第40話:『魔女』
――アストラル家、応接間。
「「「「「……」」」」」
……空気が、凍っていた。
【セシリア・ヴァレンティア】
『家政管理院・最高責任者』
『白鷺の魔女』
『黒衣の裁定人』
その名だけで、使用人たちが震える人物
「……なるほど」
セシリアは、静かに紅茶を置いた。
そして……ベールの奥、鋭い眼差しで室内を見回す。
……磨かれた銀器、塵一つ無い窓、整えられた花
僅かに漂う乾燥香草の香り。
「悪くないですね」
――その一言で。
周囲の使用人たちは一斉に安堵した――
「し、死ななかった……」
「今日は生きて帰れる……」
「魔女様が褒めた……!」
「あなた達、どれだけ怯えてるんですか」
――アイナさえ、珍しく小声だった。
一方――
「いやはや……面白い屋敷だ。
使用人が饒舌なところなど特に……
……さて、久しぶりだね?レナード。
そして、お久しぶり……アイナちゃん」
――その声に、アイナの肩が跳ねた。
応接間の片隅……まるで
最初からそこに居たかのように。
エーレンベルク侯爵家次男。
『クラウス・エーレンベルク』が微笑んでいた。
一方、セシリアの視線はピタリ……と、止まった。
それは、既に監査が始まっているかの様な
鋭い目付きだった――
「アイナ・リーネル」
「へっ!?……な、何でございましょうかっ!?」
「その、白手袋を外しなさい」
――空気が止まった。
「へっ?」
「聞こえなかった?」
「い、いえ……」
アイナは、慌てて白手袋を外す。
直後、セシリアはアイナの手をじっと見つめた――
細かな傷、薄い火傷跡。
それらは全て、働く者の手を象徴するものだった。
「……そう」
セシリアは小さく目を細める。
その瞬間。何故だかアイナは妙に緊張した。
「あまり、使っては居ない様ね」
「な、何をでしょう……か?」
「手袋よ、その“白薔薇”の……妙に使用感がないわ」
――どくん、胸が跳ねる。
「……何時もの手袋では無いわね
道具を飾るだけの子は嫌いよ」
セシリアは、淡々と言う。
「良い物ほど、ちゃんと使いなさい」
その瞬間、アイナは大きく目を見開いた。
そして――セシリアはそれを見逃さなかった。
「どうしたの?」
セシリアは視線を外さない。
「い、いえ……」
――心臓が妙に騒がしい。
その時――
「セシリアさん」
レナードが静かに口を開く。
「本日は監査の為に?」
「ええ、半分は……」
――セシリアは、紅茶を一口飲む。
「……でも、もう半分は」
彼女は、再びアイナを見つめ――
「“噂の子”を、見極めに来たのです」
――使用人たちが、ごくりと息を呑む。
「王都では随分な騒ぎです――
『白を蘇らせるメイド』
『荒れた公爵家を立て直した守護天使』
『白の聖女』
――それらが『尾鰭』なのか否か
私には……見極める必要が在るのです」
「だから聖女じゃないですッ!」
――“反射的”絶叫。
だが、セシリアは眉一つ動かさず
ベールの奥、真っ直ぐにアイナを見つめていた。
まるで、何かを確かめるかの様に――
「あなた」
セシリアが呟く。
「誰に、洗濯を習ったの?」
静かな圧に空気が揺れ、アイナは少しだけ迷い
口を開いた――
「昔、お母さんに」
「そう……ブルーイングも丁度良い加減だったわ」
「あ、ありがとうございますっ!」
「ですが……傷んだ布が混じっていた。
買い替えるべき物の判断が遅いのは、
公爵家のメイドとして不適当です」
「は、はい……以後、気をつけ……」
「“以後”など在りません。
他者との出会いは一期一会です。
……そしてそれは、恐ろしいほどに牙を向く。
貴女が判断を一つ誤れば、家名に傷が付くのです。
その傷は、二度と取れない穢れとなり得る。
言い直しなさい……正しく」
「は……はい……わ、わかりました」
……この時、アイナは初めて『恐ろしさ』を感じた
それは、叱られた事が理由では無い。
『まだ使える物を、捨てなければ成らない』と言う
アイナの価値観に楔を打つ様なセシリアの指示でも無い。
唯……自らの『選択』が、無自覚に
レナードの顔に泥を塗りかねなかった事が
どうしようも無く、恐ろしかったのだ――
「い、痛んだ布……いえ。
か、家名に傷を付けかねない綻びは
全て、修復可能か判断をした後
速やかに当主様へ交換の判断を仰ぎ
必要な場合、直ぐに交換いたします」
「よろしい……では、交換を拒絶された場合は?」
「へっ……?」
「お屋敷の経費は無尽蔵ではありません
そうでなくとも、必要経費を軽んじる当主が
世の中に居ない訳では在りません。
さぁ、答えなさい……どうするのかを」
「そ……それはっ……」
アイナは、答えられなかった。
そして、その隙を見逃さなかったのは
セシリアでは無かった――
「まぁまぁ!……アイナちゃんは
まだ年端もいかないメイドさんですから。
レナードの“方針”もあるのでしょうが、
セシリアさん程完璧なメイドなど、世の中には……」
「ご指摘、感謝いたしますエーレンベルク卿。
……この様に、家名には
簡単に傷が付けられてしまうのです。
アイナ・リーネル……理解出来たでしょう?」
……気がつけば、
アイナは、何も答えられなくなって居た。
自分の一挙手一投足が、レナードの。
アストラル公爵家の行く末までも
左右してしまうかも知れないという恐怖に
一切の身動きが、取れなくなっていた――




