第29話:『約束』
――夜更けのアストラル家。
門灯が揺れている。
まるで『おかえり』と言っているかのように
優しく、ゆらゆらと――
……
「か、帰って来たぁっ……」
――屋敷へ入った瞬間。
アイナは心の底からホッとしていた。
温かい空気、見慣れた廊下……白リネンの匂い。
遠くから聞こえる使用人達の声。
王都の煌びやかさとは違う、柔らかな灯り――
「はぁ~っ……落ち着く。
やっぱり、お屋敷が一番ですねぇ~……」
――ぽつりと零れた本音。
だが、この直後――
「タッタララッタッターッ♪ヘイッ!
……おかえりなさいですだッ!!」
「相変わらずリズミカルねぇぇぇッ!!!」
――静寂を切り裂くジョセフの『おかえり』
そんな、彼の発する空気に続くように
お屋敷の使用人たちは皆、笑顔で二人を迎えた。
「聖女様ぁぁぁぁッ!!」
「よ、良くぞご無事でっ……!」
「魔境からお帰りなさいませぇッ!!」
「“天界”だったり“魔境”だったり
設定が安定しないわねぇぇぇッ!!!」
――帰宅早々、絶叫である。
その一方――
「アイナ様っ!……や、夜会どうでした!?」
「若様と踊ったって本当ですか!?」
「ついにご婚約を……!」
「踊りはしましたけど、してませんッ!!」
――いつもの光景、いつもの騒がしさ。
その騒ぎの向こうで
レナードだけは、妙に静かだった。
「って……レナード様?」
アイナが首を傾げる。
一方、レナードは
僅かに迷うように視線を落とした。
「アイナ……少し、時間を貰えるだろうか」
――その声色で分かった。
それが“馬車の続き”だと。
◆
――数十分後。
レナードの執務室にて――
「うぅっ……」
――アイナは、酷く緊張していた。
向かい側では、レナードが静かに座っている。
そして……何故か、机の上には
小さな白い箱が置かれていた。
「あ、あの……何ですか、その箱」
「ああ、だが……その前に」
レナードは、ゆっくり息を吐いた。
そして――
「本当に、済まなかった」
――深く頭を下げた。
「へ……っ?」
アイナは、思わず目を見開く。
レナードが、迷いなく頭を下げている。
何かが入っているだろう箱を前に、深々と――
「今日の事も……これの事も」
――静かな声。
言い訳も、誤魔化しも無い。
唯、真っ直ぐな謝罪だった――
「だ、大丈夫ですっ!
いっ……忙しかったんですよねっ?!」
――アイナは、慌てて確認をする。
「夜会の準備とか、お仕事とか!
あと、その……鋏とか革手袋とか!
レナード様は沢山忙しかったんですっ!
だ……だから。
き、気にしないで下さいっ!」
「いや、それらはどれも理由にはならない」
――即答だった。
「君は優しいから、私を許そうとしてくれる
だが、それに甘えていては当主としても……男としても
余りに無責任だ……改めて、済まなかった」
「そ……そんなに……気に……しないで下さい……っ」
――アイナは、そっと白い箱へと視線を落とした。
そして、レナードは心苦しそうに目を伏せ――
「君は……どうしてそんなに自分を小さく扱う?
君は、私に教えてくれた……物事には、
“輝かせるための方向付け”がある事を。
その君が……何故、自らを軽んじる?
それとも、私が……そうさせているのか?」
――その問いに息を呑んだアイナ。
直後、全力で否定した彼女に対し
レナードは、静かに続けた――
「今から私は君に勝手を言う……アイナ。
私は、今日……とても晴れやかだった。
君と言う存在のお陰だと、心から感謝している。
……もし、君がいなければ
夜会からは、もっと早く帰っていただろう。
アイナ……君が居てくれたから
私は、あの場を楽しめたんだ。
だからこそ――」
――レナードが
そっと、白い箱へと手を伸ばす。
ことり……彼に依って差し出された白い箱が、
アイナの眼の前へと置かれた。
……
「あ……開けても良いんですか?」
「あぁ、もちろんだ……済まなかった」
――そんなレナードの言葉を受け
アイナは、恐る恐る蓋を開いた。
その中に入っていたのは――“白手袋”だった。
「……へっ?」
柔らかな布……指先まで丁寧な縫製。
手を護る為か、掌側は少し厚く作られている。
そして……手首部分には
小さな白薔薇の刺繍が施されていた。
「……本当に、済まなかった。
代わりの品として適当かは判らないが
どうか、受け取ってほしい」
レナードは静かに続ける――
「……職人が、大きさを測るため
君の布手袋を駄目にしたんだ……」
「いや……え?」
「分かっている、そもそもの原因は
私が、君に確認さえ取らなかった事だ。
人のものを壊した、それは責められるべき――」
「いや……そんな事は責めてませんけどぉッ?!」
「そんな事、などと……やはり、君は優しいな。
だが、アイナ……少しは責めてくれ。
そうでないと、申し訳が立たない」
「無理です……やっぱりレナード様はズルいです。
そんな真っ直ぐ謝られたら、全然怒れません。
文句言えません……あと、この手袋綺麗すぎです。
仕事道具としては使いづらいです。
勿体ないですし……というか、そもそも
あの白手袋はお屋敷からの支給品ですし
消耗品ですから、そんなに重く捉えなくてもいいです。
でも……ありがとうございます。
これは、別で大切にします」
――レナードが、少しだけ目を見開く。
その顔は妙にキョトンとしていて
だが、反面嬉しげで――
「此方こそ……ありがとう」
「……はい」
アイナは、そっと白い手袋を抱き締めた。
温かい……まるで、この屋敷みたいに。
『今は、これでいい』
その時だった――
『ガタンッ!!』
「なっ!?」「ひっ!?」
――執務室の外から聞こえた音
レナードが扉を開く――
「「「「「……」」」」」
――やはりと言うべきか
其処にいたのは、大量の使用人たちだった。
「な、何してるんですかあなた達ぃッ!!」
アイナの絶叫……一方、使用人たちは
感涙しつつ叫んだ――
「若様が……!」
「ついに聖女様へ正式な愛の証を……!」
「白き祝福の婚約手袋を……!」
「な゛ッ……違いますからねぇぇぇッ?!」
――アイナの絶叫が、深夜の屋敷へ響き渡る。
だが、その一方。
白い手袋を見つめる彼女の胸には。
あの日の棘とは違う、温かな何かが
静かに灯り始めていた――




