第33話:『推薦状』
――“深夜、猫神降臨事件”から数日後
アイナは……食堂で首を傾げていた。
……
「なんだろ、これ……」
この日、アイナ宛てに“手紙”が届いて居た。
首を傾げつつも封を切り、中を確認する――
「って……推薦状?」
向かい側では、手紙を渡した若い使用人が
妙に青い顔をしていて……
「そ、その……王都の“家政管理院”から
正式な書状として届けられた様でして……」
「家政管理院?……なんですか?それ」
――聞き慣れない名前だった。
「確か、王都貴族の使用人教育や
人材管理を行ってる所ですだよ」
ジョセフが、珍しく真面目な顔で説明する。
「な、何でジョセフが知ってるのよ?!」
「おら、その手の話は詳しいだよ……因みに
特に優秀な使用人は、王都の上級貴族に
推薦される事もあるだよ?」
「へぇ……」
――そこまで聞いた瞬間
アイナは、何となく嫌な空気を察した。
「で……これって私宛てですよね?」
「んだ、アイナ様宛ですだよ?
だって其処に名前も書いてあるだよ」
「そ、そうだけど……って言うか
いきなり何でこんな物が届くんですか?
一体、どういう事なんですか?!」
若い使用人を問い質すアイナ。
「そ、それが……先日の夜会の後
かなり話題になったらしく……」
「な、何でですか!?」
「しっ、知りません!
恐らくは聖女様伝説が王都にも伝播しただけかと」
「それは絶対に関係ありませんッ!!」
――絶叫。
だが、何時もとは違い
ジョセフ達の顔はまるで笑っていなかった。
「内容は、恐らく――」
メイド長が静かに続ける。
「――王都中央侯爵家での
家政責任者候補への推薦でしょう。
かなり、異例ですが……」
――アイナは、しばらく黙っていた。
恐らく、通常ならばとんでもない名誉だ。
給金も、待遇も、将来も……全て
今より遥かに良くなるのだろうから。
だが――
『嫌だ』
――彼女の胸の奥へと浮かんだ感情は
それだけだった。
「そんなの、断ります」
即答だった……だが。
「お待ち下さい」
メイド長は静かに首を振る。
「……これは正式推薦です。
一度、必ず返答の場へ出る必要があります。
……例え、断るのだとしても」
「う……」
――アイナの顔が曇る。
「そ、それでその……」
若い使用人は、震える声で続けた。
「その一文……王都側、かなり本気みたいですよ?」
「本気?」
「だって……“どんな条件でも用意する”
って書いてあります……」
――食堂が静まり返った。
困惑するアイナ……彼女には理解出来ない状況だった。
自分は唯、掃除と洗濯
庭仕事をしていただけだというのに
王都側は、何故か本気で引き抜こうとしている――
『ガタッ』
――不意に、何かのぶつかる音が響いた。
驚き、振り向いた其処には……レナードが立っていた。
「私も中は見ていない……書状を見せてくれ」
――静かな声、だが妙に冷たい。
アイナは恐る恐る封筒を渡し、レナードは
無言で受け取り、中身へと目を通した。
その間……食堂の空気は
異様なほど、静かだった――
……
「ふむ……なるほど」
幾ばくかの後……レナードは静かに紙を置く。
だが、アイナは気付いた。
彼の指先が、僅かに強く紙を握っている事に――
「……アイナ」
「は、はい……」
「本心で答えろ……君は、どうしたい?」
――真っ直ぐな質問だった。
「わ、私は……」
アイナは、思わず言葉に詰まる。
『嫌だ』
『行きたくない』
『この屋敷を離れたくない』
――でも。
その感情を……何と呼べば良いのか
口にしてよいのかさえ、分からなかった。
「メ……メイドの身分としてなら
王都の方が良い環境、なのかも……知れません」
……少し俯きながら呟く。
「お給金も、将来も……」
その瞬間、食堂の空気が止まった。
「アイナ様……」
青ざめたジョセフ
推薦状を持ってきた若い使用人は、
今にも泣き出しそうになり、メイド長さえも
笑みを失っていて――
(何で……っ)
――この時、漸くアイナは気付いた。
屋敷の皆が――
『自分が居なくなるかも知れない』
――そう、考えている事に。
皆が、寂しさを感じている事に――
「アイナ。私は――」
――冷たい静寂の中
レナードが静かに口を開いた。
その声色は、驚くほど穏やかで――
「――君の意思を、尊重する。
君が望むなら、私に止める資格など……無い」
――だが、酷く苦しそうだった。
「レ、レナード様……私は……」
「但し……」
何かを発しかけたアイナを制する様に
レナードは静かにアイナを見つめた。
その瞳は、今まで見たどんな時より真剣で――
「私は……君が居なくなる事を望まない」
――食堂の空気が、完全に変わった。
ジョセフが目を見開き
若い使用人は、口元を押さえ
メイド長が静かに見守る中……アイナだけが。
完全に、固まっていた。
……
(……え。
今、この人……何て……言ったの?)
レナードは、静かに続ける。
「君が来てから、この屋敷は変わった」
「……」
「皆が笑うようになった」
「……」
「私も――」
――そこで彼は、
一瞬だけ、言葉を止めた。
「――毎日が、楽しみになったんだ。
だから……行かないでほしい」
――食堂は、完全に静まり返っていた。
その中心で……アイナだけが
何も言えず立ち尽くしていた。
まるで……心の奥底を
真正面から鷲掴みにされたかの様に――




