子安貝の数え方解決編
一瞬の静寂。
「……何だと?」
八木が眉をひそめる。
「子安貝を持っているかどうか、ではなく?」
「ええ。今の話を聞く限り、“持っていること”自体が決め手になっていない」
「どういう意味だ」
石上が低く問う。
ホミカは机上の品を一瞥した。
「宝貝は“子安貝”ではあるが“燕”が足りない。石燕は“燕”と“貝”を満たすが“子安”要素が不明。香箱は宝としての価値はあるが本当に条件を満たしているか定かではない。小石は燕と子安を満たすかも知れないが貝ではない――どれも決め手に欠ける」
「それは先ほどからの話だろう」
「ええ。そして、そちらの方は」
蓬莱に視線を向ける。
「そもそも持っていない」
「いやぁ、面目ない」
軽い調子で頭を掻く蓬莱。
「ですが、家にあったのは確かなんですよ。もっとも――」
少しだけ間を置く。
「手放してしまいましたが」
「だから貴様は――!」
八木が一歩踏み出しかけるのを、教授が手で制した。
「待て」
低く、しかしよく通る声。
「今は責任の所在を問うている場合ではない」
教授はゆっくりと全員を見回した。
「むしろ重要なのは……」
机上の品を軽く叩く。
「これだけ条件が曖昧でありながら、“子安貝を持つ者が結婚する”という取り決めが成立していることだ」
「曖昧……?」
樽使が呟く。
「曖昧だからこそ、だよ」
教授は続ける。
「解釈の余地がある条件は、往々にして争いを生む」
「では、この場合――」
菅井が口を開く。
「誰が正しいと判断すべきなのですか」
「本来ならば当事者同士で決めるべきだろう」
教授はわずかに肩をすくめた。
「だがそれができないから、こうして外部に持ち込まれている」
沈黙。
その沈黙を破ったのは、讃岐だった。
「……あの」
控えめな声。
「本当に、その……決めなければならないのでしょうか」
「君は今更何を言っているんだ? 燕の子安貝を持つ者と結婚すると言い出したのは君だろう?」
(讃岐さんから言い出したのか?)
そのとき、微かに額に痛みが走った。
「ですが、私は誰かを選ぶことはできません」
「よろしいでしょうか?」
ホミカが挙手をする。
「あなたは鑑定の結果を受けて、彼らのうちの誰と結婚することになってもそれを受け入れるということで間違いないでしょうか?」
「元よりそういう約束ですが?」
「兄弟の各方に問います。この際、婚約を破棄することもできそうですが、あなた方の意思で讃岐さんに結婚を申し込んでいるという認識で合っていますか?」
「「もちろん」」
この声に蓬莱のが混じったのを聞いて、関係者らは視線をそちらに向かう。
「なるほど」
ホミカは額に指を軽く当てて頷いた。
「ホミカ君、何か分かったのだな!」
「はい。一つだけ」
「何でもいい、教えてくれ」
「分かりました」
ホミカが大きく息を吸う。
「気分が優れないようです」
皆を期待させたホミカの言葉が理解できず、この場が一瞬で凍りついた。
「は?」
すっと前に踏み出すホミカ。
「おい、具合が悪いのか?」
教授の声が届かないのか、讃岐へと近づく。手袋を脱ぎ捨てる。そしてーー
「失礼」
讃岐頬に手が触れた。
「何をしとる! 勝手なことをーー」
途端、讃岐の体が崩れ落ち、ホミカへともたれかかる。
「医務室に運びます」
「お、おい!!」
「邪魔です。下がってください」
ホミカは讃岐を肩に抱えて部屋から出ていった。
⸻
最初に感じたのは、軽い眩暈だった。
視界がわずかに揺れる。焦点が合わない。気持ち悪い。
「……っ」
額に手を当てる。
熱はない。だが、身体の芯がふわりと浮くような感覚がある。
「気分は」
横から声がした。
そちらを見ると、ホミカが椅子に腰掛けていた。
「少し……目眩が」
「そうでしょうね」
あっさりと返す。
「ですが、それは体調の問題ではありません」
讃岐は眉を寄せる。
「安全なところに運ばせてもらいました。男がいては話せないことも多いでしょうから。人払いは済んでいます」
「先ほどあなたは分かったとおっしゃいましたもんね。私の企みなどお見通しなのでしょう?」
「全てではないですが、論理的に分かる範囲まで」
「お聞かせ願いますか?」
「はい。そのために骨を折った甲斐があるというものです」
ホミカは静かに語り始めた。
「まず、燕の子安貝を持ってくるように言ったのはあなたで間違いないですよね?」
「はい」
短い答え。
「なら、あなたはそれがどんなものかともかく、各家にそう言われるものがあることを知っていましたね?」
「はい」
「となれば、ここに矛盾が生じます」
「何かおかしなことがありますか?」
「はい。婚約者が複数人発生してしまうことです」
「そうなりますわね」
「この国では重婚は禁止です。ですからあなたは誰とも結婚できなくなる。あなたはこのことを知っていました」
讃岐の指先が、シーツの上でわずかに強張る。
「だって私には誰かを選べませんもの」
「複数の男性から言い寄られるとはなんて罪作り……羨ま、いや、何でもないです」
ホミカは咳払いをする。
「でも、あなたはきっちりと選んでいますよ」
「まあ、そうなのです? ならどの殿方なのか教えてくださらないかしら?」
「証拠は三つ。まず、その帯飾り」
真珠と銀の輪の帯飾りを指差す。
「それ、婚約指輪ですよね。西欧では婚約に指輪を贈るのが一般的ですが、この国ではまだ馴染みのない風習です。家事の邪魔になりますし、別の装飾品にアレンジすることが多い」
「よく分かりましたね」
「ええ。女子ですから」
「二つ目。視線です。あなた、あの間に兄弟の誰とも目を合わせなかった。例外を除いて」
「よく見てますこと」
「最後。彼の手荷物は女ものでした。彼のものではない」
「そんなところまで」
「誰の、はもう言わなくていいですね」
返事はない。だが否定もない。
「……あの方は」
「船内にいます」
間を置かずに返る。
その瞬間、空気が変わる。
「今何時でしょうか?」
「午後三時過ぎです」
讃岐の視線が鋭くなる。
「あぁ、間に合わなーー」
何かを探す素振りの讃岐。
「心配いりませんよ」
讃岐の言葉を制してホミカが答える。
「もう手続きは終了していますのでお返しします」
ホミカは懐から何かを取り出した。
卓上に置く。
小さな革の手帳。
讃岐の呼吸が止まる。
手を伸ばす。
触れる直前で、一瞬だけためらう。
それでも掴む。
開く。
中身を確認する。
閉じる。
「ここはどこなのです?」
「船の中ですよ」
讃岐は先ほどからの妙な浮遊感が海の上にいるためだと悟った。
「じゃあ、あなたまでどうしてここに?」
「出航が遅れているので、まだ港です。私と一緒に下船されますか?」
首を横に振る讃岐。
「なんとまあ都合の良いことに船長が出航直前で眠ってしまったらしく、起きるまで船は動きません」
興味がない、と言わんばかりの平坦な声。
ホミカは立ち上がる。
「用件は以上です」
扉へ向かう。
「待ってください」
背後から声。
だが、ホミカは振り返らない。
「別にあなたのためじゃありませんよ。……不幸な結婚は、もう結構なのです」
扉に手をかける。
「あと、それと」
ほんの少しだけ間を置く。
「私ならもう少し真面目な方法を使いますわ」
扉が開く。
外の光と、わずかな潮の匂い。
そのまま閉まる。
残された船室で、讃岐はしばらく動かなかった。
やがて、旅券を握りしめる。
そして――静かに立ち上がった。
その後、讃岐が行方不明となったことから鑑定依頼は取り下げられた。時を同じくして、ホミカ宛の国際郵便が香雪邸に届いたのまた別の話。




