第35話:『いたい』メイドさん。
――執務室。
アイナの声は、涙で酷く震えていた。
『帰りたい場所は此処だ』
“ぐちゃぐちゃの口振り”で
それでも、必死に伝えようとしたアイナ。
レナードは、何も言えなかった……唯、
目の前で泣いている彼女から
一秒たりとも視線を逸らせなかった――
……
「王都なんて……行きたくありませんっ
断ります……絶対に断りますっ……」
――尚も涙は止まらない。
「もっと良い仕事とか、凄い待遇とか……そんなの
どうだっていいんです……っ……!」
――アイナは、ぐしゃぐしゃの顔のまま
尚も続けた――
「朝、リネンが揺れてて……皆さんが騒がしくて
食堂が温かくて、ご飯が美味しくて……
……お庭にお水を撒いて、それから。
レナード様が……また、無理してないか心配して」
一つ、一つ
積み重ねる様に――
「そんな毎日が……大好きなんです」
『ドクンッ』
――レナードの胸が強く鳴った。
「アイナ――」
彼は、ゆっくりと立ち上がり
アイナに近付いた……一歩、また一歩と。
……それは、噛み締めるように。
アイナは……逃げなかった
向き合う、そう決めていたから。
「――私は」
――レナードが、静かに言う。
その声は、少しだけ掠れていた。
「君が来るまで、帰る場所の事など
さして考えなかった……“自宅”というだけの
唯の箱だと、いや……牢屋だとさえ思っていた。
屋敷は、そんな建物の一つだと。
だが……今は、違う。
……食堂に灯りがあると安心する。
庭が整っていると落ち着く
君の声が聞こえると……帰って来たと思う。
だから――」
レナードは、そっと手を伸ばす。
そして……泣き腫らしたアイナの頬へ、優しく触れた。
「――アイナ。
私は君に……居てほしい」
「ズルい……です……そんな言い方……っ!」
――涙声だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間
レナードは、初めて
心から安堵したように息を吐き――
「“行かない”……本当に、そう決めたのだな?」
――本当に小さな声で、確認をした。
そんなレナードの顔を見た瞬間
アイナは、胸の奥を締め付けられた。
(……おんなじだったんだ。
レナード様も……ずっと、不安だったんだ。
不安で……居てくれたんだ……っ!)
「……レナード様」
気付けば、アイナは
彼の服を小さく掴んでいた。
「ん?」
「あと……もう少しだけ」
声が震え、顔が熱い……でも。
今だけは――
「ここに居ても……良いですか?」
――静かな部屋。
時計の音、遠くに吹く風……その中で。
レナードは、優しく目を細めた。
「……当たり前だ。
君が居ないアストラル家など、唯の牢獄だ」
――その言葉は、告白なのか?
それは、判らない――
(判らない、でも……嬉しい……っ)
――それでも、アイナは確りと噛み締めていた。
この、温かい時間を……この、屋敷を。
この……騒がしくて、優しくて。
いつだって、帰りたくなる場所を――
『ガタンッ!!』
「なっ?!」「ひっ!?」
――そして。
勢いよく開かれた、執務室の扉……例に依って。
そこに居たのは――
「「「「「……」」」」」
――目に涙を浮かべた大量の使用人たちだった。
暫しの沈黙、そして――
「うぉぉぉぉぉッ!!」
「聖女様が残留をぉぉぉッ!!」
「アストラル家に祝福あれぇぇぇッ!!」
「いいや……安心は出来ねぇ。
問題はまだ……あるだ」
――この瞬間。
アイナの絶叫……では、無く。
ジョセフの声が、執務室の空気を張り詰めさせた。




