ばした力を生身で受ければ、ただでは済まないだろう。
「うん、それでいこう」
「良いけど、痛いよ?」
痛いだけで済めば良いのだが、実際こうするしか手がない。
「……治癒魔法使える?」
一応、保険として聞いてみた。
「……使えないよ」
悪魔である彼女は見た目以外の特徴として、魔力適正が高いが属性を一種類しか扱えない。治癒魔法は完全に専門外だ。提案した彼女でさえ不安を覚えてきた。
「……今日はやめて、後でヒメちゃんに一緒してもらう?」
「うーん、でも……」
「大会までに隠し玉を持っておきたい気持ちも分かるけど、どうせイッチーとの決闘で見られちゃうんだし、仕方ないよ」
ヤマト達は友達だが、こと大会のこととなれば敵同士。絶対に負けられないヒノワにとって、少しでも勝ち目を増やしておきたかった。しかしツキヒの言うことも最もであり、一か月後に控えたハジメとの決闘は記録に残ってしまう。どのみち手の内が知られてしまうのならば、お互い全力でぶつかり合うのも良いかもしれない。
「そうだね。死にかけるならまだしも、死んじゃったら元も子もないし」
「死にかけるのは良いんだ……」
その言葉に、強さに対する欲を感じた。大会の参加について二つ返事で答えたツキヒであったが、本当に勝つつもりでいるヒノワを見ていると自然とやる気が出てきた。
「じゃあ気の扱いは後にして、君に仙術を教えてあげます」
「よろしくお願いします」
「まず訂正しなくちゃいけないんだけど、さっき見せた移動術は気を扱うだけじゃできないんだ」
「え、そうなの?」
気を扱うというのは、単純に言えば身体能力の強化である。一足で移動することは可能だが、ツキヒのように音もなく、何度もというのはそれなりの技術がいる。
「そう。それが仙術。つまりは足運びと呼吸、所謂縮地術だよ」
縮地術とは足捌きと呼吸によって一瞬で距離を詰める移動術のことであり、それは時に武道やスポーツでも用いられる技術である。
「あれがただの足運び……?」
「うん。行くよ?」
そう言い目の前に立ったツキヒが一瞬で消える。
「!?」
振り向くとそこには小首を傾げたツキヒがいた。
「今のは気も魔力も使ってない、ただの足運びと呼吸だよ」
思わず息を呑む。気を使った身体強化による移動術とばかり思っていたが、間違いなく厳しい修行の先に到達し得る絶技だった。




