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仁なき実

「で、要件は何ですか?」


 翌日、香雪邸の教授室。呼び出されたホミカは、用件だけを端的に促した。


「君に預かってほしいものがある」


 小山はそう言って、机上の包みを顎で示す。


 預かる、という言い方にわずかな違和感を覚えつつも、ホミカはそれを手に取った。


「もしかして、不二川様が送ったという試料ですか?」


 昨夜の話が頭をよぎる。

 海外からの植物であれば、確かに貴重だ。


「まあ、合っているが……いいものではないぞ」


 歯切れの悪い言い方だった。


 包みを解く。

 乾いた植物の匂いが立ちのぼる。


 紫色の花。


 花弁だけではなく、茎も葉も混じっている。

 ――いや、混じっているのではない。


「……全草?」


 指先でつまみ上げ、形を確かめる。


「――イヌサフランですね」


 昨夜のそれと、同じ。


「左様。賊が持っていたものだ。警察も扱いかねてな。薬のことは薬屋へ、だそうだ」


 ホミカは無言でそれを包みに戻した。


 使えなくはない。

 だが、扱いにくく、危険で、わざわざ選ぶ価値の薄い代物。


 ――要するに、厄介なゴミだ。


「しかし、なぜ子爵が? 押収は警察でしょう」


「さあな。向こうから回ってきた。全く面倒な話だよ」


 教授は肩を竦めるだけだ。


 ホミカは小さく息を吐いた。


(なるほど)


 先日の一件で、子爵の肝を潰したことを根にもっているのだろう。

 あの男がそれをそのまま飲み込むとも思えない。


 だからといって、表立って非礼は働かない。

 代わりに――こういう形で返す。


「厄介払い、ですか」


「だろうな。処分にも金がかかるから、こちらに押し付けたというわけだ」


 そして教授もまた、それを受け取ってなお、自分で処理する気はない。


「……それで、私に」


「君が一番扱いに慣れているだろう。それに、バニリンの合成法は先行者がいたから論文にならない。君の研究も大事だが、卒業研究も疎かにできんぞ」


 悪びれもなく言う。


 ホミカは諦めたように包みを持ち上げた。


「承知しましたわ」


 結局のところ――

 子爵は子爵で意趣返しをし、

 教授は教授で面倒を押し付ける。


 ただ、それだけの話。


 だが。


(覚えておきましょう)


 ホミカは心の内で静かに線を引く。


 敵ではない。

 しかし、無条件に信用してよい相手でもない。


 包みの中のイヌサフランが、かすかに乾いた音を立てた。


 翌日の昼下がり。ホミカは菜園で採れたタマネギを薄くスライスしていた。その隣には顕微鏡が用意されていた。


「式見さん、おりますか」


 作業がひと段落した頃、実験室の扉が控えめに叩かれた。

 振り返ると、稲葉透子が顔を覗かせている。


「やはりこちらにいらしたのですね」


「新しい試料が手に入りまして。代わりに先生から宿題も頂きましたけれど」


 ホミカは窓辺へ目をやる。吊るしてあるイヌサフランの球根は、いつの間にか赤紫の花を開きかけていた。光をよく受けるこの場所が気に入ったらしい。


「まあ……あんなことがあった後ですのに、もういつも通りですのね。少しは気が滅入っているかと心配しておりましたの」


「お気遣い感謝しますわ。じっとしている方が、かえって落ち着きませんので」


 透子はほっとしたように息をつくと、小さな包みを差し出した。


「それならちょうどよかった。気晴らしに、と思いまして」


 中には白い菓子が収まっている。


「アイスクリームですの?」


 思わず声が弾む。先日の舞踏会では結局口にできなかった代物だ。


「どちらでお求めに?」


「いえ、手作りですわ」


 透子は何でもないことのように言い、ちらりと試薬棚へ視線を向けた。


 ホミカもつられてそちらを見る。

 ――硝酸塩。


「なるほど」


 小さく頷く。


(水和吸熱反応)


 匙を入れると、すっと沈んだ。氷とは違う、どこまでも柔らかな抵抗。

 口に運べば、舌の上でほどけるように溶ける。


「よくここまで冷えましたこと」


 ものを冷やすには氷を用意するところだが、ここなら氷がなくても氷菓子を作ることができる。


 透子は少し得意げに微笑む。


「戦争も終わりましたし、今ならこういう使い方をしても咎められませんでしょう?」


「確かに。火薬として使うよりはよほど健全ですわ」


 もう一口。

 冷たい甘味が喉を通る。


「牛乳はどこから調達したのです?」


「不二川様の経営されている牧場です。とても良いものをいただけましたわ」


(手広く事業をやっているんだな)


 ホミカは喋りを透子に専念させて、一口、また一口と黙々と氷菓子を食べていた。


「今度はスイカでも試したいですわね。菜園で蕾ができているのはスイカでしょう?」


「透子はスイカが好きなの?」


「不二川様がお好きなんですって。だから私、よく冷えたものをお返ししたくって」


(スイカ……ねえ)


(中医学では清熱生津:熱を取り渇きを潤す。西洋医学では、カリウム:利尿解熱)


 洋の東西を問わず、扱いが難しい薬は双方の医学ともに同じである。おそらく全身の臓腑に影響を与えるものが特に毒性が強いとホミカは認識していた。


(イヌサフランもそういう類の毒なのだろう)


「顕微鏡を持ち出すなんて珍しいですわね。どんな実験をしていたのか教えていただいても?」


「タマネギの細胞を見ていたのですわ」


「細胞ですか?」


「コルヒチンは痛風に使用しますけど、毒性も強いでしょう? ですから細胞に対する毒性が分かるかも知れないと思いまして」


「私も顕微鏡を覗いてもよろしくて?」


「もちろん」


 ホミカは反射鏡の角度を調整しなおして席を透子に譲る。


「まあ、細胞ってこんな姿をしているのですね。赤い丸は何ですの?」


「それは核。今回は染色したから赤く見えるだけで本当は色らしい色はありませんの」


「へぇ、そうなんですの。この蛸のようなものな?」


(蛸?)


「それは染色体。細胞が分裂するときに、核も二つに分かれますの。そのときにそのように形が変化するそうです」


「ねぇ。これってイヌサフランの抽出液を使ったものとそうじゃないものが混ざっているのですよね?」


「そうですけど?」


「私、どっちがどっち分かる気がします」


「本当に!?」


 思わず立ち上がるホミカ。


「えぇ。こっちがイヌサフランでしょ?」


「何で?」

(合っている)


「一言で説明するのは難しいですけど、だってこっちの方が染色体の纏まり方が変ですもの」


「変わってもらっても?」


 ホミカは顕微鏡越しにサンプルを見比べてみる。


(確かに。でも、これは何が起こっている? 細胞分裂阻害作用?)


(であれば、強い毒性も頷ける)


(単純な理屈なら、生き物の成長を抑えることになりそうだけど、何かに使えないかしら?)


 香雪邸の裏手にある薬草園は、朝の光を受けて静かに息づいていた。整然と区画分けされた畝に、各地から集められた薬草が植えられている。ここは教授の城であり、そして今は、ホミカの管理するものでもあった。


 その中央で、彼女はしゃがみ込む。


 花弁の奥、雄蕊にそっと薬液を触れさせる。


「……どうなるかしらね」


(最初は農薬になりえるか考えたけど、効果が無差別だし、大量に用意することは難しい。作物の成長を抑えてもいいことないが、花に作用させたらどうなるのか?)


「もし、結実を遅らせることができればいいけど」


 作物は旬のものが最も美味しいが、その一方で季節外れの作物も珍しいという点で付加価値が高い。ならばこの新しい方法で高付加価値の作物を育てようとあうのが今回の狙いである。


 風が吹いた。春の匂いが、ほんのりと土の湿り気を含んで鼻をかすめる。


 そこには、まだ若い瓜類の苗が並んでいる。教授が趣味半分で植えたものだが、手入れは行き届いている。


 ホミカはその一株を見下ろし、迷いなく頷いた。


「こちらも試してみましょうか」


 花だけでは足りない。結果が欲しい。


「もう始めたのかね」


 振り返ると、いつの間にか小山先生が立っている。白衣の裾を揺らしながら、面白がるように目を細めていた。


「ええ。どうせなら早い方がよろしいでしょう?」


「ほう。で、どんな実験を?」


「ホミカは、指先についた微かな汁を見つめる。


「イヌサフランの毒は細胞分裂を遅らせる働きがあるようです。ならば、作物の成長を遅らせて、季節外のものが作れないかも」


 先生は一瞬だけ沈黙し、それから、ふっと笑った。


「いいね。薬にならん話だが、面白い。続けたまえ」


 止める気は、ないらしい。


 むしろ歓迎している。


 ホミカは再び苗に向き直ると、今度はより丁寧に、しかし躊躇なく毒を扱った。


 ――数日後。


 その“異変”は、誰の目にも明らかな形で現れることになる。


 花は咲く。だが、どこか歪で。


 そして、結実したそれは――


「実つきが悪い程度かしら」


 思っていた以上の結果にはならなかった。実の収率が落ち、生育も大幅に遅れるわけでもない。


(失敗は想定の範囲内……)


 一応ナイフで切って中身も確かめる。


(手応えがない。中で痛んでいるのか?)


 割ってみるとその断面は驚くほどに滑らかで均一的だった。


「……種が、ない?」


 一つ、二つと同じように中身を確かめてみるが、本来そこに見えるはずの種が消失していた。


 (成長を遅らせる。そういうことか……)


 本来あるべきものが、きれいに欠け落ちている。成長を遅らせるというよりは、そもそも成長できなくするのか?


「ある意味、成功なのかしら」


 果肉を一片、口に含む。


 まだ完熟していないだけ酸いが問題ない。


 むしろ――


「商品としては、こちらの方が優秀かもしれませんわね」


 種がない。


 それだけで、どれほどの価値が生まれるか。こっちの方が種を吐き出す必要がないだけ上品に食べられる。


 舞踏会で押し付けられた“ゴミ”は、思わぬ形で、次の道を指し示していた。


「奇妙な代物が出来上がったみたいだな」


 ホミカの報告を受けた教授が種のないスイカの断面を指でほじくりながら言った。


「毒も使い方次第というわけですね」


「で、来年はどうする」


 振り返らずとも分かる声だった。


「同じことをすれば、同じものができますわ」


「その“同じこと”の元はどこにある」


 言葉が一拍遅れて、ホミカの中で形を取る。


 元。


 つまり――種。


 彼女はようやく振り返った。小山先生は腕を組み、畝一面にぶら下がる実を見渡している。その顔には、呆れと、わずかな興味が混じっていた。


「……市場から買えばよろしいのでは?」


「そうするしかないだろう。、だが費用負担は君だ 」


 ぴしゃりと断じられる。


「一株でも残しておけば、よいものを」


 視線が刺さる。


「現象は出た。見事だ。だが――」


 一拍。


「やりすぎだ」


 静かな断罪だった。


「上手くいったから良かったものを、これを全部ダメにするところだったんだぞ?」


「だって先生がやり方を教えてくださらなかったんですもの」


 唸る教授。


「なるほどな。確かに君は優秀だが、吾輩にも責任があったかも知れぬ」


「さしあたって論文執筆に向けて、実験手法の指導もしよう」


 彼女は顔を上げた。


「申し訳ありません、先生。私は種無しスイカで論文を書く気はありませんよ」


「……何?」


「だって先生は自分の研究費は自分で用意しろとおっしゃったではありませんか。この研究を公表してしまったら誰にだってマネされてしまいます。そうしたら私はこのスイカを高く売ることができなくなるではありませんか?」


 教授の眉がわずかに動く。


「なら特許申請もしないつもりか?」


「もちろん」


 先生は深くため息を吐いた。


「君の言い分が理解できないわけではない。なら、好きなようにしなさい」


「お心遣い、ありがとうございます」


 教授は立ち去る。


「成果は認める。だが条件がある」


「なんでしょうか?」


「この研究を続けること。論文にしなくても実験の内容と成果をレポートにしておくこと。以上だ」




次は結納品が密室から消失する事件が発生します。

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