毒殺に必要な申請 解決編
扉の鍵が落ちる。
静寂。
「邪魔者がいなくなったので少しお話しましょうか?」
「奇遇だね。お前からでいいよ」
掃除婦は鋭い眼光でホミカを見つめ返す。
「意外と言葉遣いは荒いのですね。連続殺人の犯人はあなたです。どんな毒を使ったのかは知りませんが、掃除婦の姿なら、官僚しかいない庁舎でも容易く忍び込むことができる。掃除婦に扮して声明文を出した、違いますか?」
「そうだ。聞きたいのはそれだけか?」
「はい」
ホミカは手袋を外した。
「なら俺からもだ。いつから疑っていた?」
「初めて会ったときからです」
「ほう?」
「まず、あなたの姿。潜り込むにはーーいや、条件を語るのは野暮ですね。泣いていたにしては、姿が整っている。気配を悟られぬように気を張る余裕があった」
「変装は苦手だからな。他には?」
一歩。
「拘束してからお聞きします」
踏み込む。
一直線。
首筋へ触れる。
素手で、確かに。
皮膚に。
――なのに。
何も起きない。
空白。
(……効かない?)
次の瞬間、衝撃。
視界が横に弾ける。
壁。
頭に鈍い衝撃が響く。
息が潰れる。
崩れるより先に、引き戻される。
至近距離。
逃がさない力。
「名前ぐらい聞けよ」
低い声。
男っぽい、乾いた響き。
「式見クララだ」
一瞬、思考が止まる。
(式、見?)
ありえない。いや、ありえる?
状況が思考を許さない。
敵はその逡巡を逃さない。
足を払われる。
床。
叩きつけられる。
手首を踏まれる。
「効かない理由、知りたいか?」
見下ろす。
「簡単だ」
わずかに笑う気配。
「俺が“式見”だからだ」
ホミカの瞳が揺れる。
ほんの僅かに。
クララは続ける。
「で、そっちは偽名」
間を置かない。
「西藤采女だろ?」
その名が落ちた瞬間、
呼吸が止まる。
(やはりーー)
(知っている)
体が反応する前に、さらに圧が来る。
完全に押さえ込まれる。
ホミカは歯を食いしばる。
「落ち着けよ」
「こっちは闘いに来たわけじゃない」
一歩分だけ、力を抜く。
だが逃げられない位置。
「お前と話がしたいと言っただろ?」
視線が刺さる。
クララは、少しだけ楽しそうに言う。
「いいね、その顔」
踏み込んだ足の圧はそのままに。
「お前さ、こんなとこで何やってんの」
「何ってーー」
「普通ごっこ?」
吐き捨てるように。
「無理だろ」
間。
「触れた相手を昏倒させるとか、それはもう人間じゃない。兵器だ」
図星。
「そういうの、世間じゃ浮く」
一歩、近づく。
「だったら来いよ」
低く。
「知ってるだろ? ちゃんと使える場所がある」
ホミカにかつての自身の姿が過ぎる。
暗殺者として公爵の命を奪えーーそう命じられたあの日を。
「俺なら気絶じゃなくて殺せる。使い方を教えてやる」
ホミカは立ち上がる。
痛みを押し込める。
「お断りします」
即答。
クララは鼻で笑った。
「強情だな」
視線が一瞬だけ鋭くなる。
「じゃあ、そのまま潰れろ」
クララは踏み込んだ足により一層の力を加える。
(……?)
力を込めたはずの足が押し返される。
「!!」
不意に軸足を掴まれたクララ。
「離せよッ」
解こうにも強く引っ張られる。
(マズい)
「私の何が分かるというのです」
よろめきながら立ち上がったホミカは浮き足立つクララの鳩尾に正拳を突き立てたーーはずだった。
刹那、クララの上段蹴りが側頭部を直撃。ホミカの頬に生温かいものが伝う。
ホミカは薄れゆく意識の中、遠ざかる声を聞いた。
「お前は俺を選ぶ。そういうふうにできている」
「あ、クララちゃん。ホンマ滅茶苦茶待ったわ。わて、足が棒になってもた」
「そんなに好きなら棒にしてやってもいいぞ」
「それはもう間におうとる。で、大臣逃すん? 今ならまだ追いつけるで」
「やめておく。色々あった。それに……」
「教授を巻き込むのは禁止されている」
「おや、意外と律儀者かいな」
「それに……」
液体が逆流する音のあと、クララは血の泡を吐いた。
「うへぇ。バッチいなぁ、もう。それ危ないから飛ばさんで」
飛び退く男。
「あの女、なんつー馬鹿力だ」
「勧誘はどうなった?」
「失敗した。だが、いずれ向こうからこちらにやって来る」
「ホンマかいな。あんさんの勘。めっきり当たらへんやん」
「これは本能だ。間違いない」
二人の姿は陽炎の中に消える。
「目が覚めたようだな」
気がつくと、ホミカは香雪邸の仮眠室に横たわっていた。教授とアルニカが心配そうに覗き込む顔が見える。
「私、どうなったんですか?」
「一日中寝ていたよ。連絡がないもんで、大臣室で君が倒れて怪我をしている。掃除婦は消えていた。全く、君が魘されながら手当たり次第に救助者に触るから、内務省では毒ガステロ騒動にまで発展したんだぞ」
「それはーー」
声を出すごとに内臓がきりりと痛む。
「ご迷惑を」
「安静にしろと言いたいところだが、こちらも分からないことだらけだ。じきに警察もやってくるだろうし、お互いの情報を擦り合わせておくべきだ」
「私、逮捕されるのですか?」
「その可能性はないだろう。警察は現場から逃走した掃除婦を重要参考人として行方を追っている。そもそも来ることになっていた掃除婦ではなかったようだ」
「あの人は、式見クララと名乗っていました」
「式見? 親戚か?」
「……。どうでしょうか。本名ではないのかも知れませんが……」
「心当たりがないこともない、というのだな」
ホミカはゆっくり首肯する。
「私、先生にまだ話していないことが沢山あるのです」
「知っておる。公爵から『触れるな』と言われておったからな」
「私、実は公爵様を暗殺するべく送り込まれた刺客だったのです」
「なんと!? それがなぜ……いや……なら辻褄が合うところもあるな」
考え込む教授。
「私の家が火事になって生き残ったのは本当です。そのときに私の姉が亡くなったのですが……」
ホミカは目頭が熱くなるのを感じた。
「私が触っても犯人には何も起きなかったんです。しかも彼女は、触れるだけで人を殺せると」
「経皮毒は彼女のものかも知れぬというのだな」
「はい……私が泣いていたら抱きしめて頭を撫でてくれる優しいお姉ちゃんでした」
「それはつまり、姉なら触れられるということか」
「他の家族ではダメでした」
「あぁ、それは……うん……考えるべきことが沢山あるな」
ホミカはまだぼんやりする頭で思考する。姉は、私を庇って火に飲まれた姉は、本当にあのときに……
「あぁ、そう言えば、大臣からの言葉をもらっておった。一応事件の顛末として、襲撃犯は掃除婦。君は事件を未然に防ぐとともに、襲撃犯から攻撃で負傷したということになっておる。そこで、大臣からの感状をもらっておる」
教授は書類をホミカに手渡す。
「お礼とお詫びに何かほしいか? ということらしいが」
「えぇ、そんなの決まっていますわ」
ホミカの答えは即答だった。




