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十姉妹の鳥籠館 事件編1

推理すら渡り鳥。

——鳥類学的クローズドサークル

科学は、やがて怪談になる。

西国某所にある有塚侯爵家の別邸は、周囲に民家も少なく、世間の喧騒とは縁遠いにもかかわらず、始終騒がしい場所として地域ではよく知られていた。ここには有塚家の先代が世界からかき集めた様々な鳥類が飼育されており、その数はこの郡に居住する人間の数より多いとの噂で、そのために昼となく夜となく騒がしいのだった。ある意味では、人里離れているからこそ許される豪奢であるとも言える。

そんな僻地に、ホミカと教授は東京から汽車、船舶、馬車を乗り継いで遠路はるばるやってきた。

「ようやく到着ですよ、先生」

孔雀を模した家紋のある門柱が見えてようやく安堵の溜息を吐くことができた。だが、肝心な屋敷は木々に隠れて姿が見えない。

「これは侯爵家私有地の目印だ。この林を抜けると農地があって、その農地を越えるとようやく屋敷の正門だよ」

先生は真顔で答えた。まだ船移動の後遺症から醒めないらしい。

「まだ具合良くならないですか。この辺りは大潮に波が荒れるって船頭さん言ってましたね。何でもそんな日にここへ寄越さなくてもいいのに」

ホミカはゆっくりと後ろに流れる代わり映えのしない田舎道に向かって言う。どんよりとした雲模様の下、遠くに小作人の白い影がちらほらと農作業をしているのが見えた。他はクマバチがぶんぶんと忙しく花の蜜を探して飛び交っていた。風に草の香が混じる。

「おや、あれは」

先生の声に釣られて見ると、ホミカたちの行く手の先に同じような馬車が停まっている。どうやら車輪がぬかるみに取られたらしく、御者が一人うんうん車輪を引っ張るがなかなか脱出できそうにない。

「せんせぇ。おいらの仲間が立ち往生しとるようです。せんせぇにとっちゃあ道草になりやすが、どうか手助けすることを認めてはくれやせんか?」

御者が振り返って我々に訊く。

「構わんよ。ぜひそうなさってください。我らは急いではおりませんから」

ホミカも静かに首肯する。

「ありがてぇこって」

御者は馬車を停めると、

「おい、吾作」と向こうの馬車の御者に声を掛けた。

「おーい。手綱を頼む。こっちが押すのに合わせて馬を出してくれ」

「あいよー」

二人の御者が合力すると馬車は容易く動き始めた。

「ご協力ありがとうございます」

向こうの御者が私たちに向かって帽子を下げて一礼する。

「では我々も行くとしよう」

先生は御者に馬を進めるように合図を送る。すると、

「あちらのお客様がお礼をしたいとおっしゃっているようです」と言った。

「この度は助けていただきありがとうございました――あら?」

向こうの馬車から現れたのは妙齢の女性だった。長い髪を結い上げ、緻密な紋様の和装から、彼女が上流階級であることが分かる。

「あなた方は?」

どうやら彼女はこちらの馬車に知人が乗っているものと思っていたようだが、違ったらしい。不躾な態度にホミカはむっと感じたが、先生は自然にそれに応じようとする。

「私は小山せい――」

「誰の代理ですか。ここを通るということはこの先の小屋、十姉妹亭に行くのでしょう。有塚家の遺産相続に口を挟むおつもりなら、案内にもあるように相続権のある本人でなければ交渉の席につくことができなくてよ」

と先生の名乗りを無視して機関銃のように捲し立てる。

「いえ、私はそういう者ではありません。立会人として呼ばれた小山正義と申す者です」

先生は懐から案内状を取り出した。

「あら、ひょっとして薬学博士の小山先生ですか。大変失礼いたしました。生前は父が大変お世話になったと伺っておりますわ」

「いや、お世話になったのは私の方です。留学の費用を先代侯爵様に出していただきましたので」

「そうだったのですの」

「はい、この度は微力ながら有塚家にあのときの恩をお返しできればと協力させていただきます」

「期待しておりますわ。実家はどうにも財産があるせいで、良からぬ輩に狙われやすいようですの。そのせいで中立な立会を頼める方が少なくて。姉妹ともども懇ろにお頼み申し上げますわ」

彼女は深々と頭を下げる。

「それではごめん遊ばせ。また後ほど、ご機嫌よう」と御者に馬を出すように急かした。

「なかなかに拗れているようですね」

ホミカは先生に投げかけた。

「そのようだな」

「面倒事を嫌う先生が珍しいです」

「先代には私をここまで引き上げてくれたご恩があるからな」

先生は空を眺めて言った。

先代と皆が言うが、実際には先々代侯爵の話である。先々代有塚侯爵は華族の中の華族と呼ばれるほどの大物で、若かりし頃の先生の才能を見出して海外留学の費用を全額肩代わりした。先々代には十一人の成人した子がいるが、男子は一人で、襲爵したのは良いものの、後嗣がないままに先日亡くなった。一応五歳になる一人娘が相続人となるのだが、それで終わらないのが華族社会。なぜなら、叙爵は男子のみであり、このままでは有塚侯爵家は無嗣断絶となる。後嗣がいないというのはそういう意味だ。華族であっても実際には女子の地位は低く、公侯伯子男の爵位の順に男子が、その次にそれらの妻や娘となり(妻の場合は夫である戸主の爵位だけでなく、実家の序列も関係してくるからややこしい)、その次に平民男子となる。そういったわけで有塚侯爵家の名跡をどうやって存続させるかの話し合いがこれから有塚家別邸、通称十姉妹亭で行われる。

無嗣断絶とはいえ、手立てはもう決まっている。末期養子をとったことにすれば良いのだが、肝心な問題は誰を養子にするのかである。先々代の兄弟筋の男子のうちの誰を養子として迎え入れるのか。まずは血縁の近しい者らで話を着けようということらしいのだ。

ただし、ものぐさな先生のことである。表向きの要件は先述のとおりだが、実のところもう一つの案件がなければ相続協議に立会うなどという面倒事には関わらなかっただろう。

『生薬名カンタリス。生物名スパニッシュフライ。緑色の光沢のあるカミキリムシに似た甲虫で、疣の治療に用いられるカンタリジンという成分を含む』。生物名のとおり地中海に生息することから日本国内では供給できず、生産量が安定しないため、代替となる生薬を探すことも旅の目的である。かつて、シーボルトがベラドンナの代替品として日本原産のハシリドコロを見つけたように、私たちもカンタリスの代替品を探しているのだ。アテがないわけではない。東大寺正倉院所蔵の薬の目録には芫青という昆虫基原の生薬の記載がある。芫青自体は残存していないため正体不明だが、先生は同じくカンタリジンを含むツチハンミョウのことではないか見ている。そのため、ツチハンミョウが沢山採取できる地域を探しているというわけだ。


「当主はなぜお亡くなりに?」

ホミカは教授に切り出した。

「とある南の島で事故死したらしい。侯爵はハーストイーグルという鳥にご執心であった。人よりも巨大な猛禽で、骨は見つかっているが、生きた個体はまだ見つからず、侯爵はこの怪鳥を求めて南の島を探し回っていたようだ」

「ふうん。大きな鷲かぁ」

(人よりも大きな鳥なんているのだろうか? そんな存在に飛翔能力があるとは思えない)

「ダチョウのような大型鳥類を狩っていたらしい。500年前にはまだ生存個体がいたようだが」


「あれを小屋というにはデカ過ぎやすがねぇ。おいらはてっきり四十雀亭だと思ってやした」

「四十雀? どうしてそんな風に」

「始終、空でありますので」

「ふふ、お上手ね」

「確かに、鳥の世話のために使用人は沢山おるが、家の者は滅多に来ないと聞くなあ」と先生はぽつり。

「なんでこんな場所を選んだんでしょう?」

「さあな。だが、ここでの話がどこかに漏れる心配はあるまい」

「そうですね。ですが、どうして十姉妹なのでしょう」

十人姉妹だから十姉妹という安易なネーミングではないのだろう。潮の香が混じる湿った微風が鼻腔をくすぐった。


そうしているうちに馬車は十姉妹亭に到着した。敷地はまばらに木立があり、一面クローバーに覆われている。敷地が広いので非常に見晴らしがいい。足元にはマメハンミョウが数匹草を食んでいた。海に接する崖を除いて屋敷はぐるりと柵で囲まれていて、おそらく電気を流しているように見えた。建物は崖の上に建つやや古めかしい中世イギリスの城のような石造りで、主塔の両脇から西と東2つの尖塔が伸びている。確かに小屋というには重厚過ぎて、一般市民の居宅とは比べ物にならないくらい大きな家屋だ。だが、それと同時にだから十姉妹なのかと合点がいった。建物のカラーリングである。母屋が黒っぽい色調なのに対し、双塔は白色で、なるほどこれは十姉妹を正面から見たときの模様のようだ。西塔の屋根には夥しい数の鳩が止まっていて、侵入者を拒むかのように来訪者に目を向けていた。



「ようこそお待ちしておりました、小山先生」

家令の瀬波州と名乗る初老の男が恭しく出迎えてくれた。

「お久しぶりですな、瀬波州さん。まだ見習いだったあなたが家令になるなんて、月日が経つのは本当に早い」

「ええ、本当に。先代がいた頃は家内も賑やかでしたが、今ではもう。鳥は煩いだけですし。この度はお越しいただき、本当に良かった。頼める人が少ないもので、御前様が亡くなったときら一時はどうなるかと。虹村様、蓮目様にもお越しいただきましたので、これで有塚家も安泰です。私も長らくお仕えしたご恩をこれでお返しできるというものです。おっと湿っぽい話はいけませんね。荷物は部屋に移すよう手配しますが、ご休憩なさいますか」

「そうだな。部屋でお茶でもいただこうか」

すると、

「お姉ちゃん、遊ぼ」と洋装の幼気な女の子がホミカに駆け寄ってきた。ホミカは、自身の素肌に触れると厄介なので、彼女をたかいたかいをするように両手で抱え上げる。

「お姉ちゃん力持ちー」

「ちどり様、お客様に失礼ですよ」

この娘がそうか、有塚侯爵の忘れ形見、一人娘の有塚ちどり。遊び相手がいなくて退屈だったのだろう。ちどりは家令の話を無視して、

「お姉ちゃん、鳥小屋を見せたげる、来て来て」とホミカの手を引く。

「分かったよ、ちどりちゃん」

「どうして私の名前が分かったの? 私、あなたの名前を知らないわ」

「私は式見ホミカ。立会を頼まれた小山先生の助手なの」

「ふーん。じゃあ、お父さんの遺産目当てじゃないんだ、良かった」

「ちどり様!! 滅多なことを言ってはなりません!」

家令の怒号。ちどりはホミカの陰に隠れる。

「瀬波州、うるさいわ。私は有塚家の当主になるのよ。主人にそんな口の聞き方をしてはいけないのよ。ほら、行こ。お姉ちゃん」

ちどりはホミカを押してどこかへ連れて行こうとする。そこに家令が、

「式見様、申しわけありませんが、少しばかりこの娘にお付き合い願えますでしょうか? 遊び相手が少ないものですから退屈しておるのです」

「構いませんよ」

「やったー、お姉ちゃん大好き!」

ちどりはその場でぴょんぴょん跳ねる。

「ありがとうございます」

家令は深々の御辞儀をする。

「早速見に行こう。珍しい鳥が沢山いるのよ」

彼女はホミカの手を引く。


勝手口を開けた瞬間から、喧しい鳥たちの声がした。むっとした熱い空気の塊が皮膚にぶつかるのを感じる。見ると二、三畳程度の動物小屋が何棟あるのか分からない程に並び立つ。なるほど、先程の道中で出逢った女性が、この屋敷をして小屋と呼んだのは鳥小屋を指してのことだったのかと得心した。

ちどりは私に一つ一つの鳥の名前を教えてくれるが、ニワトリ、七面鳥、ウズラ、アヒル……一般的な家禽が飼育されているだけで、正直珍しいものは何もない。

「ここのはね、食用なの。だから今晩のためにサヨナラしちゃった子もいるんだよ」

「そうなんだ。悲しい?」

「ちょっとね。全部、私がお世話をしてたし。餌をあげるのも。お掃除も。でも、この子たちは人間に食べられるために生かされて殖えることができるからね」

寂しそうに羽根を指でくるくる遊ばせながら彼女は言った。小屋に塗った防腐剤の鉱油の匂いが仄かに鼻にツンと来た。

「そんなことよりも今度はこっちよ」

ちどりに案内されて、どうやら離れの方へと向かっているようだが、塀で隔てられた別区画へと行く。

門をくぐると、そこには――

!?

「ね、すごいでしょ」

驚異の部屋、否、若冲の精緻な鳥図を思わせる、孔雀、極彩色のインコやオウム、ヒクイドリ、名前の知らない南国の極彩色の鳥どりが、もちろんそれらは別々の檻にいるのだが、それらが飼育されているのだった。聞き慣れない喧しい声が四方八方から浴びせられる。

大型の鳥類を前に思わずぎょっとする。背面の壁板には鋭い擦過痕が無数についていた。ヒクイドリの爪痕だろうか。気性が荒いのだろう。脱走でもしたら大変だ。しかし妙なことに、いくつかは天井近くにまで達している。

「お姉ちゃんは、どの子が好きかな?」

「私? 私はやっぱり孔雀かなぁ」

エメラルドの鮮やかな尾羽根を揺らしながら闊歩する雄の孔雀を見てそう答えた。

「どうして?」

「私と先生は普段、薬の研究を行っているの。病気の治療法を探すためにね。昔の人は、病気というのは体に悪い毒のようなものが体内に入り込むことで病気になると信じていたのよ。孔雀はね、猛毒をもつ蛇や蠍に臆することなく、これらを襲って食べてしまう。薬学者としては、毒を喰らう孔雀のご利益を授かりたいのよ」

「そうなんだ。鳥って人間と代謝が違うからね。毒が効かなくても不思議じゃないよ」

私は『代謝』という、大人でもまず使わない単語が、未就学児の口から発せられたことに驚く。代謝は英語のメタボリズムの和訳で、英文学者の夏目金之助の造語である。教養人ならまだしも……いや、彼女の父は鳥類学者か。

「詳しいね。お父さんから教わったのかしら?」

「そうだよ」

「ちどりちゃんも鳥の学者さんになるのかな?」

「ううん。私は有塚家の当主になるの」

「うん? そっかー」

頭に疑問符が浮かんだが、子どもの言うことなので道理がなくても仕方がないと考えるのをやめた。当主と職業は不可分ではない。現に彼女の父親である先代当主は鳥類学者で有塚侯爵家当主だったわけだ。彼女の言い分でいくと、彼女の父はどういう立場になるのだろう。

「そう言えば、屋上にはまだ上がってないよね。見晴らしがとっても良くて、鳥になった気分になれるからぜひ見てみましょう」

ホミカはちどりに連れられて母屋の屋上から敷地全体を眺める。屋敷の周りは海の見える断崖を除き、ぐるりと塀に囲まれ、庭木がぽつぽつ点在するほかは芝生に覆われている。西欧の鄙びた古城を思わせるような景色だった。斜陽の滲む空と海のコントラストが美しい。爽涼な風が髪を靡かせる。

「キレイでしょ?」

「風が気持ちいいね」

「昔はね、その崖からぷらいべいとびいちに繋がる階段があったらしいんだけど、子供が降りるのは危険なの。私も叔母様のようにボートで遊んでみたかったなぁ」

崖の方を見ると、今でもボートは繋留されているのか、杭の先に崖へとロープが伸びていた。

「叔母様? お父さんの姉妹たちのことかな。叔母様もここに住んでいたの?」

「うん。有塚家の子は、この屋敷過ごすと決まってるの。跡取りの子はね、すぐ東京に行くの。だから私もこの鳥籠から出て行くの」

(鳥籠か。言い得て妙だな)


見上げると屋敷の軒には鳩が止まっており、不審者を監視するかのようにこちらをじっと見つめていた。


さて、使用人が現れ、夕食の用意ができたとのことだったので、ホミカはちどりとともに屋敷に戻った。


「君、その虫籠」

教授がちどりの持つ虫籠を指差す。気にならなかったが、中身があるようだ。

「その虫はマメハンミョウという。毒があって危ないから寄越しなさい」

「そうなのー?」

ちどりは肩から下げた虫籠を教授に手渡す。確かに中の虫はマメハンミョウのようだ。

「私にはもう必要ないからあげるー」

「先生、ひょっとしてサンプルを集めたいから奪ったんじゃないですか?」

「人聞きの悪いことを言うな。こんなところで怪我でもされたら医者を呼ぶのも大変だぞ」

「そうですか。確かに危険なものには変わりありませんものね」

マメハンミョウはツチハンミョウと同様にカンタリジンを含む。含有量はツチハンミョウほどではないが、豆科の植物に大量発生することから安定供給の候補として我々は期待しているところだった。


夕食は鳥尽くしの豪華なものだった。カートで運ばれる料理は蒸し鶏のサラダに、鶏ガラスープ、鳥の内臓と野菜の中華風炒め。中でも特筆すべきはーー

丸鶏のオーブン焼き。

使用人が皿を見比べながら席ひとつひとつに配膳を進めていく。同じ皿に同じ料理。違いなんてあるのだろうか?


「こんなに豪華な御夕食をいただいてよろしいのでしょうか」

「なに、構いません。御前様が亡き後、この建物もいつまで維持するかは分かりませんので、この機会に食事として提供することこそが供養というものです」

と家令は答える。

食卓には有塚家の親類十一人とホミカと先生がいた。十人姉妹と聞いていたが、人類の女性はちどりちゃん含めて九人しかいない。代わりに夫とみられる男性二人がいた。

「十人姉妹と聞いていたんですが、八人しか揃っていないようです」

ホミカは隣に座る先生に耳打ちする。

「あぁ、二人は欠席だよ。少し前に夫が亡くなってね。葬儀は終わったんだけど、家中がバタバタしているのに、本家の話に口を挟むなんて余裕はないということらしい。私もそれ以上のことは知らない」

「二人とも、ですか?」

「あぁ、二人とも侯爵の後を追うようにな」

「それってかなりキナ臭くないですか?」

遺産目当ての何者かが相続を有利に進めるために殺害した可能性がある。

「そうは思わない。一人は病死、もう一人は自殺ということだ」

「いや、死因は関係ないですよ。死体を見たわけではないですから」

「君はまたそんなことを。折角の料理が不味くなるだろ」

「私たちは食事のために船酔いしたわけではないのでしょう。遺産分割協議を邪魔する何者かについて、立会人としては警戒すべきではありませんか」

「そうは言ってもな……」

私は警察じゃないと先生は零す。

「取りあえず、そのことは置いて、美食に舌鼓を打とうではないか」と先生は会話を強制的に終わらせると、丸鶏のオーブン焼きにナイフを入れた。

ホミカと先生以外のここに集まった人らは、全て先代侯爵のきょうだいにあたる。先代侯爵は末っ子で、先々代の十一人目の子になり、十人の姉がいることになる。

先程の道中で会ったのは長女の一沙で、先代が亡くなるずっと前から未亡人であるとのこと。次女の次実、三女の満、四女志乃、五女樹、六女莉久、七女菜々、八女八女、九女と十女は主人が直近に亡くなったことで不参加。男二人はそれぞれ七女と八女の夫、虹村伯爵と蓮目男爵である。事前に聞いた話では、この二方の子のうちのどちらかを新たな有塚侯爵家の当主とする話し合いをこれから行うとのことらしい。

さて……

丸鶏にナイフを入れるとパリっとした皮の感触のあと、すっと肉が切れ、そこから一層の香気と湯気が吹き出した。焼けた脂の匂いが鼻腔をくすぐる。

「実に美味しい鳥ですな」

先生は食べながらに感嘆の声を漏らす。

「鶉の丸焼きというのは初めて食べました。そう言えば、先代侯爵様は鳥を食べるのもお好きだったと記憶しますが、皆様も付き合わされたのでは?」

「えぇ、まあ」

蓮目男爵夫人、八女が答える。

「一番美味しかった鶏料理は何ですかな?」

「山鳥なんかは美味しゅうございました。孔雀やらダチョウやらも食べましたけども、結局、人間が品種改良した鶏や鶉の方が美味しいと思います」

「なるほど。人が育てるのはそれだけの理由があるというわけですね。逆に美味しくなかった鳥というのもありましたか?」

「ありますよ。ツメバケイという羽に鉤爪をもつアメリカ原産の鳥なのですが、草を餌にしてあるためか、肉自体が牛糞のような臭気を放つのです。こればかりは食べられませんでした。フマルカモメというのも臭いのせいで食べる気にはなれなかったですわ。そう言えば、ツメバと名のつく鳥にはもう一つ食べられない鳥がございます。名をツメバガンとといい……」

「奈々さん。食事の席なのですから、不味いものの話はおよしになって。折角の御馳走なのに気が散りますわ」

「そうですわね。この話は別の機会にいたしましょう。では、私からも質問、中国の伝承には鴆という毒鳥がおりますが、鴆というのは実在するのでしょうか?」

「私の知る限りありません。鳥による中毒というのは、西洋の文献にも出てきますが、鴆の実在はまだ証明されておりません。無論、世界は広いですから、まだ人類が発見できていないだけで、どこかに実在するかも知れません。南方の未開地には原住民が語る毒のある鳥の話というのもあります」

「実在するなら、ぜひ鴆も蒐集したいものですわ」

「期待させて申し訳ないですが、鴆というのは、鳥ではないのです。化学的には、実のところ鴆とはヒ素のことでして古代中国では鳥の羽根を用いて精製するためにこの字となったと考えられます」

「まあ、そうなのですの」

「はい。ヒ素は通常貴金属を鉱石から精製する際の副産物として得ることができます。ヒ素自体は無味無臭で水にも溶解しますが、ヒ素を含む鉱石自体は全部溶解しないので食物に混ぜたら食味のせいで気付かれるでしょうな。なのでヒ素を鉱石から精製することになるのですが、その方法が、鉱石を火にかけて、その蒸気を鳥の羽根に当てるのです。そうしますと、ヒ素は加熱により気化するのですが、羽毛の毛先が凝結の核となって、再度ヒ素が析出し、純度の高いものを得ることができるのです。宴安酖毒という言葉があります。放蕩は鴆毒のように身を滅ぼすという意味になるのですが、酒編の酖と鳥の鴆は、同じ意味で須いられ、この鴆なるものが、酒に混ぜて使われることを意味します。数ある毒物のうち、敢えて鴆毒を選んだのは、宴との結び付きが近い酒にまつわる毒物として選ばれたのでしょう。実際、ヒ素は洋の東西を問わず、酒に混ぜられることが多く、後先考えない行動という意味の飲鴆止渇という言葉があるように、鴆毒は何らかの液体であることを示唆しています。そもそも鴆という漢字のつくりは、横たえる、横たわるという表意文字で、水に横たえれば沈む、横たわるときに使う木製品が枕、鳥の羽根を横たえて作るのが鴆、酒に横たえて作るのが酖、という具合になるわけです」

「へぇ、流石は博士ですわ」

「丸鶏か……」

伯爵が蛇のように鋭い眼光で皿を睨む。

「鶏はお嫌いでしたっけ?」

隣に座る七女、伯爵夫人が訊く。

「いや、むしろ好物だが……先の九重子爵のことがあったからな。彼は心臓発作で亡くなった。彼の体内からはヒ素をはじめとする毒物は何も検出されなかったらしい。最期の晩餐は鳩の丸焼きだったそうだ。鳥の肉は縁起が悪い」

「まあ。ですが、これは鳩ではなく鶉でしてよ」

「それはそうなんだが……いや、そうではなくて、胃袋は受け付けるが気持ちが受け付けぬのだ」

伯爵はそう言いつつも、フォークに刺さった鶏肉を口に放り込む。

「旨いは旨いよ」

鳩肉か……細菌性の食中毒の可能性は、即死だったということから否定できる。病死と考えるのが自然だが、目の前に座る伯爵夫人が三十代半ばであることを考えれば、その妹はそれより若く、その夫のなると心臓発作で亡くなるには若過ぎるという伯爵の疑念も分からなくもない。ましてや莫大な遺産を持つ侯爵が亡くなった直後である。そんなタイミングで相続に口を挟むこのできる人物が突然死したのだ。伯爵の姉妹らを眺める表情は険しい。

「ウズラにはウズラ中毒というものがありましてな」と先生。それを聞いて、咽る伯爵。

「ご安心を。欧州の御伽噺の類ですから。現代ではウズラを食べて問題があるわけではありませんし、日本のウズラとそもそもの種が違います。欧州ではウズラは渡り鳥なのですよ」

「ふぅん、ならいいが」

ウズラ中毒は、かつて欧州に実在したとされる、ウズラを食した際に生じる致死的な食中毒だ。症状は嘔吐、倦怠感、褐色尿など様々。加えて、全てのウズラが毒化するわけではなく、毒ウズラのスープを飲んでも中毒する者としない者がいるという眉唾な話もある。だが、近代以降の症例もなく、ウズラ中毒の本態が何であるかは不明のままである。

「九重子爵は二十八でしたね?」

先生が口を開いた。九重子爵は先月亡くなった九女の夫である。

「そうです」

伯爵夫人が答える。

「それはお若いのに。何か持病をもたれていたのですかな」

「そうは聞いておりませんで。何分急なこで我らも動揺したのです。十郷家のことがあった後でしたから」

十郷家のこととはおそらく自殺があった十女の嫁ぎ先のことだろう。

「さながら鳩が豆鉄砲を喰ったようなことだったのでしょう」

その例えは失礼過ぎると思ったが、それ以上に伯爵夫人の得も言えぬ表情の方が引っかかった。

「鳩が……今、何とおっしゃいましたか?」

「これは失礼。不謹慎な話でしたね。鳩肉の話が出たのでつい口に出てしまいました。休憩中にいただいた紅茶にブランデーを入れ過ぎたようです。申し訳ございません」

食卓が凍りついたように誰も微動だにせず、不穏な空気に包まれている。見ると、他の姉妹ら全員が七女と同じような口角が引き攣ったような表情をしていた。鳩の話題は禁句なのだろうか。

「とはいえ、我が虹村家は有塚侯爵には恩がある。我が子が義父の役に立つというのであれば、喜んで差し出しましょう」

伯爵は自分の子を養子に出す気のようだ。それに異議を唱えたのが蓮目男爵。

「閣下、お戯れを。侯爵家への養子は、ちどり様を娶ることが条件。閣下の子息、光耀様は二十歳と聞きましたが、まだ五歳のちどり様を娶るのはいささか年齢の差があるのでは?」

「むう。閣下はそう考えるのか。だが、有塚家の資産、事業は莫大であり、それを執り仕切る才覚がなければ家督を継がせるの難しいと思わぬかね。愚息の光耀は今、イギリスに留学中だが、すぐにでも帰国させることもできる。確かに君の息子なら御息女とも歳も近かったと記憶するが、それでは今すぐに有塚家の舵切りはできますまい。有塚家は借財の返済も滞っていて、東京の邸宅も売立されそうだと聞く。むろん、華族の世襲財産であるゆえ、差し押さえられることはないだろうが、ちょうど英国オーストラリア自治領から領事館建設地として打診があったそうじゃないか。愚息に任せれば売立などせずとも有利な契約を引き出すこともできるだろう」

「まぁまぁ、今はおよしになられては? 話し合いの時間は別にありますから」と男爵の隣の八女が宥める。

「それはそうだが……ことが重大なだけにゆっくりと飯を食うこともままならん。さしずめ十郷男爵もこのような鬱屈した気持ちで日々を過ごされていたのだろう。挙げ句まさか焼身自殺を図るとは」

焼身自殺とは穏やかではない。その十郷男爵はよほど精神を病んでいたのだろうか。

「その話はよしましょう。ね、これでお終い。食事を楽しみましょう。私、家からシャンパンとマンゴーを持ってきましたの。皆さんも召し上がってください」と七女の虹村夫人が言った。

「マンゴーとは何かね」と蓮目男爵。

「閣下はご存知ないのですか。南国の果物で味は熟れた桃のような風味があります。原産国では未熟な青い果実でも野菜炒めにして食べるとも聞きます。食べたことがないのならぜひお召し上がってください」



その後、晩餐は恙無く進行した。虹村伯爵がトイレに立つまでは。


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