狂い咲く縁談 事件編
「婿を所望します」
「今、婿がほしいと言ったのか?」
「はい、聴力検査はばっちりみたいですね」
教授の驚きとは裏腹に満面の笑みでホミカが答える。
「あぁ、そうだな……その、いいのか? 相手があってのことだから、その相手がどんな人物かも分からんでも」
「元より結婚とはそういうものではないでしょうか? 親が決めることですよね?」
「いや、まあ……それはそうだが」
「何でもと言ったのは先生です」
「だが、それを大臣に強請るというのは、なぁ」
教授は少し視線を逸らして低い声で聞き返す。
「結婚するということは、研究も学校生活も捨てるということか?」
「それは……」
ホミカは一瞬言い淀む。教授は畳み掛ける。
「公爵の遺訓に背くことになっても、か?」
念押しするような言葉に、今度ははっきりとホミカは返事した。
「そうです。私はーー『普通』がほしいのです」
「ダメだ」
「なぜです!?」
珍しく語気を強める。
「君は普通じゃない。才能もある。それを埋没されるのは非常に惜しい。世間がそれを許さぬだろう。研究を続けるべきだ」
「嫌です。何のために私がここにいるとでも? 全ては結婚のためです」
「君は結婚のことになると視野が狭くなるなるようだな。いいか、これは忠告だ。君は君の問題を解決せぬままに結婚すればどうなる? 夫を事あるごとに気絶させるのか? それで結婚生活ができると? 全てを擲って、それでも上手くいかなかったらのこるものは何だ? そのとき君は学生でもなければ、研究者でもない。救いようのない体質だけがそのままだぞ」
「酷いです」
「正論だ。君にはまだ力が足りない。君が社会で独り立ちできるような力が。今はまだ早いのだ」
「……」
「言い過ぎだったかも知れん。だが、このことは忘れないでほしい。吾輩が君の望みを大臣に伝えれば、おそらく言葉どおりの意味だけなら望みは叶う。だがーー」
教授は立ち上がって窓の外を見ながら言った。
「破滅は避けられん。そのときに巻き添えを食うの君の周りの者たちであることもな。お願いだからそのような望みを吾輩に言ってくれるな」
「分かりました」
ホミカは静かに答えた。
「今はーー分かってくれればそれでいい」
教授は部屋を後にする。すれ違い間際、
「すまんな」
と小さく残して。
ホミカは失意の中、寮へ戻った。
(私の願いは、周囲を危険に晒す。少なくとも大臣に働きかけるものじゃない。なら、どうすれば? 最早治るかどうかもわからない体質に付き合う必要はあるのか?)
寮の談話室では、学生らが集まって賑やかだ。しかし、その数は日に日に少なくなっていく。仲間うちでささやかな結婚祝賀をして部屋を去っていく。
学位よりも研究成果よりも、婚約の方が女子大生にとっての『普通』なのだ。
今日は結婚祝いではなく、何やら書籍を回し読みしているらしい。
(華族の三流ゴシップかしら。他人の私生活なんて自分ごとじゃないのに熱心なことね)
集まっているのは、入学式の時の告発者とその取り巻き。同級の者もちらほら。彼女とは入学式早々気まずくてほとんど会話をしていない。
「あら式見さん。ご機嫌麗しゅう。内務省の毒ガス騒動に巻き込まれたんですって?」
(それでどう麗しいのか)
「何にでも首を突っ込まないと落ち着かない性分なのですわね」
周囲からの嗤い声。
(我慢だ、我慢)
ホミカはじっと彼女の顔を見つめ返していた。
「ま、まあ、いいわ。あなた、なぜだがみんなを避けてるみたいじゃない? だから、これはあなたに打ってつけの縁談だとみんなで話していましたの」
嫌味っらしく新聞を見せつけてきた。
どうやら広告欄を見ていたらしい。見出しに花嫁募集と書いてある。募集条件が非常に細かく記載されており、その第一条、夫婦は、お互いが『触れてはならない』ことと記されている。
「……」
ホミカはなぞるように紙面を見る。
「どうかしら? あなたに相応しい縁談だと思いますの」
「確かに。素晴らしい情報提供ありがとうございます。私、応募します」
ホミカは笑顔で答えた。
「は?」
「ちょっと本気ですの?」
香雪邸にて、透子が憤慨した様子で話しかけてきた。
「何のことです?」
「ヒロから話を聞きましたわ。あんな条件、結婚じゃなくて奴隷契約です。絶対裏がありますわ。よくお考えてなられて?」
ヒロとは私たちの同級で、あの内輪にいた者の一人だ。透子は同じ新聞広告をホミカに見せつけた。
『花嫁の条件
1、夫婦は互いに決して『触れてはならない』。
2、会話は一日に一回。
3、炊事、掃除、洗濯、裁縫をこなすこと。
4、万が一夫が病臥した際は、看病は勿論のこと、経済的に支える能力があること。
5、礼儀正しいこと。
6、妻の親族が家訓に口出しをしないこと。
7、応募者複数の場合は、選抜試験を受けること。
8、年齢は法定の結婚可能年齢以上であることは勿論のこと、上限は……』
「絶対に詐欺か何かです」
「もし、そうだったら辞退しますわ。私にだって相手を選ぶ権利はありますもの」
「私はあなたのことが心配なんですのよ。そんなに切実に困っていらしているのなら、私、親にでも頼んで差し上げます」
「気持ちはありがたいのですが……」
「どうしてなのです。式見さんの分からずや」
「私が去った後のこの部屋の管理をあなたに託したいのです」
「そんなことは聞いておりません」
潤んだ瞳で透子は見つめ返す。
(はぐらかすのは無意味か……)
(何があっても私の体質のことはこれ以上他人に明かすことができない。クララ襲撃のこともある。)
「私には、この縁談が好機だと思ったのです」
「まあ、運命だとおっしゃるのですね」
今度は目を輝かせて見つめ返す。
「う、うん……」
(そういうことにしておこう。)
「まあ、それなら私が口を挟むことではございませんでしたわね。オホホホホ……」
透子はハミングしながら部屋から出ていった。
(私は私のできる限りのことをする。それだけだ。まずは手始めに……)
代わりに、教授が戻ってきた。
「何があった? 稲葉クンがスキップしてたぞ」
「先生!」
「なんだ? 婿の約束はできぬぞ」
「そうではありません。大臣に欲しいものを決めました」




