第73話:『ねむらせて』
「い……忙しかった~っ!
けど、色々と役には立てたみたいで良かった~っ……」
……夕食後、アイナは自室へと移動し
一日の出来事を日記に記していた。
だが……彼女は普段、日記を書かない。
それでも、したためて居た理由は一つだけだった。
それは、ジョセフとの約束の為――
『手紙でやり取りをする』
――会えない時間、不安な時間を
ありのままに伝えてしまわぬ為。
整理する為の日記だった。
「……よし、この位書いとけば
後で見返して手紙にも書きやす……いっ?
って、な……何の声?……」
……月明かりが差し込む夜。
遠く、微かに聞こえるうめき声。
それは、女の声にも聞こえて――
「……ヒィッ?!
ま、まさか……本当に……お、おばけじゃ……」
直後……ベッドに飛び乗り
毛布にくるまったアイナは、そのまま
ガクガクと震えていた。
……だが、声は一向に収まらず
彼女の恐怖心を煽り続けていて――
……
「なななっ……何なのよぉっ……!
もしかして、亡くなられた奥様の霊が
屋敷を彷徨ってるんじゃ……」
「ち~が~い~ま~す~ぅっ……」
「へっ?!……いやぁぁぁぁぁッ!!」
「ふふっ……ちょっと悪戯が過ぎました。
驚かせてすみません、アイナ様。
でも、この声は……本当に違うんです」
そう言って、いつの間にか
ベッド横の椅子に腰掛けていたのは
メイドのメランダであった。
……彼女は、寝間着姿で目をこすりつつ
困ったような表情を浮かべていて……
「メ、メランダさん……もぉっ!
し、心臓止まるかと思いましたよ……って、それより。
この声が違うって……何が違うんですか?」
「その……この声は、坊ちゃまが
『魘されている』時の声でして……勿論
毎日じゃないんですけど……たまに、あるんです。
でも、お部屋の扉は中から施錠されていますし
合鍵はあっても、勝手に開けて入る事なんて出来ませんから
私を含め、皆さん諦めるしか無くて……」
「……それ、本気で言ってるんですか?」
「えっ……?」
「いや、怖い夢見たときに
誰も起こしてくれないとか、何の地獄ですか?
っていうか、合鍵……何処ですか?」
「そ、それは……エルンスト様がお持ちですけど……」
「なっ……あの人はッ……全く!
手段を持っててずっと放置とか最低ですか?!
許せません!……行きますよ!メランダさん!」
「あぁっ!!……ち、ちょっとアイナさんっ!?」
……直後、アイナはエルンストの部屋を目指し
鼻息荒く勇み足で向かった。
だが――
◆
――ユリウスの部屋の前を通り掛かった瞬間
部屋の前には、エルンストが立っていて――
「なっ……何してるんですか、エルンストさん」
「……おや、アイナ様。
こんな夜更けに一体何を?」
「おや、じゃないですよ……合鍵、持ってるんですよね?
今すぐ開けて、ユリウス様を起こしてあげて下さい」
「成りません……お坊ちゃまは
私共が開ける手立てを持っている事を知りつつ。
それでも、扉をお閉めになられている。
……いち執事の一存で
次期当主様の要望を聞き届けない事など
在っては成りません……これは。
使用人が持つ気遣いであり、礼儀礼節というものです」
「……なら聞きますけど。
その、次期当主様が
大怪我をしてた事にさえ気付けない
『気遣い』って……一体、何なんですか?」
……アイナは、一歩も引かなかった。
「……お怪我の件は、確かに。
ですが……例え、この扉を開け
お坊ちゃまを揺すり起こし、悪夢から救い出したとて。
……お坊ちゃまは、ユリウス様は
真に救われはしないのです……」
「ええ……そうですね。
そうやって、やる前から全部決めつける人が居たら
厨房も直りませんし『毒蛇』は『呪い』のままです。
と言うか、今だけでも救おうって思わないんですか?
……大切だから、部屋の前に居たんですよね?
救いたいんですよね?」
「で、ですが……」
「……良いから鍵、出して下さい。
『お客様のご要望』でも何でも
私のせいで構いませんから……それに。
お掃除一つ入れない部屋なんて
メイドとして虫唾が走りますし
ユリウス様は髪を切るべきです!
……まぁ、長髪もお似合いではありましたけど
それでも!……整えるべきです!
嫌なことも、不安なことも。
一つずつ……減らしていくべきなんですッ!」
今にも掴みかからんばかりの気迫を以て
そう、強く求めたアイナ。
だが……エルンストが懐に手を入れた瞬間
ユリウスの部屋の扉は開かれ――
「……煩い。
目が……覚めたじゃないか」
――そう言ってふらふらと現れたユリウス。
だが……顔が隠れる程の長髪の奥、彼の頬には
月明かりに照らされ、輝くものが伝っていた――




