第59話:『整える為の漆黒』
「おや……ご存知では無かったようですねぇ?」
――クラウスの声が静寂に包まれた応接室に響き渡った。
「その様子ですと……レナード公爵。
貴方は元々、セシリアさんが
アストラル家に仕えていた事さえ
お話になられていな……」
「他人の過去を、無遠慮に掘り返す趣味は無い。
唯、それだけだ……」
「……そうですか。
まぁ良いでしょう……何れにせよ。
王都として、要求は全て形になりました。
長々と失礼を……あぁ、そうだ。
危うく忘れるところでした……
……ジョセフ・アルヴェインさん。
この間は、失礼を致しました……ですが。
どうか、此処は一つ――
『お互い様』
――と言う事で、お許しをいただければと」
……ゆっくりと立ち上がり
覗き込むようにして、そう言ったクラウス。
ジョセフは、暫しの沈黙の後――
「わざわざ申し訳ねえだ……覚えててくれて嬉しいだよ」
――そう言って笑顔を見せた。
僅かにクラウスの表情と呼吸が歪む……だが。
直ぐに呼吸を整え――
「……どうも、ご丁寧に」
ジョセフへと引き攣った笑顔で握手を求めたのだった。
……
「……さて、調印も完了致しましたので、
私は王都に帰還し、状況を報告しなければなりません。
依って、これで失礼を致しますが……セシリア監査官。
……貴女は、どうされますか?
家政管理院の手続き上、必要な報告などございましたら
私が代わりにお伝え致しますが……」
……レナードとアイナ。
双方の捺印と署名の入った書類を手に
勝ち誇ったように、そう問うたクラウス。
だが、セシリアはこの問いに対し
言葉で伝言を伝えようとはせず――
「ええ、蜻蛉返りは趣味ではありません。
では、暫しお待ちを――」
――そう言うと、懐から
万年筆と小さなインク瓶を……そして。
鞄から、封筒と封蝋を取り出し
『伝言』を記すと封をした。
……再び、クラウスの顔が僅かに歪む。
「――お待たせを致しました。
では……エーレンベルク卿。
これを『家政管理院・責任者代理:セラス』に。
……彼女に渡せば、必ず正確に伝わるでしょうから」
「そ、そうですか……では、その様に」
封筒を受け取る手を僅かに震わせつつ
この後、クラウスは
足早にアストラル邸を立ち去ったのだった。
そして――
◆
「大変ですだ……」
――静寂の中、ジョセフが口を開く。
膝を震わせ、手を震わせながら――
「……大根でぶん殴るの忘れてただ」
――いつものように、そう言って笑った。
瞬間、アイナは崩れ落ちるように脱力し――
「!?……アイナッ!!!」
――既の所で抱き止めたレナード。
だが……彼は、発し掛けた言葉を
飲み込み――
「……良く、耐えた」
そう、言うに留めた。
「私は……私……は……っ……」
「言うな……君は、耐えたんだ」
「レナード様……っ……レナード様っ……」
「アイナ様……若様だけじゃ無く、
おらの事も呼んで欲しいだよ」
「ご、ごめんなさい……ジョセフ……」
「素直に謝られると逆に傷つくだ。
……後三回程呼んで欲しいだ」
「ジョセフ……」
「後、二回だ」
「へっ?……ふふっ♪
本当に、有難う……ジョセフっ!」
――この瞬間、漸く。
肩の力を抜く事が出来たアイナ。
ジョセフに依って齎された温かな灯りは
やがて、隠されていた真実にも光を差した――
「……一回足りねえだが、まぁ良いだ。
アイナ様が笑ってると皆が笑えるだよ。
涙は拭き取って土にでも還すだよ……聖女様の涙なら
作物が一〇倍に育つかも知れねえだよ?」
「そ、そんな訳ありませんっ!
そもそも私は聖女じゃなくて!……」
――張り詰めていた応接室に、
漸く、いつもの調子が戻り始める。
そんな中、何かを思い切った様に
レナードはアイナに対し、妙な指示を出した。
「アイナ……どうせ涙を拭くのなら
例のハンカチを使うと良い」
「へっ?……い、いやです!」
「それでは困る……のだが……」
余りにも『らしくない』レナードの態度。
……直後、違和感を感じつつも
要求通り『宝物』を取り出したアイナは――
「こ、これのこと……ですよね?」
――そう言ってレナードに示した。
瞬間――
「アイナ・リーネル……やはり、貴女だったのですね」
――この日、初めて他者と目を合わせたセシリア。
だが……その眼差しは、
何処か、物怖じして居る様にも見えて――




