第87話:『おかえり』
――黄昏時。
馬車はアストラル公爵家へと続く一本道を走っていた。
「み……見えてきましたよ!セシリアさん!」
アイナは、身を乗り出さんばかりに興奮し
窓の外を見つめていた。
……慣れ親しんだ景色、懐かしい香り
僅か二週間と言う期間でさえ
アイナには離れ難い時間だった。
「……温かな光ですね。
さて……私も、覚悟を決めなければ」
「へっ?……」
セシリアの発した言葉の意味を問う暇も無く
馬車は、アストラル公爵家の門前に到着し――
……
「……ア、アイナ様?!
直ぐにお開け致しますッ!……」
――真っ先に出迎えたのは執事のエドガーだった。
直後、大慌てで門の鍵を開いた彼は
完全に『執事らしさ』を投げ捨て――
「レナード様ぁぁぁッ!!皆様ぁぁぁッ!!
アイナ様が……お戻りになられましたぁぁぁッ!!!」
――そう叫びつつ、馬車よりも遥かに早く
屋敷の方へと走り去って行ったのだった。
……
「ふふっ♪……愛されていますね、アイナ」
「う……嬉しいですけど
エドガーさんが倒れないか心配です……」
……そんな会話を交わした数分後。
馬車は、アストラル家の正面玄関に横付けされ――
……
「おかえりなさいですだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
そして……大変ですだぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「帰宅早々何があったのですかァァァッ?!」
「……当然ながら、アイナ様の帰還に
屋敷中が感涙に咽いでおりますだッ!」
「なッ……そ、それは……っ!
わ、私も嬉しいです……けどぉッ!」
「おぉ?アイナ様がデレただ!」
「言葉遣いの乱れぇッ!!手紙と大違いねぇぇぇッ?!」
「おぉ~届いてただか……良かっただ。
届いてないかと思って不安だっただよ!
……迷惑じゃなかっただか?」
「め、迷惑って言うより――
『品を感じた』
――って言うか、恐れ多くて
返事が返せなかったと言うか……」
「なんでだぁっ!?」
「じ、自覚無いのね……って、レナード様は何処に?」
「レナード様……今、お風呂に入ってるだよ」
「なっ!?……って、そんな時間か~
私も入りたいな~……」
「レナード様と……だか?」
「な゛ッ?!……ちっがうわよ!!
馬車移動で疲れただけでッ!……って。
そんな事より……ジョセフ。
出来たら早めにお願いしたいんだけど
レナード様にちゃんと
お話を通しておいて欲しいことが……」
「……ああ、分かってるだ。
セシリアさんの部屋なら、もう用意してるだよ?」
「え?……な、何で……」
「リディア様から手紙が来ただよ!」
「なッ……」
「成程、早馬ですか……流石は王都いちの噂好き。
リディア・フォン・エルムローゼと言った所でしょうか。
……感謝して置かなければ成りませんね」
セシリアは少し困った様に微笑み、そう言った。
そして――
「何はともあれ、ご案内しますだ!」
「ええ、有難うございますジョセフさん……」
「そんな真っ直ぐに見つめてお礼言われると
て、照れるだ……」
「ふふっ♪……純朴なのですね」
……セシリアの纏う空気の変化に
屋敷の使用人たちが“別の意味”で
リズムを崩していた頃……レナードは
浴場で独り、考えを巡らせていた――
◆
「……アイナは、この家に仕える事を選んでくれた。
それは、得難い幸運だ……だが、それならば。
私は、彼女にどう応えれば良い……」
――白薔薇の彫刻が施された天井を見上げ
溜息混じりに言った。
そして――
「アイナだけでは無い……国王が許可を出し
彼女は……セシリア・ヴァレンティアはベールを脱いだ。
……母よ、私は。
貴女の旧友を……迎え入れるだけの
それだけの器を……有して……いる……の……
で……しょう……か……」
――熱めの湯に浸かり、額に汗を滲ませながら
レナードは深く考えを巡らせ……そして。
そのまま、意識を失った――




