十姉妹の鳥籠館 事件編2
あれから二時間が経過し、食器はほぼ片付けられ、テーブルに座っていたのは、食事に手を付けなかった蓮目男爵がワインをあおっていたのと、晩酌に付き合う男爵夫人、先生とその助手である私のみ。
そんな折、虹村伯爵夫人が、
「どなたか夫を見かけませんでしたか?」と戻ってきたのだった。それに、酔いどれの蓮目男爵が答える。
「おや、そちらにいらしてなかったのですか。ならトイレにまだいるのではありませんか。ご気分が優れない様子でしたし。私も今からトイレに行こうと思っていましたので、ちょっと見てきましょう」
男爵は足をもたつかせながらトイレへと向かって行った。だが、流石に伯爵はトイレにいないだろう。彼がトイレに向かってかれこれ一時間以上が経過している。おそらく知らぬうちにどこか行ったに違いない。
「虹村様はどこに行ってしまわれたのやら」
「まさかトイレにずっといたなんてありえますまい。自室にもいないとなると一体誰の部屋にいるのか」
「おいおい」
トイレから男爵が戻ってきた。
「どうしました?」と男爵夫人。
「トイレに誰か居るんだ。鍵がかかっている。呼び掛けにも反応がないし、物音すらしない」
「見てみるか」
先生は立ち上がり、ホミカもそれに従う。
「式見さん、これをお使いください」
七女はホミカに蝋燭を渡してくれた。
トイレは食堂から離れた場所にあり、厨房脇の廊下を抜けた先にある。電灯があるわけもなく、ホミカは蝋燭の明かりを翳して先生の足元を照らして進む。
「鍵はコインでも開けられますかな」
「おそらくは」
先生はジャケットの懐からペニー硬貨を一枚取り出し、トイレの戸をノックする。
「どうされました?」
反応がない。
「失礼しますよ」
先生はコインで鍵を開ける。ホミカはトイレに明かりを翳すと、虹村伯爵は便器にうつ伏せになる姿勢で俯いていてた。
先生は、むぅと唸って、伯爵の首筋に二本指を押し当てる。数秒静止した後にこちらを振り返って、左右にゆっくりと首を振った。
「もう亡くなっている」
「ち、血が見えるぞ」と男爵。
「ちょっと失礼します」
私は遺体に明かりを翳す。衣服に特段の異常はない。汲み取り式の便器の中を見る。来客のためか綺麗に清掃されており、血液かの判別はできないが、確かに赤みがかった褐色の液体が見えた。
「出血だとすると、どこからでしょうか」
「そうだな。外傷が見えないからまだ判別できないが」
「今すぐ皆さんをホールに集めた方が良いでしょうか?」
「そうだな。誰かを駐在所まで走らせよう。警察を呼ぶ必要がある」
そうして、館の者はちどりを除く全員がホールに集められ、駐在所へは家令が向かうことになった。
「まずは、突然このようにお呼び出ししたことお詫び申し上げます。緊急事態となりましたので、皆様にお集まりいただきました。単刀直入にお伝えしますと、先程、虹村伯爵がトイレで亡くなっているのが発見されました」
「警察を呼んだということは、虹村様は誰かに殺されたということでしょうか?」
「いえ、現段階では何とも言えません。外傷は見当たりませんでしたので、病死の可能性もあります」
「病死? そんなわけないだろう。立て続けに親族が亡くなる偶然なんてあるか。誰かが毒を盛ったのだ」と蓮目男爵が叫ぶ。
「だから警察を呼ぶことにしたのです」
「やってられるか! 次は俺の番だ、俺が殺される。こんなところに来るんじゃなかった。欲が出たからいけないんだ。俺は降りさせてもらう。八女、帰るぞ」
男爵はテーブルを両手でだんと叩きつけて立ち上がる。
「お待ちを。今からですと、外は真っ暗で危険です。お帰りは仕方ありませんが朝まで待つ外ないと思います。それに……」
次女が男爵を諌める。そして彼女が言おうとしたことがホミカには分かった。これから警察が来るのだ。現場を離れるということが何を意味するのか。もし他殺となれば、動機があるだけに男爵の立場は危うい。
「それにとは何だ? 俺は貴族院議員だ。不逮捕特権がある。無論、俺がこんなことをするはずな――」
ばんと勢いよく玄関扉が開かれると、家令が酷く慌てた様子で、扉を閉めた。扉の向こうからは何やらけたたましい声がする。
「瀬波州さん?」
左肩を押さえた家令はその場に座り込むと肩で息をする。
「鳥、鳥が――」
「鳥がどうしました?」
ホミカは家令の傷が浅いのを確認して訊く。
「に、逃げたのです」
「何が?」
「ヒ、ヒクイドリ!! 檻が破られて外を徘徊しています。これではとても馬車を町まで走らせることはできません」
「何ですって!?」
ヒクイドリ、歴史上ヒトを最も多く殺してきた鳥である。いわゆる飛べない鳥ではあるが、神経質かつ獰猛で、ナイフのような鋭い鉤爪を持つ。強靭な脚力で蹴り上げられた人間は、内臓破裂か、肉を抉り取られるか、いずれにしても無事では済まない。無論、脚が速く、人間の脚力で振り切れるものではないから、家令の話が事実なら彼はよく生きて戻って来れたものだ。
「襲われたのですか?」
「ご覧のように」
家令は左肩の傷を示して答える。黒い背広の左肩には鋭利な刃物を突き刺したような穴が空いており、血が滲んでいるのがみてた。
「ヒクイドリが逃げたのですか? なら助けを呼ぶこともできないじゃないです!!」
「どうやら檻が外側から壊されているようで」
「一体誰がそんなことを」
「分かりません」
「見ろ、あの木のあたりを」
誰かが叫んだ。
窓ガラスを覗くと、朧げな月明かりの庭に、大人ほどの大きさのある鳥が、庭木の実を啄んでいた。
「本当に逃げ出したのですね」
「これは陰謀だ。誰かが我々を逃さないために仕組んだのだ。こんなところにいてたまるか。俺は一人でもここを出ていく。殺されるのは御免だからな」
「お待ちください!! どちらに行かれるのです?」
「二階の自室だよ。ヒクイドリが外にいるってことは、一階も危ない。ガラス戸ぐらい容易く蹴破れるのだろう。なら安全だと分かるまで引き篭もるしかない」
「それは……まあ」
「ならそうさせてもらおう。その方が安全だ。迎えが来たら呼んでくれ」
男爵はそう言い残すと、勝手に部屋へと帰ってしまった。
「瀬波州の手当てを」
「分かりました。瀬波州さん、東の塔の私の部屋へどうぞ」
一沙の声に、次女が応え、瀬波州を別室へと連れて行った。
「私はちどりを上の階に移動させてきますわ」
八女はそっと部屋を後にする。
「さて、ここいる皆様で、今後をどうするか考えるべきかと思いますが、いかがでしょうか?」と先生は言った。当然、反対する者はおらず、皆、静かに首肯した。
「虹村伯爵のこともありますが、まずはここから脱出する方法について考えましょう。ヒクイドリを何羽飼っているのか誰か分かりますか?」
「五羽ほど」
使用人の一人が答える。私が日中に見た頭数とも一致する。
五羽か……これが全て庭を徘徊しているとなると脱出は困難だ。
「家令の話だと檻が破壊されていたとのことなので、五羽全てが脱走したとみてよいかと思いますが、ヒクイドリに見つからずに町まで辿り着けると思いますか?」
先生の質問にさっきの使用人が答える。
「無理だと思います。奴らは凶暴です。この屋敷の敷地から奴らに見つからずに脱出するのは不可能です。馬車ですら簡単に追いつかれてしまいますから」
「ヒクイドリが敷地からも脱走すれば見つからずに脱出できるのでは?」
「おそらく可能性は低いでしょう。この敷地の柵には鳥の脱走と害獣の侵入防止のために電気を流しております。ヒクイドリは敷地の中から出られません」
「これじゃ俺たちが鳥籠に閉じ込められたようなものじゃないか」
料理人は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ならヒクイドリを眠らせるか殺すかでなければ我々は脱出できないということになりますな。さて、どうすれば……」
「もし」
三女が挙手をする。
「そうなると厄介なことがございます」
「厄介? 何か問題が」
「あります。飼っている鳥は有塚家の財産であり、財産を傷つけることは有塚家の家範に違反します。違反者は相続できなくなりますので」
「家範?」
先生は首を傾げる。
「はい。博士はご存じないかも知れませんが、華族には華族令に規程される家範というものが存在します。これに違反しますと国から懲戒処分を受けることとなります。よろしければ原本はこの屋敷に保管されていますのでご確認なさいますか?」
「いえ、それには及びませんが……となると、ここにいる皆様は、ヒクイドリを処分するのには反対ということですか?」
姉妹らは一同に首肯した。
おいおい本気かと思ったが、なるほど、皆侯爵家の遺産が欲しければ鳥を倒すことを良しとしないのに合点がいく。
「この屋敷には銃がありますので、誰かが鳥を殺すことは可能だと思います。ですが、家範では鳥を処分した際に共謀した者も同じく遺産相続から除外するとありますので、私らの中には、この状況でも鳥を始末しようと思う方がいるかしら」
「では、あなた様方は無為無策のままこの屋敷に留まり、救助を待つと言うのですか?」
「外から救援を呼ぶ方法が一つだけあります」
四女がおずおずと手を挙げる。
「なんですと?」
「西棟のてっぺんは鳩小屋になっています」
「鳩?」
「はい。伝書鳩です。街への連絡に使えます」
「なるほど。なら早速お願いするとしよう。で、救援は早くていつごろ到着するか分かりますかな?」
「鳩は猛禽に襲われなければ一、二時間で街には到着するでしょうけれど、手紙が読まれるのがいつになるやら。そこから警察が駆けつけるとしてさらに二、三時間。できれば銃を使わないで対処をお願いしたいところですから対応は翌朝になるのではと思います」
「翌朝……」
唖然とする先生。
「鳩に託す手紙を用意いたします」
四女はすっと退席する。
もし、虹村伯爵を殺害した者がいるならば、この状況もその犯人が仕組んだことではないか。この屋敷は、殺人鳥のために外部との連絡手段が絶たれ、人も出入りできない。鳥を始末するのも侯爵家の家範により不可能。実に巧くできている。ならば、この状況を作り出した者の企みとは如何に。
「他に外部に助けを求める方法はありますかな?」
「残念ながら思いつきません。三日に一度ほど町に使用人が買い出しに参りますので、そのときに有塚家の者が現れないことで外部の者が気付くかも」
「なら早くても朝まではこのままですか。困りましたな。虹村伯爵も警察が来るまであのままというわけにはいきませんし、どうでしょう、先に我々で現場の状況を確認するというのは? 無論遺体を見たくないという方は来られなくて結構ですが、複数人立会いのうえで調査の後、遺体を動かすべきかと。異論はございますかな?」
先生は周囲を見廻すが、皆はじっと先生を見るだけで、反応というのはない。
「賛成とみてよろしいですな。では、まず状況を確認しましょう。今から二時間程前、虹村伯爵がトイレに行った後、彼を見た者は?」
誰も反応がない。首を横に振る者がちらほら。
「この間、トイレに行った者もいなかったということでよろしいか。なら、伯爵はトイレに行ったきりでそれから出て来なかったということになりますな。その後、蓮目男爵がトイレで倒れている虹村伯爵を発見。ところで伯爵の料理はまだ片付けておられないのですね」
よく見れば、虹村伯爵がいた席にはまだ手付け途中の料理が置かれてあった。先生の疑問に使用人が答える。
「はい、下げてくれとの指示がありませんでしたので。我々としては、虹村様は離席しただけで、食事を続けるものと判断いたしました」
「それは重畳です。料理に毒が盛られていた可能性もありますので、これは廃棄せずに回収した方が――」
ぱちんと手の鳴る音で、先生の声が掻き消される。一同が、音の発生源である四女に注目する。
「あら、御免遊ばせ。そこに蚊がおりまして」
「蚊ですか?」
「えぇ」
彼女は上手く仕留めたようで、掌にある亡骸を先生の方へと見せた。
「ご覧になられますか。この蚊、普通のとは違いますでしょ。ヌカカと言って我々家禽飼育者はとても警戒しておりますの。まあ、こんなに沢山!!」
伯爵の食べ残しに件の蚊が数匹群がっている様子で、それを四女が潰そうと試みる。
「御免遊ばせ。この蚊は、ロイコチトゾーン症という家禽の伝染病を引き起こしますの。この屋敷近辺で出たという話はこれまでなかったのですが、放置するわけには参りませんわ。大事な鳥が病気になることは避けねばなりませんから」
ヌカカと言えば、ヒトも刺す吸血昆虫である。これがいるところで来るかどうか分からない助けが来るのを待たねばならないのは苦痛である。経験上、この虫に咬まれると普通の蚊より痒いのだ。
「ロイコチトゾーン。先生はご存知ですか?」
「いや、初耳だ」
先生は薬学博士だが、知識は天然物化学に偏っていると言うべきで、もちろん基本的な医学知識はあるのだが、生物学分野にはやや疎い嫌いがある。
「ロイコチトゾーン症はヒトに感染したという報告はありませんのでご安心を」
「ですが家禽たちが心配です。災難には災難が重なりますわね」
三女は溜息を吐く。
「とにかく、食事が片付かずにそのままというのであれば、やはり伯爵はトイレに行ってからどこにも行っていないということになりますな」
「それについては俺も証言できる」と料理人が挙手する。
「ご覧のようにホールとトイレを繋ぐ通路には厨房の出入り口もある。料理が出た後だからな、俺はもうすることがないから、作業台に腰掛けて通路越しの窓から外の景色を眺めているのさ。もちろん今晩もそうだが、ここには使用人以外は出入りしていないし、トイレに行ったのも虹村様だけだ」
「なるほど。となると、伯爵は自らトイレの鍵をかけたと考えるのが自然ですな」
「だが、それでは密室殺人になりませんか?」
「そう考えるのは早計でしょう。現場は本当に密室だったのでしょうか? そもそも他殺であるとも限りません。煮詰まってきたようですし、そろそろ現場の調査に向かいませんか。どなたか立会いの立候補はおりますか?」
話し合いの結果、先生と助手の私、五女及び使用人の四人で現場を調べることになった。
「むう。伯爵の運び出しには男爵の手も借りねばならないかも知れんな」
先生はトイレで倒れ込む虹村伯爵を見て言った。伯爵は先程と同じく和式便器にうつ伏せになっていた。
「出血があるってことでいいんですかね」
便器にこびりついた赤褐色のものを見て私が訊く。
「そうだな。五女さんには後で、この中で生理中の者がいるか確認してもらおう」
続いて先生は遺体を調べる。
「外傷特になし。口腔内に吐血の後なし。肛門も……はて、出血はどこからだ?」
一見出血した痕跡がないのに出血はある。意味が分からない。先生はもう一度確認するがやはり見当たらない。
「分からぬな。だが、ここが密室ではなかったことは分かったぞ」
先生は便器の中を指差す。
「汲み取り用の穴が外に通じている。人間一人なら辛うじてここを通ることができそうだ」
「正気ですか? 糞尿まみれになりますよ。私なら死んでも嫌です」
「この穴はどこに続いていますか?」と先生。
「鳥小屋とは反対の敷地ですね」
五女が答えた。
「となるとヒクイドリがいることになりますね。現状外から回ってここを出入りするのはリスクが大き過ぎます」
「ヒクイドリが脱走する前かも知れない。ヒクイドリの檻がいつ破壊されたのか調べる必要があるな。瀬波州氏が屋敷を出た時間より前に檻を見た者を探そう」
虹村伯爵の遺体は先生と料理人がホールまで運んだ。その後、屋内と窓の外に異常がないか先生と料理人が一通り見回ることになった。
「お疲れ様です。お茶を用意しました」
「御苦労。屋内も外も特に変わったことはなかったよ」
椅子に腰掛けた先生に私はお茶を差し出す。そこに次女が現れ、
「瀬波州の手当てが終わりました。傷は思いの外浅く、命に別状はなさそうです。今は少しお酒を飲ませて休ませています」
続いて五女が現れ、
「教授、今日の参加者に生理の者はおりません。またトイレですが、我々が来る直前に使用人が清掃したとのことです。また、鳥小屋の檻についてですが、今朝、庭掃除をした使用人が言うにはそのときまで異常はなかったそうです」
「ちどりちゃんが私に鳥を見せたときも異常はなかったので、鳥小屋が壊されたのはその後なのでしょう。ちなみに、ヒクイドリの檻はどのように破壊されていたのですか?」
「外壁一面が完全になくなっていました」
「外壁というと、屋敷とは真反対側の壁ということになりますね、海側の。完全にといいますと、その壁はどこに行ったのでしょうか?」
「外に出れず暗くてよく分かりませんが、どうやら近くに倒れているようです。ですが、あれを壊したなら忽ちヒクイドリの餌食でしょうね」
「壁一面がなくなるということですが、その壁は綺麗に外れるものなのでしょうか」
「可能性があるかという話なら、綺麗に外すことはできます。掘っ建てた柱に鉄板を打ち付けた小屋ですから、釘を上手く抜くけば外れるでしょうね」
「ハーストイーグルの仕業ではないでしょうか?」と七女。
「先代様が探していたという怪鳥か」
「ヒクイドリは人間のみならず、他の動物であっても攻撃するでしょう。以前野犬が腹を裂かれて死んでいたのを覚えています。なので、安全に檻を壊せるとすれば、それは空を飛ぶものとしか考えられませんわ」
「鉄板は相当な重さがあるように見えたが」
「ですから、それがハーストイーグルなら可能なのです」
(確かにそうかも知れない。そんな存在が実在すればの話だが)
その後、一度解散という話になったが、誰も自室へ向かおうとせず、引き籠もりの男爵以外、皆ホールで姉妹は姉妹らと、使用人は使用人らと集まって時が過ぎるのを待っていた。
「先生は、虹村伯爵の死因をどう考えますか?」
「病死か、何らかの薬物の使用だろう」
「虹村伯爵にも特に持病はなかったと聞いています」
「うむ。中毒だとしても、毒物の特定を今はできない」
先生は意気消沈していた。遺産分割協議の立会いを任されたのにもかかわらず、関係者の一人が亡くなり、ヒクイドリの脱走によって協議の進行が妨げられたのだ。それに、毒物を同定しようにも、実験器具のない化学者など無力に等しい。
「もう一つの仕事の方は取り止めですね」
薬効成分探しの調査案件はこれでもう完全に中止である。
「そのようだな」
「仮に誰かの仕込んだ毒によって伯爵が殺されたのならば、その者と、ヒクイドリを逃がした者とは同一人物なのでしょうか?」
「そうだとして、どうやって毒を仕込んだのか、どうやって鳥小屋を破壊したのか」
分からない事ばかりだ。だが、毒殺の蓋然性は高い。伯爵の言葉ではないが、短い時間に親族が三人亡くなっている。脱走したヒクイドリ。一体誰が?
アリバイの検証をしよう。伯爵が亡くなったのは、夕食中トイレに行った午後七時から遺体発見までの午後九時の間。その間ホールに残っていたのは、先生とホミカを除いて蓮目男爵夫妻のみで、それ以外の人物にはアリバイがない。トイレに向かう通路は料理人が見ていたので、この間に通ったのは被害者のみ。毒殺ならば、被害者がトイレに向かう前に盛られた可能性もある。だが、そうなると、どうやって何の毒を使ったのか。テーブルに着いたとき、ホミカは配膳から伯爵が離席するまでずっといたわけだが、食事中に不審な操作をする者はいなかった。皿のデザインは全て統一されているため、調理、配膳の段階で特定の誰かを狙って細工するのは難しいだろう。またこの工程には複数の使用人が関わっているために尚の事。
鳥小屋の破壊はより不可解だ。皆が食卓に着いた午後六時から伯爵をトイレで発見するまでの間に玄関から外出した者はいなかった。ずっとホールにいたのだから流石に気付く。ホールが無人になったのは我々がトイレ向かって戻ってきた五分ぐらいの間。その間に玄関から鳥小屋に向かい、壁を取り壊し、ヒクイドリに襲撃されずに戻って来ることが可能なのだろうか。
この屋敷に来てからの一連の流れは作為を感じる。ヒクイドリに取り囲まれた屋敷。この後の新たな被害者を逃さないための工作にみえる。やはり連続殺害が企てられようとしているのか。とすれば、人の出入りが不可能な手前、犯人もまたこの中にいることになる。連続殺害となれば、やはり直前に亡くなったという九重、十郷、両氏の死亡もこの一件と関連付けずにはいられない。
「九重子爵は病死でしたっけ? 亡くなったときの状況はご存知ですか?」
「夕餉の後で子爵が居間で座ったまま亡くなっていたのを発見したそうだ。夕食は鳩肉のロースト。虹村様がおっしゃったように毒物は検出されていないために心臓麻痺ということになった。過労かも知れん。家へ戻ったのも二週間ぶりだったそうだ」
心臓麻痺か。薬物でも心臓麻痺を引き起こすものは沢山ある。果たして十分な調査が行われただろうか。遺族が司法解剖を拒めば満足な分析ができないこともある。
「十郷男爵は?」
「海岸で焼身自殺した話は聞いたな? なぜそんな場所を選んだのかは判然とせんのだ。だが、海辺であるために消火しようと思えば海に飛び込めばいいだけで、それをしなかったがために自殺という判断になった。もちろん何者かが縄縛した形跡もない」
「死後に火をつけられた可能性は?」
「気道に火傷があった。少なくとも火がついた時点では呼吸をしていたのは間違いない」
私は腕組みして考え込む。わざわざ苦痛を伴う焼身自殺を選ぶとなれば、気が狂ったと見做されても仕方ない。
「だが、君が気にするように不可解な点がなかったわけではない。油と火種が見つからなかったのだ。潮に流されたということになったがな。他にも、十郷男爵は家の者にも行き先を告げずに、家の使用人を使わずに遺体発見現場に向かったそうだ。当初の調査では死後数日が経過したと思われたが、目撃情報から、遺体が別の場所から動かされた形跡もなく、時系列的にも亡くなってすぐ発見されたようだ」
「なるほど……」
とは言うものの何かが分かるわけもない。現場も見ずに、伝聞だけで事件を解決できるなら警察は不要。一度捜査当局が調べたのだから、それを覆らせるような推理ができすばすもない。
未解明なところは多いが、犯人の目的は容易に想像がつく。有塚家の遺産相続を自分の思うように進めるため。となると、引き籠もり男爵の身が危うい。
「蓮目男爵は無事でしょうか。もう寝ていますかね?」
時計を見ると深夜零時をとっくに過ぎており、もう午前一時になろうとしていた。
「鍵をかけて閉じ籠もっておればどうもならんだろう。妻ですら部屋から追い出す徹底した疑心暗鬼ぶりだ。救助までの間、腹が減らないかだけが心配だ」
「ちょっと見に行きませんか? 寝てればそれでいいじゃないですか」
「寝てても死んでても返事はないと思うが、それを部屋の外から確かめようがない」
「見廻りも兼ねて見に行くのもいいかも知れませんね」と一沙が私に同意する。
「なら見に行くとするか。男爵の部屋は二階、トイレの上だったな」
ホミカと先生、一沙の三人で蓮目男爵の部屋へと向かう。
「蓮目様、いかがです?」
ノックするが返事はない。気配を探るために耳を扉に押し当てる。ガタ、ガタと何かが動くような音がする。あら、無視しているだけで起きているのかも知れない。
突然、
ダンッ!!
と扉が内側から強く叩かれた。
「わっ」
「何だ!?」
ホミカが耳を欹てているのが気に食わなかったのだろうか。
「蓮目さん? 返事してください!」
様子を窺うがやはり反応がない。ゴロゴロと動物が喉を鳴らすような音がする。ノブは回らない。鍵がかかっている。
「先生」
「開けるしかないだろう」
「私、護身用にとこんなものを持ってきましたの」
一沙の手にはバールが握られており、それを先生に差し出した。
「こじ開けるぞ」
バン、バンと扉をバールで叩きつけて、ノブを無理矢理力技で抉り出す。勢いよく先生が扉を蹴ると、そこにはヒクイドリが一頭、頭をこちらに向けて立っていた。




