第9話:『露華』
「本当に……なんで、ああなるんだろ。私」
――いつもの姿見の前
『特別報酬』の封筒を見つめて居たアイナ。
彼女は、前日の――
“銀の月~真実を移す守護天使アイナの鏡事件~”
――を思い出し、身悶えしていた。
「もう……ほんっと、なんでああなるのよぉっ……!」
……机の上には
小さく折りたたまれた『退職願』……既に
提出するには不適当な程“ボロボロ”に成ったそれを
指先で突付きながら……彼女は。
決意を口にした――
「……今日こそはちゃんと突きつけてやる。
もう、言い訳なし……出来るはずよ、アイナ」
――暫くの後
息を整え、部屋の戸を静かに明け……あたりを見回し
“ジョセフが走ってこない事”を確りと確認した彼女は
折りたたんだ『ボロボロの退職願』を懐に入れ
レナードの待つ、執務室へ向かった。
だが――
◆
「……い、居ない?
もうっ! ……何処に居るのよっ!
何時もなら、この時間は此処で朝食を摂ってる筈なのに!
って……もしかして、食堂かな?
そう言えば、レナード様
一緒に銀食器を磨いてた時
ちょっとだけ嬉しそうだったし……って。
……何考えてるのよ私っ!
あの男は今から辞表を叩きつける相手なのよ?!
……落ち着きなさいアイナ。
もう、騙されちゃ駄目。
レナード様は、ちょっと顔が良くて
ちょっと“イケメンボイス”なだけっ!
と……兎に角。
早く見つけ出さなきゃ……」
“彼女以外は”……静寂の中。
足音を立てず階段を下り、
食堂へと向かったアイナは――
◆
「おぉ、アイナ様ぁっ!
丁度良かっただ!……早く座ってくださいませ、ですだ!」
到着するや否や、
妙に畏まったジョセフにそう促され
言われるがままに席へとついた。
……だが、肝心のレナードが居ない
その事に僅かな不満を感じつつ
ジョセフを見つめていると――
「そ、そんな見つめねぇでくれ……照れるだ」
「あなたが座れって言うから座ったんですけどぉっ?!
っていうか……用事があるんじゃなかったの?」
「ああ、そうだっただ……その、アイナ様
その……おら、庭師を
辞めねぇといけねぇかも知れねえだ……」
「なっ、いきなりね……何があったのよ?」
「それが……おら、果樹園の扱い……下手なんだ
そんで、沢山無駄にしてしまうんだ……」
「無駄に? ……生育不良とかそういう事?」
「違うんだ、育てるのは出来るんだ……でも
育ちすぎて沢山落ちて腐るんだ……
……収穫が、間に合わねぇだよ」
「なるほど……で、怒られたの?」
「いや……レナード様は怒らねぇだ。
でも、おらが……申し訳ねえんだ……」
其処まで訊いて、アイナは
フッと笑みをこぼし――
「ひ、ひでぇだ……アイナ様、人の不幸さ笑っただ。
聖女様じゃねぇだ……」
「いや、そもそも聖女じゃないし!
メイドだし?!……あとっ!
そういう意味の笑いじゃないからっ!
と……兎に角。
そういう事なら、一度見に行ってみましょ?
辞めるか辞めないかは
それからでも遅くはない筈よ?」
「い、良いんだか?……」
「と……当然でしょ?」
「おぉ……やっぱりアイナ様は聖女様だっただ!」
「なっ、現金ねぇッ!? ……兎に角、行くわよ!」
「はいですだっ!」
……暫くの後。
ジョセフを引き連れ、果樹園へと向かったアイナは
そこで、大量の落果を目の当たりにした。
◆
「あ~……すごい量ね」
「すまねえだ……」
「大丈夫、そんなに落ち込まないで良いから
それよりも……ジョセフ、貴方って凄いわね?」
「何がだ? ……おらの失敗のことだか?」
「違うわよ、そうじゃなくて……ほら
見てみなさいよ自分で……完璧だと思わない? 」
この時、アイナが褒め称えていたのは
ジョセフの『剪定技術』だった。
……日光の調整、空気の流れ
ジョセフの仕事はまさに完璧というべきものだった。
「お、おらはただ……そうした方が良いと思っただけだ」
「……それが大正解を生んだんだから誇りなさいよ。
で、落果だけど……気にしないでいいわ」
「へっ? ……隠蔽工作するだか?」
「いや、発想っ!!!……そうじゃなくて
これだけあるなら……」
「あぁ、分かっただ!……ジャムにでもするだか?」
「……それも違うわ、ジョセフ
砂糖って目が飛び出るほど高いのよ?
そうじゃなくて、私が言ってるのは……
……果実酢よ!」
彼女達の暮らす『中世』と言う時代
水は、安心して飲めるものでは無く
酢は“水を消毒するため”の必需品であった。
他にも『気付け薬』や『リネンの染み抜き』など
用途は多岐に渡り……その消費量は
貴族家ともなれば、相当な金銭的負担で――
「そんな事出来るだか?!……落果だど?!」
「ええ……寧ろ完熟してる分作りやすい位よ?
兎に角、極端に傷んでない限り
酢には使えるから、選り分けて集めるわよ!」
「わ、わかっただ!」
――直後、二人は早速
落果の中から、比較的痛みの少ないものを選び始めた。
ジョセフは大きな木桶を運び込み
アイナはテキパキと指示を出す――
「……やることは簡単よ。
集めた果実を軽く洗って、この樽の中で粗く潰すの。
皮についた天然酵母の力で
自然に発酵して、まずは果実酒に変わるわ」
「さ、酒にするだか!?酢は何処に行っただ?」
「落ち着いて、これはまだ第一段階。
そのあと、放っておくと自然とお酢に変わるの」
「そ、それは……魔法って事だか?」
「“自然に”よ! ……兎に角
大体、数ヶ月もあれば立派なお酢の完成ね。
……その間、私たちは
時々かき混ぜて様子を見るだけで良いの」
アイナはエプロンのポケットから
手ぬぐいを取り出し、手際よく髪をまとめ上げた。
「でも……果物を潰すのは結構な力仕事だから
ジョセフ、貴方にお願いするわね。
樽の口を覆う清潔な布が必要だし
そっちは私が屋敷から古リネンを持ってくるから!
虫が入らないように確り縛っておかないと!」
「そ、それだけで良いだか……?
煮たり、高い薬を混ぜたりしねぇだか?」
「そう思うでしょ?……でも、必要ないの
すべて、自然の力に任せるのよ。
……あ、でも。
発酵が始まったら
ちょっと不思議な匂いがするから
屋敷から少し離れた
風通しの良い物置を貸してもらえる様
レナード様にお願いしないと……」
アイナがそう言った瞬間
彼女の背にむけ発せられた声――
「流石はアイナ……綺麗にするだけに飽き足らず
今度は酢まで醸造しようとはな。
これは、特別報酬だけで無く
そもそもの給料を上げるべきだろうか」
「レ、レナード様っ?! ……い、いえその
これはジョセフが……」
「ああ、分かっている……それと、ジョセフ。
辞めてなどくれるな……あと“隠蔽工作”もしてくれるな」
「ひぃっ?!い、何時からみてただか?!」
「何時?……確か、落果を見つめていた辺りからか」
「最初からですだぁぁぁっ?!」
「……そんな事よりも、アイナ
物置の大きさはどの程度必要だ?」
「え? ……えっと、見た限り
この樽が七~八樽入れば充分ですけど……」
「ふむ……それなら、丁度良い物置がある。
……他の使用人たちにも手伝わせるから
二人共、くれぐれも無理はしてくれるな。
それと……二人には特別報酬を渡す
何時もより少し多めに出すから
少しだけ期待して待っていてくれ……では」
そう言って颯爽と果樹園を去ったレナード。
……一方、一連の流れを
遠巻きに眺めていた屋敷の使用人たちは
皆、またしてもアイナを崇め始めて居た――
……
「く、腐った果実から酢を?!
聖女ってのは“水をワインに変える”んじゃないんだな」
「そうね……と言うか、屋敷の財政まで支えるなんて
アイナ様はやはり、この屋敷の守護天使様なのよ!」
「其処ぉッ! 神と同一視はやめなさいッ!
後……見てたんなら手伝いなさいよぉぉぉッ!!」
――今日も今日とて
彼女の絶叫が屋敷を包み込んだのだった。




