狂い咲く縁談 研究編
「本当にこんなもので良かったのか?」
薬草園に穴を掘る教授がホミカに尋ねた。
「はい、今の私にとって最重要なものです」
既に教授の倍の穴の数を掘り終えたホミカが答える。
「研究熱心なことは大変結構だが、根詰め過ぎずにな」
「分かっていますよ」
シャベルを地面に突き刺す。そこに稲葉がお盆を持って現れた。
「先生、休憩になさいませ。お茶を持ってきました」
「おぉ、助かる」
「ほら、式見さんも」
「ありがとう、透子」
黄檗の木陰に座って涼む。ホミカは湯呑みのお茶を注ぐように口へと運んだ。
「そんなに慌てなくても。よほど暑かったんですね」
「えぇ。まあ」
見ると、ホミカの肌には汗一つ滲んでいないが、教授はぼたぼた滝のように汗を流している。
「そう言えば、前の結納の際も式見さんったらウイスキーのボトルをひっくり返して飲んでいましたわね。何か意味でもありますの?」
「あるにはあるのですが……恥ずかしくて言えませんわ」
(間接キスどころか飲み口に触るだけで昏倒させてしまうから口を付けないだなんて死んでも言えない)
「そうですの。なら、あの金木犀をどうするのかは教えてくださらない?」
視線の先には風にそよぐ金木犀の株が並んでいる。内務省の門脇に植えられていたものだ。
「狂い咲きの株ばかり、縁起が悪くありませんこと?」
「縁起が悪くても有用なら採用します。薬のほとんどは農作物と同じです。産地、季節、天候で薬効が変化します。豊作不作も考えれば、安定供給できた方がいいでしょう」
「桂花をとるつもりか」
「はい。普通の金木犀の花は秋ですから、限られたシーズンしか採取できません。でもこれなら……」
「いつでも採取できるというわけだ。確かに君が何かやらかす度に桂花茶を飲むことになると思うと在庫切れになってしまうからの」
「実験サンプルを飲用しないでください」
「君に言われたくない」
「私の分がなくなるからです」
透子がけらけらと笑う。
「でも式見さん。今回も研究サンプルだけではないのでしょう?」
稲葉がホミカを覗き込むように見つめる。次の婚活コンペで使うのでしょう?と訊きたいと顔に書いてある。
「はい。これで媚薬を作ります」
「それはおかしいですわ。前にそんなものはないって先生もおっしゃってましたし」
「用途が違うのです。前に華族会館で話したのは意中の相手に飲ませる媚薬で、それはない。今回は、異性を振り向かせるために自分に使う媚薬です」
「そこまで聞けば分かりましたわ。式見さんは香水を作るつもりなのですね」
「はい。これが私の戦略です」
早速採れたての桂花を使って抽出を行う。今から開発するのは私が考えうる最高のキンモクセイ香水。
フラスコ、冷却管、ブンゼンバーナー、実験器具を台の上に並べ、組み立ていく。
「すぐにでも始めるのですね」
稲葉が興味深げに作業を見守る。
「はい。キンモクセイの香りは時間が経過すると低下します。抽出するなら朝取れに限ります」
稲葉は籠に集まった花弁を乳鉢へ移す。
白い花が圧力で潰れ、甘い香りがふわりと立ち上る。
ホミカは潰した花をフラスコへと移し替える。
「どうして二つ用意しますの?」
「まずは効率の良い抽出方法を決める必要があるからです。水蒸気蒸留法と溶剤抽出法を試します」
「そこからだなんて大変ね。それなら市販品で良いのではなくて?」
「既製品では駄目です」
ホミカは即答した。
「香りは記憶と結び付きます。同じ香水を使う女性が多ければ埋没する。なら、固有性を作り、己を条件付けするのです」
「どういうことですの?」
「このコンペ、参加者が相手と接近する機会は酷く限定的です。会話は一日一回というのも、コンペ中も適用される可能性が高い。ならば、少ない接触機会にどれだけ相手に印象を与えられるかが勝負のポイントなのです。見目に優るだけでなく、香りで差をつける。前に舞踏会でお話ししましたように、香りは記憶に強く結びつく。しかも見た目と違って香りはしばらくそこに滞留する」
「なるほど、この香水はあなたにとってのガラスの靴なのですね」
「不二川様と同じようなことを言いますのね」
稲葉は顔を赤らめて乳棒を握る力を強めた。
「普通なら加熱は香りを飛ばしてしまうので、溶媒抽出法の方が時間も抽出力も高いのですが、どうでしよう」
ガラス器具から漏れ出る湯気は、甘く、濃密な香気を含んでいる。
「でも、どうして金木犀ですの? 確かに良い香りの花ですけど、他にも素材はありますでしょ?」
ホミカは蒸留液を光に透かした。
「人は果実の匂いを若さと結び付けやすいのです」
「果実?」
「杏、桃の熟した果肉。キンモクセイにはそれに近い成分があります」
「へえ……」
「動物は成熟を匂いで判断しますから」
「なんだか、式見さんって恋愛話も講義のように聞こえますわ」
「えぇ、そうです。これはーー」
ホミカは真顔で答えた。
「動物行動学です」
稲葉は深々と溜息を吐いた。
「ごめん遊ばせ。私、あなたと話していると、ときめきが星屑のように粉々に破壊されていくような気がしますわ」
「情動を一つ一つ生理現象として解体していく、の比喩としては面白いです」
稲葉はまたしても溜息を吐いた。
ホミカは二つのフラスコを並べる。みかんの皮のような濃い橙色と薄山吹色の液体。
「どうでしょうか。違いが分かりますか?」
「流石に分かりますわ。でも抽出方法が違うだけで匂いも変わるのですね」
「溶媒との相性だと思います」
「でしたら二種類の抽出を組み合わせればより本物らしい香りを得ることができませんこと?」
「良い考えです。この場合は溶剤抽出ののちに水蒸気蒸留の順番ですかね」
早速再作成した二段回抽出液。
「より金木犀に近づいたかしら?」
稲葉は新旧二つのサンプルを交互に嗅いでは首を傾げる。
「何だか改良前のが良い匂いがするような」
「そんな……」
ホミカは奪うようにフラスコを手に取り嗅ぐ。確かに匂いは改良法がもっとも強いように感じたが、ホミカの頭の中では足し算が上手くいかないような気がした。
「足りない。何かが抜け落ちている」
ホミカは恨めしげに三つのフラスコを見た。
「先生、知恵を貸してください」
教授室のドアを勢いよく開けると、開口一番に言った。
ホミカここまでの実験結果を教授に報告する。
「なるほどの。理論的には最も回収率が高いはずの方法なのにそうならない。実に面白いな」
「抽出効率を最大にするためには、この問題の解決が必須なのです。先生はこの現象をどう説明付けられますか?」
「いや、さっぱりだ。手技や抽出成分の複雑な相互作用ではないとすれば、心当たりはない」
「そうですか」
ホミカは肩を下げる。
「だが、関係するかは分からぬが、手立てがないこともない」
教授は小さなガラス瓶の蓋を開けを机に置いた。と同時に爽やかな香りが空間に立ち込め始めた。
キンモクセイと形のよく似た花。しかし、色がない。白く、香りも濃厚とは言い難く、清々しい印象。
「これは銀木犀ですね」
「左様。同じモクセイの仲間で、形はそっくりだが、色も違えば香りも違う。単純に考えればこの色の違いが香りと関係するかもしれんな」
教授はガラス瓶をホミカに渡す。
「分かりましたやってみます」
ホミカはガラス管に炭酸カルシウム粒を詰め込んでいく。
「今度は何の実験をしますの?」
「カラムクロマトグラフィーです」
「これで何が分かりますの?」
「金木犀の抽出成分を分離します。二つの試料を比べれば、何の成分が足りないのか分かるかも知れません」
完成したカラムにホミカは抽出液を流し込んでいく。
「様々な色に分かれていきますわ」
「橙色はおそらくカロテン。ニンジンの色と同じです。ほら、脂溶性なので水蒸気蒸留ではほとんど含まれない」
「そもそもの抽出液の色が違いますものね」
(問題の成分は……)
指まで指し示した場所には黄色い層が見える。水蒸気蒸留のみのサンプルだけ濃いところだ。
(改めて考えても不思議なことだ。この成分は脂溶性なのに、溶媒抽出よりも水蒸気蒸留で増えている。しかも、溶媒抽出後に水蒸気蒸留をしても回収量が増えない)
カラムを丁寧に解体して、黄色い粒だけをフラスコに移す。
「それ、スミレの匂いじゃありませんこと?」
金木犀とはまた違った華やかな匂いがする。
「確かに似ています。これはーー」
ホミカはこの匂いに心当たりがあった。すぐさまに、試薬棚から『イオノン』とラベルされた瓶を取り出した。スミレの匂い成分である。
「確かにこれに似た匂いがしますわ。つまり、この操作で量が変化するのはイオノンだったということですわね」
「概ねそうだと思います。これから検証する必要はありますが、まだ謎が解き明かされた訳ではありません」
そこに教授が現れた。
「進展があったようだな」
「はい。香りの違いはイオノン類の量による可能性が出てきました。ですがーー」
「問題は、なぜそうなるのか、だな。イオノンなら溶媒抽出でほぼ全て回収できるはずだ。溶媒抽出と水蒸気蒸留との違いを比較するとよい」
「溶媒が違うのと、『加熱』ですね」
「左様。加熱は本来香りを飛ばしてしまうから溶媒抽出のが効率的なのだが、加熱にヒントがあるやもしれん」
「なら検証します」
フラスコを二つ並べる。一つはこれまでと同じ溶媒抽出。もう一つはーー
「水で煮てから二層分配抽出をする」
取り出した抽出液を比べる。やはりーーだ。
「水で煮た場合が香りが強いです。溶媒で温めた場合ではこうなりません」
「じゃあ、残るは温水の中で何が起こったのか、だな」




