異空間
火那魔法学園に数ある棟の内の一つ、研究棟。文字通り棟の部屋全てが研究室であり、学園の教師をはじめ研究室に所属する生徒たちも日夜研究に勤しんでいる。
その研究棟二階の一番奥の部屋、望月ゼミ。今も異空間について研究しているであろうその扉を、ツキヒが開け放った。
「こんにちはー!」
「こ、こんにちは……」
研究室というにはあまりに狭い室内。天井まで届く棚が壁中に設置されており、その棚全てに人の頭ほどあるガラス玉が所狭しと並んでいた。そんな異様な空間の最奥、一つしかない机に一人の少女が腰かけていた。
「あらあらツキヒちゃん、こんにちは。武器のお手入れ?」
少女は柔らかい笑顔でツキヒを迎え入れた。一つに編み込んだ黒髪を首元から前に垂らし丸眼鏡をかけた少女の笑顔は、その幼い容姿からは想像もつかないほどの包容力を含んでいる。
「こんにちはカレン先生。今日は会議と修行の為に家を使おうと思って」
カレン先生と呼ばれたこの少女こそ、望月ゼミを受け持つ教師、望月カレンである。見た目こそ幼い少女だが歴とした成人女性だ。人間ではなく小妖精だった。小妖精は人間の肩くらいまでの背丈しか無いが、その小さな見た目からは想像もつかない程の筋力と魔力を持ち合わせている。
「あら、そちらは……?」
ヒノワの存在に気付き問いかけた。
「はじめまして、黒子ヒノワです」
「あらあらまあまあ、噂の編入生君ね! 嬉しいわ、こんなところに足を運んでくれて!」
カレンの眩しい笑顔に、思わず初対面の緊張が吹き飛んでしまった。
「ガラス玉しかない部屋だけれど、ゆっくりしていってね。ってあら、もう行っちゃうのかしら?」
「うん。じっくり話し合いたいこともあるから」
ツキヒは壁中にあるガラス玉の一つに近づき、手のひらを当てた。このガラス玉は魔法具の一つ、『空間球』。ガラス玉の中に空間が見えるが、これは現実世界のどこかにある別空間であり、そこに転移するための魔法具である。
「ヒノワ君、また今度ゆっくりお話ししましょうね」
「はい、是非」
「それじゃ行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
「転移!」
ツキヒが唱えた瞬間、目の前が真っ白に光り思わず目を瞑る。
「−−!」
目を開くとそこには、広大な草原が広がっていた。前方には草原の先に海があり、水平線の先には何も見えない。後方には居城が聳え立っていた。
「こんな広い世界が、あのガラス玉に……」
「『空間球』は空間を内包してるわけじゃなくて、空間を映しているんだ。ここは現実世界の何処かに実際にある場所だよ」
尤も、転移したこの空間は現実世界を依り代に創り出された並行世界、所謂パラレルワールドであり、並行世界の一つでしかないこの空間には彼らしかいない。
「ここは並行世界だから、どんな会話も聞かれないしどれだけ暴れまわっても迷惑にならない。便利でしょ?」
「初めて体感したけど、凄いねこれは……こんな広い世界を使い放題なんて」
『空間球』に映し出された空間は謂わば空間の保存状態を表しており、どれだけ辺りを破壊したとしても一日も経てば全て修復してしまう。魔法を用いた大規模な特訓をするには打ってつけの空間である。
「さて、まずは私が魔法を使わない理由なんだけど……あれがちょうど良いかな」
「うん……?」
そう言ってツキヒは懐から取り出した短剣を頭上に放り投げ、媒体の指輪をはめた右手を前方にある岩に向けてかざした。
「来たれ土精、纏えよ雷精! 引き合い反り合う大地の力を羊飼いの下に示せ! 『電磁玉』!」
呪文を唱えると、かざした右手から出現した半透明の鉛色の球体が前方に放たれる。球体が岩に着弾すると、バチッ、と音を立て霧散した。
「これは……」
ヒノワが息を飲んだ瞬間、落下途中にある短剣が不自然に軌道を変え、岩に向かって真っ直ぐ飛んでいく。
「!」
落下時よりも遥かに速度を加えた短剣は、岩にぶつかると同時に岩を粉砕した。
「これは磁力魔法……適正が無いと使えない限定魔法だよね」
「その通り。使えば中々強力なんだけど、適正が無いと使えないってところが厄介なんだ」
苦笑いを浮かべながら地面に突き立つ短剣を拾い上げる。
「厄介……?」
「珍しい物を欲しがる人たちが、いるってこと」
珍しい種族や魔法を集めている、所謂コレクターと呼ばれる者たちが存在する。彼らは己の収集欲を満たす為、時には手段を選ばずに行動に走ることもあるのだ。
「なるほど、それが魔法を使わない理由なんだね」
「うん。そして魔法を使わない為に身につけた戦い方がコレ」
言い切るよりも先に、ヒノワの腹部に拳を向ける。思わず魔法障壁を展開したが、当たる直前で止まった。はずだが。
「!?」
直前で止められたはずの腹部に衝撃が走り、気がつけば吹き飛ばされていた。二十メートルは飛んでいる。彼女に魔力を使った痕跡が無く、当たったとしても簡単に飛ばせる距離ではない。
「何が起きたんだ……?」
目を白黒させるヒノワの目前に、ツキヒが音も無く一瞬で移動してくる。先ほど闘技場で見せられた歩法と同じものだと推測した。
「これは魔力の源である精神エネルギーじゃなくて、身体エネルギーを極めると使えるようになる技だよ」
「身体エネルギー……?」
「つまり、気、だね」




