第37話:変わらない日常への『ヒビ』
――翌日。
「……よし」
アイナは、満足げに頷いた。
並ぶ白布、綺麗に磨かれた窓
整った花壇……朝日を受けたお屋敷は
まるで、自ら光っているかのようだった。
「本当に綺麗になっただなぁ……」
ジョセフがしみじみと呟く。
「最初は廃屋寸前だっただ……お化け屋敷だっただ」
「そこまで酷くはなかったです」
「でも、噴水とか苔とカビまみれだっただよ?」
「そ、それはまぁ……う~ん。
そうだった……けど……」
――アイナは苦笑した。
最初に来た日の事を思い出す。
冷えた食堂、重苦しい空気
静か過ぎる屋敷……そして。
全てを一人で背負い、忙殺されていたレナードの顔。
「……変わったなぁ」
ぽつりと、言葉が漏れる。
……最近の屋敷は騒がしい
使用人たちはいつも笑っていて
厨房からは温かい匂いがする。
中庭には清浄に整えられ
冬でも温かな空気を纏っている――
「アイナ」
――不意に聞こえてくる声。
振り向けば、レナードが居た。
「あっ!おはようございます」
「ふっ……おはよう」
その笑顔を見た瞬間、胸が少しだけ熱くなる。
これも、もう日常だ――
「っていうか、また夜更かししましたね?」
――アイナは、じとりと目を細める。
「す、少しだけだ」
「嘘です、目の下に禍々しい影が……」
「う゛ッ……其処は見逃してくれ」
「駄目です」
――いつものやり取り。
なのに、以前とは……少し違う。
「今日の朝食は胃に優しいものに変更しておきます」
「わ、分かった……」
――素直に頷いたレナード。
その様子を見た使用人たちは
ヒソヒソと“騒いで”いた――
「若様が尻に敷かれてる……」
「だが、そこが良い……」
「理想だ……聖女様のお尻になら敷かれたいッ!」
「何人か変態が混じってますけどぉッ?!」
――今日もアイナの絶叫は健在だった。
だが、この直後――
『ぱさっ』
――風に乗り
一通の封筒がアイナの足元へと落ちた。
「へっ……?」
アイナは、首を傾げつつ拾い上げ
そして、絶句した。
『家政管理院』
……例の『推薦状』と
同じ紋章の入ったそれは
やはり、アイナ宛ての物だった。
「つ、追加書状だ……何でだ……」
ジョセフの顔は青ざめ、レナードは静かに眉を寄せ
悪戯な風を恨むように、ポケットに手を当て
静かに眉間を押さえた。
一方……アイナはすでに封を開いていた。
中に記されていた短い文章、それは
短くも、強い一文だった――
「……え」
『次回期限までに返答無き場合、直接意思の確認を行う』
――中庭が静まり返る。
「ち、直接って……此処に来るってことじゃ……」
若い使用人が、震えた声を漏らす。
「……」
そんな中……アイナは、じっと紙を見つめていた。
だが、次の瞬間――
『ぐしゃっ』
――彼女は、迷いなく書状を握り潰した。
「絶対行きませんし、来ていただけるなら好都合です
ちゃんと丁寧におもてなしして。
それで……お引き取り頂きますから」
――静かな声だった。
だが、驚くほどはっきりとしていた。
レナードの瞳が、僅かに揺れ――風が、優しく頬を撫でる
白布がはためき、花も微かに揺れる
そんな、穏やかで温かな朝の匂いの中
レナードは、何も言わなかった。
ただ……その表情だけが
少しずつ柔らかく解けていく。
……まるで、ずっと張り詰めていたものが
ようやく、解けたかのように――
「アイナ……ありがとう」
――静かにレナードが呟く。
その声を聞いた瞬間
アイナは胸の奥に熱いものを感じた。
そして――
「うぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「聖女様が正式残留をぉぉぉぉッ!!」
「アストラル家ばんざぁぁぁぁい!!」
「白布を振れぇぇぇぇぇッ!!」
「おら、りんごのコンポートが食べてぇだ」
「花より……林檎ぉぉぉッ!!!」
――風に煽られた大量の白布は一斉に翻り
アイナは、いつもの様に絶叫した。
騒がしく、賑やかなアストラル家の日常
その光景を見た瞬間、
アイナは、思わず笑ってしまった。
そして……その笑顔を見つめながら。
レナードもまた、静かに微笑んでいた。
まるで、長い冬が
ようやく終わったかの様に――




