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 カミルは無造作に剣を振る。その一撃で何を斬ったかまでは見ていないし気にしない。たぶん何かの首が飛んで、どす黒い赤が散った。

 何でもいいが、動くものは、目の前にあるものは、視界の隅にわずかにでも引っかかったものは、とにかく全部片っ端から斬った。


 燃やすよりは斬るほうが好きだ。手応えがいい。斬ったという実感がいい。大物は手に痺れるような感覚が残り、これがたまらなくいい。それに血飛沫が派手に上がるのもいい。一番太い血管を狙って傷つけるのは何より楽しかった。苦しみを長引かせるのもいいが、一瞬で刈り取るのはもっといい。肉が焼け爛れる悪臭もたまらないが、それ以上に鮮血の鉄錆の臭いはカミルを否応なく高揚させる。

 何かの群れをまとめて吹き飛ばした。何かの首を斬り払った。返り血は敢えて避けずに全身で浴びる。噴水か間欠泉のように噴出す血を見てケタケタと笑い声を立てる。

 嗤いながら、白い世界を赤く染める。何もかもを、赤で塗り直すのだ。


 死ね。死んでしまえ。

 屑のように塵芥のように糞のように蛆虫のように死んでしまえ。

 殺す。殺してやる。

 切り裂いて引き千切って握り潰して叩き割って弄って嬲って玩んで殺してやる。


 気持ちいい。気持ちいいが充たされない。こんな血ではもう、充たされるはずがない。

 邪魔だ。邪魔をするな。早くあれを喰らうのだ。早く、早くこれを殺して、滅して、滅ぼして、あの美味しそうなもののところに戻らないと。他の奴らになどくれてやるものか。あれを喰らうのは私だ。あれでこの虚を埋めるのだ。あれでこの飢えを癒すのだ。


 骨の髄までしゃぶり尽くして、綺麗に平らげてやりたい。血の一滴に至るまで、すべてを腹に収めたい。

 どこから食べるのがいいだろう。やはりあのきらきらした瞳からがいいだろうか。試しに舐めた涙はすこぶる甘くてとても興奮した。目玉を舌の上で転がしてじっくり甘さを味わってから、奥歯で噛み潰そう。艶めかしい唇もいい。少し温めて色を戻してから噛みつこう。ぷるぷるの歯触りを楽しめそうだ。次は指を一本ずつ味わって、それから太ももに齧り付いてみたい。盛り上がった大きな乳房は最後のお楽しみだ。

 そうだ、あれを喰らうのは私なのだ。


 私――私とは誰だ? 私とは、何だ?

 どうでもいい。


 虚が際限なく広がって塗りつぶされる。

 何もない。

 もう何も。


 カミルは嗤う。浅ましい欲望に身を委ね、悍ましい未来を思い描く。

 だからなんだ。あれを喰らう。あれを喰らえばそれでいい。あの美味しそうな。

 美味しそうな――


「カミルさま! カミルさま! カミルさまー!!」


 上段に構えた剣は、そのまま、振り下ろされることなく停止した。



 目の前には哀れな小鬼ゴブリンが緑青色の禿頭を抱えて蹲っていた。いつまでも襲ってこない痛みを訝しんだのか、恐る恐る見上げてくる。その瞳は濁った黄色。小鬼は醜く皺の寄った顔に恐怖を浮かべ、命乞いをするかのようにその場に這い蹲った。


 これは、なんだ。

 これは、魔性では、ない。


 彼女は小鬼これを気の毒だと言った。


「……行け」

 何故そう口にしたかはわからない。だがそれを合図に、小鬼は泡を食って逃げ出した。短い足を何度も何度も雪に取られながら必死に動かして逃げていく。周囲からも潮が引くように多くの気配が去っていった。残ったのはカミルひとり。


 灰色の空から、音もなく雪が落ちてくる。ひらひらと舞い落ちる雪片が斬り伏せた大量の死体の山を覆い、血の赤も臭いも、焦げた生木も溶けかけて凍りついた雪も、すべてが再び白の世界に飲み込まれる。枝葉からとさりと落ちた雪が軽い音を立てただけで、以降は静まりかえった死の中に、カミルはひとり立ち尽くしていた。


 私は何をしていたのだろう。カミルは自問する。

 カミル。

 そうだ、私はカミル。

 彼女が、フェリシアが、今、私をそう呼んだ。

 塗りつぶされたはずの己が急速に形を取り戻していく。

「……フェリシア」


 無事だろうか。泣いていないだろうか。

 そもそも、戻ってもいいのだろうか。

 きっと酷く怯えさせてしまったろう。ローボを失って嘆き悲しんでいる彼女を慰めたかっただけなのに、触れた瞬間何もかもがだめになってしまった。あの時、頬にくちづけた時、頭の中はもうフェリシアを食べることでいっぱいで、あのままあの場所にいたら、今頃フェリシアは物言わぬ骸どころか、ただの血肉に成り果てているだろう。他ならぬ、カミルの手によって。


 カミルはその場に膝をついた。身体が重い。

 虚がまた、広がった。


「カミルさまー!」

 フェリシアの声が徐々に近づいてくる。こんなにも魔素の濃い場所で、苦しそうに、必死に叫んで。来てはいけないのに。貴女はここでは満足に呼吸も出来ないのに。

 会いたい。会ってはいけない。抱きしめたい。抱いてはいけない。相反する思いをぐるぐると巡らせながら、カミルはただ、よろめきながら近寄ってくるフェリシアを眺めていることしかできない。


「かみる、さま」

 フェリシアがいる。目の前にいる。大きな緑の目から涙をはらはらと零しながら。


「かえり、ましょう、カミルさま」

「フェリシア……いけません、私はもう……」


 もう、カミルは魔性なのだ。卑しい衝動に突き動かされ、優しいこの娘を食餌としか思えず、殺戮を繰り返す、ただの魔性なのだ。

 フェリシアが両腕を広げて力なく項垂れるカミルの頭を抱え込んだ。小さな手が黒髪を優しく梳り、つむじに唇が落ちる。虚がずくりと疼いた。


「カミルさま、ごめんなさい、わたし」

「何故、貴女が謝るのです」

「ちがうの、ごめんなさい、違うの。わたし、あなたを綺麗だと思ってしまった。あなたの朱い瞳を美しいと思ってしまったの……あなたは人でいたいと願っているのに、わたしは獣のあなたを、魔性のあなたを美しいと思ってしまった。でも」

 フェリシアが言葉を切った。浅い呼吸を繰り返し苦しそうにしながらも、カミルを抱きしめる腕は緩まない。


「でも、カミルさまは魔性では、ないです。たとえ魔性でも、カミルさまはカミルさまです。だから、一緒に帰りましょう」


 額に唇が触れた。それから瞼にも。フェリシアの冷えた唇がカミルを辿る。そのたびにずくりずくりと虚が啼く。魔性に堕ちることを何より恐れていたのに、彼女は魔性であるカミルを認めるというのか。

 カミルは内側から何かが広がるのを感じた。それは『何もない』ではなく。


 愛しい。そうだ、愛しいのだ。こんなにもフェリシアが愛しい。

 空っぽだったカミルの虚に、愛しさが満ちていく。


「フェリシア、私の目は赤い?」

 ぶんぶんと首を振って否定するフェリシアをカミルは微笑んで見上げた。

「黒い目は嫌?」

「いいえ、いいえ! 黒い瞳も綺麗です! 黒曜石みたいでとてもとても綺麗です!」

「フェリシア、私を呼んで」


 カミルは震える手を伸ばしてフェリシアの頬を両手で包んだ。引き寄せて、額をつけて、唇が触れ合うほどの近さで彼女の吐息を感じる。


「か、みる、さま?」

「もっと」

「カミルさま」

「もっと」

「カミルさま」

「もう一度」

「カミルさま」

「フェリシア、貴女の声が私を人に戻す。貴女に名を呼ばれるたびに、私は人に戻れる。だから、もっと」


 カミルは寒さによって色を失ったフェリシアの唇に指を添わせた。この唇が「カミル」と形を作るたびに、虚が甘く共鳴する。音が雫のように降り注ぎ、カミルの虚を充たしていく。何もなかった空白がフェリシアでいっぱいになる。

 掻き抱いた身体は予想通り細く、予想以上に柔らかい。

 カミルは幸せだった。こんな幸せがあることを今まで知らなかった。


 レオンハルト、お前の名付けは正しい。


 彼女は確かに幸福だ。

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