第39話:『監査』
――アストラル家にとって、
最早朝礼代わりと成った
中庭でのひとときの後……お屋敷の朝は、
食堂へと移っていった。
一般的な公爵家としてはあまりに珍しい
使用人と肩を並べて食事をする当主の姿は
他の貴族から見れば異質なものとして。
だが、当のレナードからすれば
失われた温かさを、少しずつ取り戻してくれる
毎日の日課と成っていた。
の、だが――
……
「……た、大変ですだぁぁぁッ!!
た、大変ッ……ですだッ……はぁ……ハァッ……」
――朝の食堂へ
息を切らしたジョセフの悲鳴が轟いた。
「今度は何ですか?」
最早慣れ親しんだ受け答えかの様に
アイナは余裕の表情を浮かべつつ紅茶を置いた。
だが、ジョセフは半泣きだった。
「王都から“監査官”が二人、来ましただ……」
――空気が、止まった。
「監査官が二人だと?……どういう事だ、ジョセフ」
顔をしかめるレナード、対するジョセフは
尚も息を切らしながら説明を続け――
「そ、それが……推薦辞退の件で
実情を確認するための直接確認ってことらしいだ」
――そんな彼の慌てぶりに、
使用人たちもざわつき始めた。
「そこまでするんですか王都……」
「しつこ過ぎません!?」
「絶対アイナ様狙いです!聖女様は渡しませんっ!」
だが、レナードの表情だけは、
妙に険しかった。
「監査官の名は?……今、何処にいる?」
「ひ、ひとまず……賓客用の部屋にお通ししただ。
名前は、これを当主様に渡せって言われただよ……」
直後、ジョセフから差し出された二通の手紙。
「貸してみろ……ん?
【お久しぶり、レナード。
王都の夜会を途中で抜け出すとは
貴族家の品位としては頂けない愚行だったね。
エーレンベルク侯爵家
クラウス・エーレンベルク】
……此奴は監査官ではないな。
まぁ良い、本命の方は……ッ?!」
二通目を開いた瞬間、レナードは絶句した――
【家政管理院:セシリア・ヴァレンティア監査官】
――読み上げることさえしなかったレナードの様子に
慌てて覗き込んだジョセフは凍りついた。
「う、うそだ……最悪ですだ……」
――周囲の使用人たちさえも一斉に顔色を変える。
「家政管理院、現最高責任者であり
“白鷺の魔女”と呼ばれるあのセシリア様か?!」
「生ける伝説……!」
「王宮の使用人達ですら顎で使うと噂の……!」
「何でそんな怖い人が来ちゃうんですかッ?!」
――アイナだけが状況を理解していなかった。
そんな中、レナードは小さく息を吐いた。
「まさか……あの人が来るとはな」
「えっ……?レナード様、知ってるんですか?」
「ああ、昔の事だ」
――含みのある物言い
語りたくはない、という本音が透けて見えた。
「その人、そんなに凄いんですか?」
アイナが首を傾げ問う。
すると、メイド長は静かに頷き――
「“汚れの放置を許さない”
これが、彼女を一言で表す言葉でしょうね」
「で、でも……それだけなら
メイドが持つべき感覚でもありますし……」
「……どんな汚れも必ず消し去り
彼女が歩く後にはチリ一つ残りません。
それは、掃除と言うには余りに恐ろしい。
不要と見做されれば、例え王宮務めであろうと
何者であろうと……彼女は一切、配慮しないのです」
「うぅ……何でそんな怖い人が……」
「“王宮侍女長泣かせた”って話が有名ですだ」
「いや、怖過ぎません!?」
だが、その時……レナードはぽつりと呟いた。
「……だが、悪い人ではない」
彼は、少しだけ遠くを見るように目を細める。
それは、静かな声だった――
「“埃を放置する家は、心まで腐る”と」
◆
そして、時は僅かに遡る――
アストラル家、正門前。
静かに停まった黒塗りの馬車。
そこから降りてきたのは――
白銀の髪をきっちりと結い上げた女性だった。
……黒衣に身を包み、
顔の半ばを黒のベールが覆っている。
だが、その奥から覗く眼差しだけは
布一枚で和らぐようなものではなかった。
彼女の名は――
【セシリア・ヴァレンティア】
――その目は、静かにアストラル家の屋敷を見上げていた。
揺れる白布、整った庭、磨かれた窓。
それらを無言で見つめた後――彼女は。
「……この屋敷は、まだ……生きていたのですね」
その言葉と共に、アストラル家へと足を踏み入れた――




