第94話:『近すぎて』
『週に一度ならば構わない』
……と言うレナードの『許可』に喜び
招待状を書く速度が三倍に成ったリディアとユリウス。
一方……そんな二人に依って
有耶無耶と成ってしまったレナードの『決意』は
数週の後も、まだ彼の胸の内で燻り続けていた。
……アイナの帰還後。
当たり前に過ぎ去っていく時の中で
彼は……酷く、焦っていた。
それは、朝の目覚めが悪い理由でもあり。
浴場で倒れた理由でもあり。
全ては――
『アイナ・リーネル』という一人のメイドに対し
白の継承者と呼ばれる彼女に対し……そして。
この屋敷へ戻る事を選んだ彼女に対し。
伝えなければならない事が、
余りにも多すぎるが故の焦りだった――
◆
――執務室。
いつもの様にうず高く積まれた書類の山……だが。
その中で、王都から届いた『書類』は
彼を酷く苦しめていた。
……至る所に踊る『白の継承者』という文言、
それを目にする度、レナードの表情は曇った。
「私は……どうすれば良い?
私は、どうすれば君を護れる……ッ……!」
誰に聞かせるでもなく、彼は弱音を吐いていた。
「これは『強制では無い』……そんな言葉。
誰が告げようと……アイナ。
……君は、困っている人を見捨てられない。
だが、君の人生は……君の立場は。
……君が、君の実力で勝ち取った居場所を
何故、誰もが軽んじてしまうのか……いや。
私さえも……アイナ、君を
真に理解出来ては、いないのだろうか……」
……書類を掴む手に力が入る。
そして、次の瞬間。
レナードは、僅かに荒く書類を脇へ避け――
「ッ……此処で悩むだけでは解決に至らない」
――そう言って立ち上がると
手帳と万年筆を手に取り、
彼女に近しい者達の元へと向かった――
◆
「……ジョセフ、訊ねたい事がある」
「なんですだ?晩飯の献立なら肉が良いですだ」
「そうでは無い……アイナの事だ」
「アイナ様は、魚が食べたいって言ってましただ」
「何?それは準備を……い、いや。
そうでは無く……」
「あっ!噂をすれば本人ですだ!」
「何ッ!?……し、失礼する」
「何でですだ!?……ち、ちょっと若様!」
◆
「……エドガー、訊ねたい事がある」
「はい、何で御座いましょうか?」
「王都より、白の継承者関連の仕事が
想定より遥かに多く舞い込んでいる。
だが、私は今回の騒ぎ……いや。
今後も……いかなる場合であろうとも
アイナを商品の様に扱うつもりは無い。
だからこそ訊ねたい、アイナは……」
「レナード様、丁度ご本人があちらから……」
「なッ!?……し、失礼する」
「レ、レナード様ッ?!」
◆
「メイド長……って、アイナ。
な……何をしている?」
「へ?……何って、窓拭きですけど……」
「そ、そうか……邪魔をして悪かった、失礼する」
――この後、向かう先々でアイナと鉢合わせし、
その度に、彼女を避ける様に逃げ続けたレナード。
暫くの後……彼は、一度執務室に戻り
作戦を立て直す事を考えていた。
だが――
◆
『コン・コン・コン・コン』
「坊ちゃま、失礼致します」
「セシリアさん……何か用事ですか?」
「ええ……とても重要な事が一つだけ。
坊ちゃま……何故、アイナから
『お逃げに』成られているのですか?」
「そ、その様な事は……」
「いいえ……逃げておられます。
ご自分でも理解しているからこそ
その様に顔を顰められるのでしょう?」
「……」
「坊ちゃま……貴方が
アイナを案じるのはとても素敵な事であり
当主としても、一人の人間としても素晴らしい事です。
ですが……アイナの意思を確かめたいのであれば、
それは、誰に訊ねるでも無く、
アイナ自身に直接、問うべき事なのです」
「それは……分かっています。
ですが……私には、問うべき言葉が判らない。
何から訊ねるべきか……訊ねて良いのかさえも」
「問うべき言葉、ですか……坊ちゃま。
失礼を、致します――」
瞬間――セシリアは、
レナードを静かに抱き締めた。
そして――
……
「――私に対し
『おかえり』と言ってくださった貴方は
思い悩み……それでも、私が傍に居る事をお認めに成った。
……私は、とても嬉しかった。
貴方の飾らない言葉と、不器用な優しさは、
表面では無く、確かに私の深い所にまで届いたのです。
坊ちゃま……貴方は、貴方のままで
貴方の思いを確りと伝えるのです。
貴方は……私と同じ道を歩む必要はありません」
――その言葉は、まるで祈りの様で。
レナードの胸の奥に燻る思いに
僅かな、勢いをつけた――




