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魔女、再び

秘密の一枚 ―後日談―

の続きです。



数日後。


仕事を終えた咲也がBar Havenを訪れると、カウンターにはマイクが座っていた。


レオン達はいない。今日は一人だけのようだ。


『よう、サクヤ!』


こちらに気づくと、マイクが嬉しそうに手を挙げた。


『……一人か。珍しいな』


『失礼な。

いつも俺たちが一緒だと思ってんのかよ。

俺だって一人の時間を楽しみたいのよ』


マイクは大仰に胸を張った。


『ま、今日は機嫌がいいから許してやろう』


『お前、なんか企んでるだろう』


『ひでえ言い草だなぁ。

せっかくいいもの持ってきてやったのに』


『いいもの?』


マイクは隣の席に置いていた大きな紙袋を持ち上げ、咲也に渡した。


『ほら、これ』


『……何だ?』


隅に見覚えのあるマークが印刷されている。


シアトル・ノクターンズのロゴだった。


ふと既視感を覚えた。


――そういえば。


昔も誰かにこうして紙袋を渡されたような。


マイクが笑顔で言う。


『開けてみろよ』


紙袋を開けて中を覗き込む。


黒と紫の布地。

細かなレース。

リボン。


どう見ても女性用のドレスだった。


咲也は無言で紙袋の口をたたみ直した。


ゆっくりと顔を上げる。


『返品だ』


『なんでだよ!』


咲也は無言で紙袋を突き返した。


『返品だ』


『だから、なんでだよ!』


マイクは思わず声を張り上げたが、すぐに我に返り、カウンターの向こうへぺこりと頭を下げた。


声のトーンを落として囁くように言う。


『ハロウィンイベントでお前が着た“あの”魔女の衣装だぞ。

わざわざ球団に頼んで送ってもらったんだぞ』


『……それこそ、なんでだよ!』


思わず声が大きくなった。


カウンターの向こうでグラスを磨いていた湊が、こちらへ視線を向ける。


「……高宮さん?」


「あ、いや。何でもないよ」


慌てて声を落とす。


『……お前、何考えてるんだよ』


『何って、プレゼントだよ。プレゼント』


『……誰に』


『お前に決まってるだろ。あと、ミナトにもな』


『彼がなぜそこで出てくる?』


マイクは当然のように答えた。


『あの写真、ミナト、すっげえ気に入ってたじゃねえか』


『写真であれだけ喜んだんだ。

実物見たらもっと喜ぶぞ』


マイクは身を乗り出し、声を潜めた。


『これ着て、ミナトに迫ってみろよ。イチコロだぜ』


『……はあ!?』


『シーッ! 声がでかいって』


『誰のせいだ!』


マイクは声を押し殺して笑った。


『いやあ、お前ら、放っといたらいつまで経っても先に進まねえしな』


『……余計なお世話だ』


『まあ、そう言うなって』


マイクは紙袋を咲也の方へ押しやった。


『せっかく取り寄せたんだ。持って帰れよ』


『ノーだ。いらない』


『球団にはもう話つけてある。今さら返されても困るんだよ』


『……お前なあ』


咲也は深いため息をついた。


もう一度、紙袋へ目を落とす。


今になって、この衣装を再び目にするとは思わなかった。


とっくに処分されたと思っていたのに。


『……本当に、よく残ってたな』


ぽつりと呟く。


『だろ? 俺もちょっと驚いた』


マイクは嬉しそうに笑った。


『ま、記念に取っとけよ。

着るかどうかは、お前の自由だ』


『……着ない』


『でも、着たらミナトに見せてやれよ?』


『……着ないっつってるだろ』


『ハハッ! 分かった分かった』


ちっとも分かっていない顔だった。


咲也はもう一度ため息をついた。


結局、もう一度突き返すこともできず、その大きな紙袋を持って帰る羽目になった。


――蒼井くんに見つかる前に処分しよう。


そう、心に決めながら。


* * *


その夜。


帰宅した咲也は、大きな紙袋を寝室のクローゼットの奥へ押し込んだ。


――これでよし。


ひとまず、見つからない場所へ隠すことはできた。


あとは処分するだけだ。

そう思ったものの、いざ捨てるとなると、少し惜しい気もする。


何しろ、かつて球団のイベントで着た衣装だ。


懐かしい思い出もある。


――そうだ。夏希に聞いてみようか。


夏希や義弟の清吾は、スーツアクターだ。特撮の仕事をしている。


衣装としてそのまま使えるかは分からないが、何かの参考や小道具にできるかもしれない。


捨ててしまうよりは、いいだろう。


そう決めて、咲也はクローゼットの扉を閉めた。


* * *


翌日の午後九時過ぎ。

夕食の片づけを終えた咲也は、寝室のクローゼットを開けた。


湊はBar Havenで仕事中。

いつものように帰宅するのは午前二時頃だ。


帰ってくるまで、まだ十分に時間がある。

咲也は奥から紙袋を引っ張り出した。


夏希へ渡す前に、衣装の状態を確認しておこうと思ったのだ。


ベッドの上に、中身を一つずつ広げていく。


折り畳まれていた大きなとんがり帽子も、広げれば昔の形に戻った。


ただ、上着もケープも入っていない。


ドレスは、背中が大きく開いたあの一着だけだった。


「……よりによって、こっちだけかよ」


あの日、マイクに写真を撮られたときの姿が蘇った。


小さくため息をつく。


――まったく。

あいつは、本当に余計なことばかりする。


そう思いながらも、咲也はドレスを手に取った。


汚れも、目立ったほつれもない。


随分と丁寧に保管されていたようだ。


ふと、先日のBar Havenでの出来事が頭をよぎった。


写真を見つめていた湊。

「……綺麗ですね」


「すごく、綺麗です」


あのときの、真剣な表情。

思い出しただけで、頬が熱くなる。


『これ着て、ミナトに迫ってみろよ。イチコロだぜ』


マイクの言葉が蘇る。


振り払うように、首を振る。


――いや、何を考えているんだ。


あれから何年経ったと思っている。


そもそも、もう四十五だ。

あの頃と同じようになるはずもない。


けれど。

手元のドレスに視線を落とす。


――サイズを確かめるだけなら。


どうせ一人だ。

誰に見られるわけでもない。


ちょっとだけ。

そう自分に言い聞かせて、咲也は衣装を身につけ始めた。


「……ふう」

ようやく着替えを終え、咲也は姿見の前に立った。


思っていた以上に大変だった。


細かな留め具に、複雑な布の重なり。


そういえば、昔はスタッフに手伝ってもらっていたのだった。


一人で着られたことが、むしろ不思議なくらいだ。


鏡の中には、黒と紫のドレスをまとった咲也がいた。


意外にも、サイズはそれほど変わっていない。


「……まだ着られるものだな」

小さく呟く。


最後に、とんがり帽子をかぶってみた。


鏡に映るのは、懐かしい魔女の姿。


思いのほか、昔の面影が残っている。


なんだかおかしくなって、口元が緩んだ。


しかし、ふと鏡に映った右肩が目に入った。


手術の痕。


背中の大きく開いた衣装から、普段は隠れている傷跡が覗いていた。


指先で、そっと傷に触れる。


今さら気にするようなものではない。


けれど。

――こんな格好で、蒼井くんに見られたら。

興醒めするだろうか。


小さく息を吐いた。

「……脱ぐか」


背中の留め具に手を伸ばす。


だが。


「……あれ?」


うまく外れない。


身体を捻り、もう一度試す。


着るときにも苦労したのだ。


脱ぐのが簡単なはずもない。


「……面倒だな」


時計を見る。

湊が帰ってくるまでは、まだ時間がある。


――一服するか。


咲也はリビングへ戻り、ソファに腰を下ろした。

水を飲んで一息つく。


広がるスカートの裾を整え、背もたれに身体を預ける。


今日はホテルが満室で、何かと忙しい一日だった。

帰宅して夕食を済ませ、家事もひと通り終わらせた。


お腹も満たされ、ようやく一息ついたところで、どっと疲れが押し寄せてきた。


――少しだけ。

ほんの少しだけ、目を閉じよう。

そう思いながら咲也はゆっくりと瞼を閉じた。



* * *


「……ただいまです」

遠くで、聞き慣れた声がした。


「……ん」

ゆっくりと瞼を開ける。


目の前には、仕事から帰ってきた湊が立っている。


「ああ……おかえり、蒼井くん」

まだ眠気の残る声で答えた。


しかし、返事がない。


「……?」


見上げると、湊が目を見開いていた。


何か言いかけたように唇が動く。


けれど、言葉は出てこなかった。


「……蒼井くん?」


呼びかけると、ようやく我に返ったように瞬きをした。


「……あ、いえ。その……」


珍しく歯切れの悪い返事だった。

それでも湊の視線は、咲也から離れない。


「……どうした?」


怪訝に思い、首を傾げた。

そのとき。


視界の端に、黒いレースが映った。


――待て。

――今、俺は何を着ている?


一瞬で眠気が吹き飛んだ。

「……っ!」

慌てて立ち上がろうとした、その瞬間。


ドレスの裾が足に絡まった。


「うわっ!」

ぐらりと身体が傾く。


倒れる!


そう思った瞬間、すらりとした腕にしっかりと抱き止められた。


「危ないですよ」


「あ、ありがとう……」

反射的に礼を言ってから、はっとする。


今、自分は。

よりによって、この格好で。


「ち、違うんだ、これは!」


「……はい?」


「マイクが! マイクが押しつけてきて、その……!」


言葉がうまく出てこない。


「別に、君に見せようと思って着たわけじゃなくて……!」

余計なことまで言ってしまう。


湊は何も言わなかった。


ただ、咲也を支えていた腕に、ぎゅっと力がこもる。


「……蒼井くん?」


「……綺麗です」


「……え?」


「写真で見たときも思いましたけど、実物はもっと綺麗ですね」


「……っ!」


湊は少し身体を離し、咲也の顔を覗き込んだ。


「それに、顔を真っ赤にして。とっても可愛いです」


「か、可愛いって……!」


湊が嬉しそうに微笑む。


「……独り占めしたい。

このまま攫ってしまいたいです」


あまりにも大胆な言葉に、眩暈がしそうになった。


――待て、待て。

これは本当に現実なのか?

まだ夢を見ているんじゃないだろうな。


「じょ、冗談はよしてくれ……!」


咲也の顔が、更に熱くなる。


見ていられず、湊から視線を逸らす。


ふと右肩に目が止まる。


ドレスから覗く、手術痕。


咲也は思わず、肩を引いた。


すると、湊の腕がそっと緩んだ。


「……蒼井くん?」


見上げると、湊は目を細めていた。


そして、咲也の右肩へ視線を落とす。


「……触れてもいいですか?」


「……え?」


湊は静かに、咲也を見つめている。


「……ああ」


小さく答えると、湊はそっと身を屈めた。


ちゅっ。

傷跡に、柔らかな感触。


「……っ!?」

思わず息を呑む。


湊は顔を上げると、まっすぐに咲也を見つめた。


「……愛しいです」


何を言われたのか、すぐには理解できなかった。


「あなたの全てが、愛しいんです」

あまりにも穏やかな声だった。


その言葉が、ゆっくりと胸の奥に染み込んでくる。


「……蒼井くん」


嬉しかった。

ただ、それをどう伝えればいいのか分からない。


湊はそんな咲也を見つめていたが、ふっと表情を和らげた。


「さて」


「……ん?」


「眠り姫。

寝室へ行きましょうか」


「……え?」


次の瞬間。


身体が、ふわりと浮いた。


「……なっ!?」


気づけば、湊の腕に抱き上げられていた。


背中を支える腕。

膝の裏に回された、もう片方の腕。


いわゆる、お姫様抱っこだった。


「ちょっ……蒼井くん!?」


「はい?」


「な、何をしてるんだ、君は!」


「寝室までお連れしようかと」

湊は楽しそうに笑っている。


「や、やめてくれ! 降ろしてくれ!」


「どうしてですか?」


「どうしてって……!」

バクバクとこれ以上ないほどの速さで脈打つ心臓。

全力疾走した時もこうはならなかったのに。


「……恥ずかしすぎて、死んでしまう」


我ながら情けないほどに弱々しい声だった。


湊が一瞬、目を見開いた。

それから、ふっと表情を緩める。


「……それは困りましたね」


「……全然困ってないだろ、君」


「そんなことありませんよ」


けれど、湊は降ろすどころか、咲也をそっと抱き直した。


「……蒼井くん」


「はい」


「……俺、重いだろ。だから……」


「降ろしませんよ」

やんわりと、だが、はっきり言われる。

湊は咲也を見下ろし、ふわりと微笑んだ。


「……もう少しだけ、こうしていたいんです。だめですか?」


そんな顔で、そんなことを言われたら。

断れるわけがない。


――ずるい。


咲也はとうとう観念して、そっと湊の首に腕を回した。


すると、湊が嬉しそうに目を細めた。

そして。

額に、柔らかな唇が触れた。


「……っ!」


――ああ、もう。勘弁してくれ!


咲也はもう何も言えず、湊の肩へ顔を埋めた。




挿絵(By みてみん)


お読み頂きありがとうございます。


このイラストの二人が見たいがために書いた話でした。

このあと二人がどうなったのかは、ご想像にお任せします。


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