第90話:『何が何でも、帰る場所』
――レナードの言葉は、
この場に水を打った様な静寂を齎した。
そして、彼は尚も続けた――
……
「……だが、何よりも許せなかったのは
貴女が、喪服のような姿で現れた事だ。
無論……噂には聞いていた。
『白の継承者』『白鷺の魔女』
……そう呼ばれていた貴女が、あの日を境に
一切の白を纏わなくなった事は。
だが……見れば思い出す、嫌味なほどに。
『知り合いだから』と手心を加える様な
緩みを持たない貴女の性格は熟知しているし
王都が無理に命じたのだろう事だって理解していた。
それでも、私は……アイナを連れて行った貴女が
とても、恐ろしかった……それはまるで
『ベールを纏った死神』の様だったから。
『私は、再び失うのか?』
……そう思い、悩みもした。
だが――」
――瞬間、グラスを掴み
『はちみつレモン水』を飲み干したレナードは――
「――セシリア・ヴァレンティア。
貴女は……戻り始めていた。
過去、私が見ていた白に……その、漆黒の衣の下に
私は確かに、微かな白を見たのだ。
……アイナを抱き留めた瞬間。
貴女が、アイナに何かを感じたのだろう瞬間……私は。
僅かに希望を持ったのだ……」
――セシリアは、唯、無言で聞いていた。
「……セシリアさん。
あの日、貴女が突如として……別れらしい別れも告げず
当家を去った本当の理由は判らない。
幼い私に見えていたのは――
『母が亡くなった事が切っ掛けに成った』
――その事実だけだった。
セシリアさん……何があったのか、ちゃんと答えてくれ。
貴女が此処を去る事を選びたいにしろ、
此処に居る事を選ぶにしろ……私は、真実を訊くつもりだ。
答えてくれ……その黒の下に隠れている、貴女の真実を」
セシリアは、静かに俯き……そして。
レナードを真っ直ぐに見つめ――
……
「……『聞けば傷になる』
そう言った逃げを口にする事など
お赦しに成るつもりは無いのでしょう。
……分かりました。
ですが、その前に……アイナ。
『憧れの白』の真実は
貴女にとって微塵も嬉しくない話です。
ともすれば、私という存在を軽蔑してしまうかも知れない。
……それでも、同席しますか?」
「……聞かれたくないのなら、聞かずに居ます。
でも、話したいのならちゃんと聞きます」
「アイナ、強いのですね……貴女は。
分かりました、ではレナード様。
お話致します――」
――瞬間、胸に手を当て
深く息を吸い込んだセシリアは――
……
「――当時、レナード様のお父上であり
ご当主様であったヴィクター様は、
王都の軍部再編や、区画整理と
様々な仕事を掛け持ちされておりました。
そして、その結果……今に至るまで
不在が続いております。
……その『仕事の鬼』と言うべき血筋は
レナード様にも確かに受け継がれている様ですが。
反面……多忙が過ぎ、忙殺と言うべき状況に陥ったお父上は
公爵家当主と言う身分の前に、夫としての役目を
著しく投げ捨てたかの様な行動をお取りになられた。
一方……身体の弱かったエレノア様は、当時
自ら育てられていたバラ園に向かう事さえ出来なかった。
ですが、私が手入れを行う度に
エレノア様は――
『ごめんなさいね、面倒な規模のバラ園でしょう』
――そう言って
困った様に笑みを浮かべて居られました。
私はその度に――
『美しく香しいものに触れられ
剪定時期にはローズウォーターまで作れますので』
――そう言って、関わらせて頂く事が『楽しい』と。
お伝えし続けていました。
ですが……ある日の事。
奥様の容態が急変した
“あの日”――
――
『……良いのよ、セシリア。
あの人は、忙しくて……私がこんなだから……
外に何人作ろうと……私には……責める資格なんて……』
『……ッ!?
で、ですが!……見舞いの手紙一通さえ……!』
『良いの、セシリア……私自身、もう
あの人を愛しては居ない……今、私が望むのは
レナードの健やかな成長だけなの……でも。
……でも、あの人は。
ヴィクターはきっと、レナードさえ
駒の一つとして使うつもりよ。
だから、セシリア……
剪定の上手な貴女に……お願い。
その魔の手を……腐った枝を。
切り取って、欲しいの……』
『な、何を……エレノア様、私に何をしろと……』
『ヴィクターを……あの人を……
レナードの人生から……切り取っ……て……』
『……奥様?
奥様ッ……!?』
――
「……私には、最後までその意味を理解出来なかった。
今際の際……エレノア様は、言葉だけを見れば
私に対し『夫を殺めて欲しい』……そう頼んでいた。
ですが……彼女をよく知る私には、
どうしても、そう頼まれた様には思えなかった。
……でも、その判断を付ける前に
私は、家政管理院から呼び出され
家政の引き継ぎさえ出来ぬまま、
ヴィクター様の側付きメイドとして
長らく、王都に仕える事と成ってしまった。
私は……私は、何一つとして約束を護れなかった。
最期に懇願された、その願いさえ……私は
奥様の葬儀にさえ参列出来なかった。
……忘れ形見であるレナード様に、顔向けなど出来ない。
だからこそ、私は黒を纏いベールを掛けたのです。
二度と、人の心を見つめてはいけない……白など
纏って良い立場には無いと……」
……全てを語り終えたセシリアは
力無く項垂れ、
過去を悔いる様に震える両手で顔を隠した。
一方……レナードは、空のグラスを手に
スッと立ち上がると――
……
「……セシリアさん。
このレモン水はとても美味しかった。
……だから。
また――明日も作ってはくれないだろうか?」
――そう言って
セシリアにグラスを差し出した。
「ッ!?……ぼ、坊ちゃま。
それは、緊急時に飲む物です……から……ッ……!」
「ああ、程々で構わない……だが。
今は……君に必要なものなのかも知れない。
セシリアさん……改めて、おかえりなさい」
この瞬間、セシリアは返事さえ出来なかった。
……そんな中、涙に濡れ
震える手で受け取った空のグラス。
其処から垂れた水滴は、彼女の膝の上に落ちた。
それは、まるで……彼女の苦しみに
終止符を打つかの様で――




