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『メイドさんは出て行きたいッ!』~誕生日を忘れられたので辞表を書いたら、無自覚な家事技術で世界を救う聖女だと勘違いされました~  作者: 黒崎 凱


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第10話:『救い出す手』

「ジョセフ、喜んでたなぁ……」


――怒涛の果実酢造りの翌朝。


アイナは、自室の姿見《すがたみ》の前で

昨日の出来事を振り返り、ほんの少しだけ口元を緩めていた。


……あの後、文字通り

泥だらけ、果汁だらけになりながら

ジョセフと一緒に、落果を拾い集めては

樽に仕込み続けたアイナ。


目を丸くする使用人たちにも指示を出し

僅か一日の内に、全ての落果を仕込んだ彼女は

この日……とても満足気だった。


だが――


「……って、何ニヤニヤしてんのよ私!

昨日は昨日! 私の誕生日を華麗にスルーされた恨みは

未だ一切清算されてないんだからっ!

レナード様ったら、昨日も何も言ってこなかったし!

ま、まぁ……特別報酬はすごかったけど。


……でもっ!

お金の問題じゃないんだからっ!


今日こそ、今日こそ冷静に『退職願』を……ううん」


其処まで言いかけ、アイナは小さく溜息をついた。


……鏡に映る自分の顔が、どうにも少し暗い。


恐らくは、慣れない力仕事のせいだろう。

身体は重く、それに引きずられるように

どうにも気分の針がマイナスの方へと傾いてしまう。


「はぁっ……とりあえず、

朝ご飯食べてシャキッと体力を戻さなきゃ……」


――どんよりとした気分のまま

アイナはトランクと『退職願』を一度部屋に残し

朝食を摂るため、食堂へと向かった。


の、だが――


◆


「あ、あのっ!……も、申し訳ありませんっ!

すぐに……すぐに片付けますからぁっ!」


……ひどくパニックに陥った少女の声。


直後、アイナの目に写ったのは

見慣れない制服姿の少女……どうやら

最近新しく入ったばかりなのだろう新人メイドが

食堂の床にへたり込んでいた。


……彼女の足元には

無残に砕け散ったガラスの破片。


どうやら、配膳中に手を滑らせ

盛大に叩き割ってしまったらしい。


「あわわ、どうしよう、どうしよう……っ!」


直後、涙目の新人メイドは

あろうことか素手で破片を拾おうと手を伸ばし――


「待ちなさい!素手で触っちゃダメ!」


――アイナの身体は、思考よりも先に動いていた。

鋭い声を上げながら駆け寄り

新人メイドの手首を掴んで引き留める。


「ひゃいぁっ!?って……ア、アイナ先輩っ?」


「……怪我したいの!?

ガラスの破片をそんな風に拾ったら

指を深く切っちゃうでしょ!?……下がりなさい!」


「で、でもっ……私のミスのせいで

皆さんの仕事に障りが……は、早く片付けなきゃ……!」


「良いから、落ち着きなさいってば! 」


……アイナは周囲を見回した。

使用人たちは遠巻きにざわついている。


無論、ほうきとチリトリならば

大きな破片は集められるだろう。


……問題は、床の木目の隙間や

目に見えないほど細かく飛び散った

『微細な破片』の方だった。


普通に掃除をしただけでは、全ての危険性は拭えない。


アイナは思考を巡らせた……そして、すぐ

食堂の奥にある厨房へと、強い足取りで向かい――


……


「料理長!『失敗作』をくださいっ!」


「き……急に何だ?」


厨房の主である料理長は

額の汗を拭いながら怪訝な顔をした。


「えっと……焼くのに失敗したパンです!

少し焦げちゃったり、形が崩れたりして

人に出せないやつ!……残ってませんか!?」


「あ、ああ……それなら

さっき窯の温度調整をトチって

少し表面が黒くなっちまったのが一本あるが……


……食べるにゃあ、ちと苦えぞ?」


「それで充分です!……ください!」


直後、不思議がる料理長から手渡された

まだ微かに温かい、表面の焦げたパン。


アイナは、迷わずそれを真ん中で真っ二つに引き裂いた。

現れたのは、ふんわりとした白い中身。


……アイナはそれを手に、再び

ガラスが散らばる現場へと戻ると

新人メイドや周囲の使用人たちが不安そうに見守る中

床に膝をつき、パンの白い断面を

床のあちこちへと『押し当てる』ように

『トントン』……と

リズミカルに動かし始めた――


……


「あ、アイナ様……? 一体、何をされて……」


新人メイドが恐る恐る訊ねる。

一方のアイナは作業の手を止めず、淡々と説明した。


「……大きな破片を片付けた後

細かいガラスの破片を片付ける時は

こうやってパンの白い部分を押し当てるの。


そうすれば、ほうきでも掃ききれないような

微細な破片まで、パンの柔らかい生地が

残さず絡め取ってくれるのよ……ほらっ!」


そう言ってアイナが見せたパンの断面には

それまで見えなかったガラスの微粒子が

びっしりと突き刺さり、白く輝いていて――


「お、おい見ろよ……!

聖女様がパンに意志を持たせたぞ?!」

「なんてことだ……これぞまさしく

万物を救済する聖女の御業《みわざ》……っ!」


「な゛っ?!……このパンは意志なんて持ってませんっ!

唯《ただ》の生活の知恵ですっ!!」


――絶叫するアイナだったが

これ以上、弁明する気力も失せるほど

皆の“信仰心”は限界突破していた。


そんな中――


「毎度のことだが……アイナ。

君は、何一つ無駄にしないのだな」


――突如、食堂の入り口から

低く、しかし心地よく響く声がした。


使用人たちが一斉に道をあける。

そこに立っていたのは、レナードだった。


「レ、レナード様!? ……」


アイナは慌てて立ち上がり

手についたパンのくずを払った。


……一方のレナードは、アイナの足元と

ガラスの破片を完璧に吸着したパンを見つめ

笑みを浮かべつつ、更に彼女を称えた。


「……焦げたパンすら

誰かを護るための道具に変えてしまう。


……君は、昨日もそうだった。


君のその手は……まるで、世界にある

すべての『価値』を救い出すためにあるようだな」


「な……ッ……」


真っ直ぐで、純粋すぎるレナードの称賛の言葉は

アイナの心を明るく照らし……そして。


直後、その言葉を引き金にしたかのように

彼女の古い記憶が呼び起こされた。


……疲れのせいか、落ち込んでいたアイナの心。

彼女は、記憶の温もりに包まれていくのを感じながら

気付けば、昔話をし始めていた――


「そ、その……パンで思い出したんですけど。

子供の頃、お使いに行った時に

似たようなことがあったんです」


――パンをゴミ箱へ捨て、懐にそっと手を当てながら

遠い日を見つめるように語り出したアイナ。


「……秋の終わり頃、すごく冷たい雨の日でした。


まだ小さかった私は、お使いで買ったばかりのパンを

抱き抱えて歩いていたんですけど……


……その、泥道で派手に転んでしまって。


買ったばかりのパンを、

泥の中に……落としちゃったんです」


……思い出すのは、冷たい雨の匂いと

泥跳ねで台無しになった自分の服。


周囲の大人たちは、泣きじゃくる幼いアイナを

冷たい視線で見下し、素通りしていくばかりだった。


……惨めで、悲しくて。

どうしようも無く……それでも、

泥まみれのパンを拾おうと手を伸ばした


その時――


――


『――大丈夫ですか?』


目の前に現れたのは、泥に汚れることのない漆黒の靴と

まるで新雪のように純白なエプロンの裾。


幼いアイナの前に跪いていたのは、

純白のメイドだった。


……彼女は、自分の上等な制服が

泥に触れることなど微塵も躊躇《ためら》わず

懐から真っ白な布を取り出すと

アイナの手についた泥汚れを優しく拭った。


そして……澄んだ液の入った小瓶を取り出すと

それを浸ませた別の布で、アイナの服についた泥を

トントンと叩き始めた――


『す、すごい……』


――アイナの服に染みた泥汚れは布に吸い取られ

みるみる内に消えていった。


だが、その一方で――


『……もう、汚いから……

食べられないっ……うぅっ……』


――泣きながらそう溢したアイナに

そのメイドは、わずかに微笑んでこう言った――


『いいえ……汚れは表面にあるだけ。

中にある“真心”までは届いておりませんよ?』


――直後、純白のメイドは

鞄から小さなナイフを取り出すと

泥のついたパンの皮を、薄く削ぎ落とした。


……其処から現れたのは、まだ温かみの残る

香ばしくて清潔なパンの中身。


……彼女はそれを

自身の白いハンカチで丁寧に包み直し

アイナの手にそっと握らせると

『ありがとう』さえ求める事無く

スッと立ち上がり、乱れたエプロンを整えていた。


……彼女が跪いていたはずの地面には

不思議と彼女の服を汚した跡は見当たらず。

彼女の服にもまた、一切の汚れは見られなかった。


『あ……っ……』


アイナが何かを言うよりも早く

純白の彼女は……ただ一礼だけを残し

買い出し籠を手に、雑踏の中へ消えていった――


――


「……あの時、私は

パンを受け取ったんじゃないんです。


『……汚れは、正しく扱えば消し去ることが出来る。

物は、正しく扱えば救い出せる』


そのメイドさんは……それを私に教えてくれたんです」


何処か誇らしげにそう言ったアイナは

直後、懐から一枚の『白いハンカチ』を取り出した。


それは……何度も洗われ、少し古びた

彼女の『宝物』だった――


「……私、あの人みたいになりたくて。


だから……メイドになったんです。

今日のパンだって……きっと

あの人の真似事をしただけですし……」


――語り終えた瞬間、アイナは

食堂全体が水を打ったように

静まり返っていることに気がついた。


見れば……“新人メイド”だけでなく

料理長も、他の使用人たちも

皆が涙を流し、アイナを拝んでいて――


……


「な、なんて尊《とうと》い過去の記憶……っ!」

「幼き日に天から遣わされた大聖女様に出会い

その意志を継がれたというのか……っ!」


「……なっ?!

だから、なんでそんなに大事に成るんですかっ!?」


――相変わらずの“解釈”に頭を抱えるアイナ

だが、隣にいたレナードだけは違った。


彼は……アイナの手にある古いハンカチに

一瞬、目を向け……そして。

アイナの目を真っ直ぐに見つめ――


「……アイナ。


君が、そのメイドに憧れたように

今、この屋敷の者たちは

君の『救い出す手』に憧れ……そして、救われている。


アイナ……君がこの屋敷にいてくれて、本当に良かった」


――そう言って微笑んだレナードの顔は

朝日を浴び、輝いていた――


(かぁぁぁ~っ!!

なっ、なんでこういう時だけ

そういう『刺さるセリフ』を投げてくるのよぉっ……!)


――アイナの顔が、一気に赤らんだ。


それは、果樹園の疲れによる気分の落ち込みさえ

綺麗さっぱり消し飛ばしてしまうほどであった。


……直後、胸の高鳴りを誤魔化すように

慌ててハンカチを懐《ふところ》にしまったアイナは

新人メイドの肩を掴み、声を張り上げた――


「ほ……ほら!感心してないで!

さっさと残りの片付けを終わらせるわよ!

あ、朝のお仕事はまだ山積みなんだからっ!」


「は、はいっ!アイナ先輩っ!

い……一生付いていきますっ!」


こうして……アストラル公爵家の一日は

またしても『アイナ聖女伝説』に新たな一ページを刻み

賑やかに始まっていくのだった――


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