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毒殺に必要な申請 事件編

「た、大変だ」

香雪邸の扉が荒々しく開いた。教授が息を切らしている。


「政府要人が二人、立て続けに死んだ。状況は同じだ。毒殺の疑いがあるが、毒が分からん」


「なんへふか、ひゅうに?」

ホミカは口をもごもごさせたまま顔を上げる。


「その口をどうにかせんか。話にならん」

「のっふふはいひへふははい」


ホミカはようやく飲み込み、喉を鳴らした。

「……あ、燕の巣なら全部食べてしまいました。すみません。貴重な研究資料なのに」


「今はそれどころではない! 事件だと言っとるだろう」


「では不問ということで」

「どうでもいい!」


教授は机を叩いた。

「新聞に出ていたはずだ。大臣が執務中に急死。しかも連続で二人。毒殺と見られているが、原因不明。このままでは次も出る」


教授は新聞をテーブルに広げた。

『農商務大臣死亡。文部大臣に続き執務の最中。地方財政改革に暗雲』

「同じ状況で二人……ですか」


「帝からの勅諭だ。至急、鑑定せよとな」


「サンプルは? さっそく内臓を取り出して毒物を分離分析しましょう」

「ならぬ。身分を考えれば解剖など許されるわけがない」


「なら不可能ですね」

即答だった。


「だから困っておるのだ!」


「死因を特定せずに対処などできません。そんな依頼を受けるとは見損ないました」

「吾輩は君がサンプルをなくしたことにも驚いておるのだがね。涎がついているぞ」


教授が口元を指す。


「何ですか、不要なサンプルを処分した(たべた)だけです」

ホミカは慌てて口元を拭った。


「……ルビと表記が逆になっておる」

「気のせいです」


一拍。


「まあ、毒物の特定は無理でも――」

ホミカは視線を落とし、指先で机を軽く叩いた。

「状況から絞ることはできます。“条件”があるはずですから」


「……本当か?」


「失礼ながら先生、ここまでおよそ700字しかないのに分からないとは、先生は酔っ払ってございますか?」


「君は何を言ってるのかね」


「推理の話ですが? まぁ、簡単なことです。これは朝飯後ですけど。それにーー」


ホミカはハンカチをたたみなながら、

「先生はまだ重要なことを話していませんよね?」

鋭い視線を教授に投げた。


「次があるとの口ぶりがどのような根拠から来るのか教えていただきたく」


「あぁ。それはだな、犯行声明と思われる文書が現場に残されていたからだ」


「おや、私の推論とは違いますね。ですが犯行声明の方が情報の確度が一段と高いと言えます」


「違うだと? 君はどうして次があると分かったのだ?」


「二人の関係性です」


「まぁ、大臣が立て続けに死亡すれば、また大臣が亡くなるのではという推論ができそうだが、そんな単純ではないだろう。君らしくない」


「次の標的は内務大臣です」


「なぜ分かる?」


「確かに推論には飛躍があります。ですが、仮にこれが連続殺人と仮定すれば、犯人の狙いとトリックはおよそ想像できるのです」

ホミカは新聞記事を指差した。

「農商大臣と文部大臣にどのような役割があるかは知りませんが、記事には地方財政改革に言及しています。ならば、この犯行はこの改革における行政手続きを利用して犯行を計画したのです」


「地方行政は内務大臣の管轄。決裁手順を考えれば自明というわけか」


「そうです。犯行声明まであるのなら、強い傍証になりえます。私は動機など興味ないですけど、犯人は何らかの思想によって今回の事件を企てている」

あとで声明を検める必要があるとホミカは言う。


「まずは内務省に警告すべきだな。よくやった、式見助手」


「いえ、連絡はよしましょう」


「なぜだ?」


「犯人を捕まえるべきです。このまま事態をストップさせるのは容易いでしょうけれど、それでは犯人に逃げられる」


「またその話か。ダメだ。危険すぎる。失敗したら大臣が死ぬかも知れない。それに毒殺なら、犯人が現場に来るとは思えない」


「来ますよ。犯行声明を置きに」


「むぅ……これまでも犯行声明を残すというリスクをわざわざ冒している。よほど自信があるというわけだ」


「相手の動きを逆手に取って、毒を封じ、犯人を捕まえる」


「君に任せるとまた大変なことになりそうだな」


「前回はそれが最適でした」

「いや、いかんぞ。いつもそれらしいことを言って唆されるが、今回ばかりは流されん。前回上手くいったのは結果論であって、君が怪我をする可能性だってあったのだ」


「ダメですか?」

ホミカは上目遣いで教授を見る。教授は首を横に振る。


「……とはいえ、無下に却下するのもどうかと思う。まずは君の考えを言いたまえ」


「毒物は経皮毒ではないでしょうか? この改革に携わる大臣が必ず触れるもので、他の者が手を出さない何かに毒が塗られている」


「なるほど。それを囮とした上で、犯人を捕まえるというのだな」

険しい顔の教授。

「だが、危険すぎることに変わりない」


「交渉決裂ですね」

ホミカは立ち上がる。


「おい、どこに行く!」


「内務省です」


「何するつもりだ?」


「実力行使です。警備も官僚も阻む者は全て無力化してでも犯人を捕まえてみせます」

この事件、舞踏会の襲撃と関係がある。あのときの賊は私のことを知っていた。なら今回も、犯人は私のことを知っているはず。洗いざらい吐いてもらおう。すべては幸せな結婚生活のために。


「無茶苦茶だ」

「無理もまた一つの道理です。要は実効力の問題」

ホミカは手袋越しに先生の肩に優しく触れる。

「申し訳ないですが、先生も例外ではないのです」


教授はホミカの凄みに唾を飲み込んだ。


「まさかついてくることになるとは」


背広を来た教授がホミカと並び内務省の門扉をくぐった。

「私としては信頼できる大人が着いてきてくれて頼もしい限りです」

「半ば脅しのようなものだ。吾輩は君が暴虐の限りを尽くして何もかも滅茶苦茶にしてしまうのが心配なのだ」

「その場合、共犯確定ですけど。まさか先生と心中することになるなんて」

「いや、勝手に殺すな」

「ならアルニカには悪いですがデートと決め込みましょう」

「あくまで、対話で穏便に済ますのだぞ」

「分かってますって。形式上は」

「不安だ……」

門扉側の植え込みには梅雨の季節だというのに金木犀の花が狂い咲き、弛緩した空気が漂っていた。


「で、どうするつもりだ?」

受付で取り次ぎを待っている教授はホミカに訊く。

「一連の手続きで大臣しか触らないものは印鑑か朱泥ではないでしょうか?」

「それに問題があると?」

「断定できませんが調査の価値はあると思います。それに帝の勅諭をもらって何もしないなんて薬学博士の名折れですよ」

「まさか大臣室を実地調査をするとは思うまいて。それに、実験サンプルを食ったヤツに言われてもな」

「あれは人体実験なんです……そう、とても危険な」

「さっきと言ってることが違うぞ」

「まぁ、今はお取り込み中のようですので、犯行声明について教えてくださいな」

ホミカの視線の向こうには忙しなく動き回る官僚たちの姿があった。

「あぁ、そう言えばまだだったな。声明文を出した者の素性は知らんが、こんな紙が大臣室にあったそうだ」

教授は折り畳まれた紙を広げる。どうやら書写したものらしい。

『天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず』


「反権力主義者、でしょうか?」

舞踏会を襲撃した組織も特権階級を持つ華族を根絶やしにするという思想を持つ者の集まりだった。ならばーー


(今回の犯人も同じ組織の者)


「さあな。それが分かれば苦労はせん」


教授は懐中時計を取り出し、苛立たしげに針を睨んだ。


「……遅いな」


受付の奥では人影が絶え間なく行き交い、書類の束が運ばれている。だが、こちらに声がかかる気配はない。


「少々お待ちください、から何分経ったと思っとる。これは流石に――」


「ええ、異常です」


ホミカはあっさりと頷いた。


「催促してくる」


教授が受付へ向き直る。


だが、その袖をホミカは軽く引いた。


「必要ありません」


「なに?」


「今は好機です」


視線は庁内へ。教授は周囲を見回す。


確かに、誰もが落ち着かない様子。


「君の言うことは相変わらず分からんが……既に何か起こっておるのか」

そのとき、廊下の奥から切迫した声が漏れた。


「まだ確認が取れんのか!」


「ただいま決裁待ちです!」


「そう言ってどれだけ待たせるんだ!」


空気が張り詰める。


教授の顔色が変わった。


「……手遅れやも知らん」


「ええ」


ホミカは静かに答え、立ち上がる。


「ならばなおさら、正式な手続きを踏んで――」


言い終わる前に、ホミカは踵を返していた。


「おい、どこへ行く!」


「勅命を果たしてきます」


「待て! 許可もなく立ち入るつもりか!」


「待っている間に間に合わなくなるかもしれません」


振り返らずに言う。


「それに――」


足を止めずに続ける。


「ここまで来て、外で待つ理由がありません」


「無茶を言うな!」


「無茶かどうかは、結果で決まります」


すでに人の流れに紛れ、奥へと進んでいる。


「式見君!」


教授は一瞬だけ躊躇した。


受付を見る。止めるべきか、呼び止めるべきか。


だが、再び廊下の奥から声が飛ぶ。


「早く――」


舌打ちが漏れた。


「……ええい、あの馬鹿者が」


小さく吐き捨て、教授は後を追った。

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