第8話:黒銀の月
「もう、絶対に……出て行く」
――“白雪の守護天使事件”
その、翌朝……自室の姿見の前。
アイナは、強い決意を感じさせる様子で
そう、宣言をしていた。
……
「いい? ……アイナ。
白いリネンが綺麗になって気分が良くなっただけ。
別に、この屋敷が好きになった訳じゃない
使用人達が喜んでたからって、何?
レナード様が“綺麗だな”って言ったから、何?
そっ……そもそもっ!」
『バン!』 ……と、化粧台に両手を突く。
「わ……私の誕生日は!
未だにっ……祝われてないんだからぁぁぁッ!!」
――絶叫と沈黙。
そして、懐に手を入れたアイナ。
「よし、今日こそ冷静に決めるわ……」
そこには、最早
何度出し入れされたか分からない
端のよれた『退職願』が……足元には、
昨日のうちに再び詰め直したトランク。
「今日こそ、何が起きても手を貸したりしない。
誰が困っていても知らない、私は
『退職願』を叩きつけて、この屋敷を――」
――その時だった。
「ア、アイナ様ぁぁぁッ!!」
廊下の向こうから響く悲鳴……それは
ジョセフの声であった。
「……」
アイナは、ぴたりと動きを止めた。
「アイナ様ぁぁぁッ!食堂が、食堂がぁぁぁぁッ!!」
(聞こえない……聞こえないったら、聞こえない)
「銀が! ……銀が全部
黒くなってるですだぁぁぁぁッ!!」
アイナは静かに目を閉じた……そして。
「……ぎ、銀?」
「声がした……アイナ様!居てくれてよかっただ!
頼みますだ~っ!このままじゃ大変ですだ~っ!」
「う゛っ……つい、反応を……」
「早く行くですだ~っ!」
「ち、ちょっとぉっ!!……」
◆
――例に依って、暫くの後。
ジョセフに腕を引っ張られ、
食堂へと強引に連れてこられていたアイナは
扉を開けた瞬間、思わず顔を顰めた。
「うわぁ……」
……長大な食卓、壁に掛けられた燭台
来客用に並べられた銀食器。
だが、それら全てが――
「……黒っ」
――黒ずんでいた。
鈍く、くすみ光を失ったそれは
名門公爵家の食堂というよりも
最早『呪われた古城』とでも言うべき
禍々しさを放っていた。
「お、お助け下さい聖女アイナ様ぁっ……!」
料理長が半泣きで懇願する。
「……き、急な来客予定が入りまして
急ぎ銀器を用意しようとしたのですが
これらはどれも、長らく
しまい込んで居たものでして……」
「いや……だからって、
何でこんなになるまで放置したんですか。
と言うか、聖女呼び止めて下さい。
私、メイドなので」
「面目ありません……聖女様」
「人の話聞きましょうか」
一方、周囲の使用人達は
青ざめた顔で銀食器を見つめていた。
「ああ、やはり……呪いだ」
「アストラル家に伝わる黒き月の呪い……」
「光を喰らう銀……」
「いや、ただの黒ずみでしょうがッ!!」
……そんな中、不意に背後から投げ掛けられた声
振り向くと、其処にはレナードが立っていた。
彼は、黒ずんだ銀の燭台を見つめ
少し困ったように眉を下げていた。
「済まない……皆を責めないでやってくれ。
これも、本来ならば私が気付くべきだったのだ。
……それらの銀製品は、
母が居た頃にはよく使われていた。
だが、私の代になってからは
来客も……減ってしまってな」
――その声は、何処か寂しげで。
黒ずんだ銀、使われなくなった食堂
誰も座らない席……それらが、何故か
レナード自身の横顔と少し重なって見えた。
「別に……銀なんて、ちゃんと磨けば戻ります」
「も、戻るのか?……此処まで酷い状態でもか?」
「ええ、戻りますし……間違っても
黒ずんだからって、捨てるものじゃありませんよ?
っていうか……高いんですからね?銀製品」
そう言って
アイナは小さく息を吐き――
「お酢と木灰、あります?」
「……料理長、用意して貰えるか?」
「あっ!……それと、柔らかい布も!」
「酢と灰ですか?」
料理長は目を瞬かせ、続ける
「ぎ、銀の呪いを祓うのに……酢と灰?
暖炉由来の呪いって事ですか……?」
「祓いません、磨くんです……あと、呪いじゃないです」
「や、やはりお祓いだったのですか……しかし
酢と木灰で祓えるとは……」
「……ええ。
祓うんじゃなくて、磨くんですけど」
「なるほど……では、残った酢は
香草と合わせてソースを――」
「其処ぉッ! 料理の腕を見せようとしないっ!!!
兎に角……用意して下さい」
……ともあれ、数十分後。
アイナの指示により、木灰と酢が用意され――
……
「……いいですか?
銀は傷つきやすいんです……だから
取れないからってゴシゴシ擦っちゃ絶対に駄目です」
説明しながら、木灰を酢で湿らせ
黒ずんだ銀のスプーンを手に取ったアイナ。
「……まず、この灰を布に付けて
銀をこうやって、擦るんです……細かい部分は
布を指に巻いて……こうやって、少しずつ」
「ほう……つまり、力任せでは駄目なのだな」
隣でレナードが興味津々に頷く。
「当たり前です、何でも力でどうにかしようとするから
針で指は刺すし、薔薇も変な切り方になるんです」
「うっ……他言無用と言ったはず……」
「あっ、指のやつは別に……気にしないで下さいね?!」
その様子を見ていたジョセフが小声で呟く。
「当主様が、聖女様に裁かれてるだ……」
「ジョセフ……給料を下げるぞ」
「ひぇっ!当主様が八つ当たりしただっ!」
……ともあれ。
この後もアイナは次々と銀を磨き続けた。
やがて、黒ずんでいた銀は
少しずつ本来の輝きを取り戻し――
「お、おぉ……!」
「黒き呪いが……剥がれていく……」
「銀月が目覚めるぞ……!」
「いや、だから銀磨きですってばッ!!」
……額に汗を滲ませながらアイナはツッコんだ
だが、使用人達の目は尚も釘付けだった。
くすんでいたスプーンが……燭台が、皿が。
アイナの手を通るたび
次々と輝きを取り戻していく。
……窓から差し込む朝日を受け
磨かれた銀は光を反射し、
食堂の天井や壁を照らし始めていた。
……
「嗚呼……綺麗だな」
天井の光を見つめながら、レナードが呟く。
「え? ……」
「昔……母が居た頃、この食堂は
こんな風だったような気がする。
いや……もっと、明るかったのかも知れないが
何れにせよ……綺麗だ」
その横顔は穏やかで、ほんの僅かに
取り戻せないものを見ているようでもあった。
一方、アイナは……拭き終えた銀食器を
静かに、置き――
「絶対に……戻りますよ」
――気付けば、そう言っていた。
「……銀も、食堂も。
ちゃんと手を掛ければ、ちゃんと元に戻ります。
放っておいた時間が長いなら、その分
少しだけ手間は掛かっちゃいますけど……」
――アイナは視線を落とし
次の銀皿を丁寧に磨きながら、続けた。
「……でも、黒くなっただけです。
無くなった訳じゃありません。
ちゃんと……此処に、あるんです」
その言葉に、レナードは静かに目を細め
唯、一言――
「……ああ」
――そう、応えた。
◆
昼過ぎ……食堂は
見違えるほどに変わっていた。
……磨き上げられた銀食器が整然と並び
燭台は光を弾き、壁には柔らかな輝きが揺れている。
それはまるで、長い悪夢から
目覚めたかのようで――
「す、凄い……」
「本当に、戻った……」
「銀が……公爵家の威光が……天使が舞っている!」
「威光じゃなくて光沢です!
天使じゃなくて照り返しですっ!」
アイナは即座にツッコんだ。
……一方、そんな彼女の横で
レナードは、磨かれた銀皿を一枚手に取り
そこに映る自分の顔を見つめていた。
「ふむ……随分、情けない顔をしている」
「へっ……?」
「……いや、気にしないでくれ。
昨日よりは少し、マシに見えるなと思っただけだ」
「そんな……答えに困るようなこと言わないで下さい」
「すまない……だが、君のおかげだ。
『特別報酬』は……ああ、すまない。
後で私の部屋に取りに来て欲しい」
「わ、わかりましたっ……あっ
その……有難うございますっ!」
直後、頬を赤らめながら
レナードから銀皿を奪い取ったアイナ。
「ま、まだ拭き跡が残ってましたので!
ちゃんと最後まで磨かないと駄目ですねっ!
まっ……まだまだですね!私もっ!」
「そうか……では、私も手伝おう。
遅れれば、使用人たちに示しがつかない」
「えっ、あ……いや、その……」
「よし、では……力任せではなく、優しく……」
――そう言って
不器用ながらも銀のスプーンを磨き始めたレナード
その手つきはやはり壊滅的な不器用さだった。
だが――
「ま、まあ……少しは、覚えたみたいですねっ! 」
「君の教え方が良いからだ」
「なっ……!
おっ……お世辞を言っても
(誕生日のことは)……ゆ、赦しませんからねっ?!」
「手厳しいな……ふふっ」
「ちょっと! 笑ってごまかさないで下さいよ!」
……微笑ましく続く“すれ違い”の会話。
だが、その時だった――
「た、大変ですだぁぁぁッ!!」
もはや聞き慣れた絶叫、
一方、二人の間に割り込んだジョセフは
半泣きで叫んだ。
「し、使用人達が――
『聖女様の手に触れた銀は持ち主の魂を映す』
――とか言いながら
銀皿を覗き込んで懺悔を始めましただぁッ!!」
「なんてぇぇぇっ!?」
振り返れば……食堂の隅
磨かれた銀皿を前に、使用人達が列を成していた。
「昨日つまみ食いしました……」
「庭の水やりを一回サボりました……」
「ジョセフさんの誕生日ケーキ。
実は、二切れ食べました……」
「其処ぉッ! 銀皿に懺悔するんじゃありませんッ!!」
アイナの絶叫が
輝きを取り戻した大食堂へ響き渡る。
一方、磨かれた銀の光を眺めながら
レナードだけは、どこか穏やかな顔で笑っていた。
それはまるで、失われた何かを
取り戻せたかの様に――




