第19話:あいた……いす。
――ジョセフの服を一〇着ばかり洗い
その内の一着を、敢えて“真っ青に染めた”翌朝。
「もぉ……眠ぃ……もぉっ……」
珍しく、アイナは食堂の片隅で、
こくりこくりと舟を漕いでいた。
理由は明白だった――
『何故かは判らないが……君になら
叱られるのも嫌じゃないな』
――思い出した瞬間、また顔が熱くなる。
「だ、だから……何であんな真っ直ぐなのよぉっ……」
――机へ突っ伏すアイナ。
だが、その時――
「アイナ様ーッ!」
「あ~……はぃ」
駆け込んできたジョセフへ、力無く返事をする。
「わ、若様が……朝食へ来ねぇですだ」
「え?……またですか?」
――ぴくり、と眉が動いた。
「もぉっ……!」
◆
数分後――
「……」
――アイナは
食堂の中央で腕を組んでいた。
……長いテーブル、豪奢な椅子
磨き上げられた銀食器。
そして――
「無駄に……広い」
ぽつり、と漏れた呟き……あまりにも広過ぎる。
どう見ても“一人で食事をする”広さではない。
「そうだなぁ……そんで若様、
最近ずっと、執務室で軽く済ませてるですだよ」
……ジョセフは僅かに申し訳無さげに言った。
「いや、忙しいからって……だからって
食事は適当にして良い物じゃありません」
ぴしゃり
アイナは不機嫌そうに眉を寄せた……だが、
その視線は、食堂の最奥へ向いている。
……そこには、誰も座っていない大きな椅子があった。
「あの……“あれ”」
「椅子ですだ」
「それは分かってます。
何であの席、使われてないんですか?」
ジョセフは、一瞬口ごもり
そして、少しだけ声を落とした。
「それは……大旦那様の席ですだ」
「大旦那様?……」
「……レナード様が小さい頃は、ちゃんと
皆で食ってたらしいんだ」
ジョセフは、ぽつりぽつりと話し始める。
「でも大旦那様が王都へ行ってからは
だんだん、誰も使わなくなったって……そう訊いてるだ」
「……レナード様も、そのくらいから?」
「そう、らしいだ……」
――アイナは何も言えなかった。
広い食堂、空席……静かな朝。
その光景を想像した瞬間
胸の奥が妙に苦しくなる――
(レナード様……ずっと、一人だったの?)
「……なら、私がどうにかします」
「どうにかって……大旦那様を連れてくるだか?!」
「いいえ、連れてくるべきは“当主様”です」
◆
――暫くの後、執務室の前
「失礼します」
「ん?……入れ」
中から聞こえた声、扉を開けた瞬間――
「あの……レナード様」
「どうした?アイナ」
――そこにあったのは
書類へ埋もれるレナードの姿と
机の端に追いやられた『冷え切ったパン』だった。
「あの……それ、朝食のつもりですか?」
「ああ、忙しくてな」
「駄目です。食堂へ来て下さい」
「いや、しかし――」
「来・て・下・さ・い」
有無を言わせぬその態度に
レナードは、少し困ったように笑った――
「君は時々……本当に、強引だな
怒られるかも……とは考えないのか?」
「当主様の健康管理はメイドの仕事ですから
怒られても、引くわけにはいかないんです」
「そう、か……分かった」
◆
――数十分後。
食堂にて――
「……」
――レナードは、居心地悪げに席へ座っていた。
広い食堂、並ぶ空席……静かな空気。
「ひ……久しぶりだな」
気を遣ったように、レナードが呟く。
「食堂で食べることが……ですか?」
「ああ」
レナードは、少しだけ目を伏せた。
「食事を、食堂ですること自体が……久しぶりだ」
この瞬間、アイナの胸は……少しだけ痛んだ。
「ええ……みたいですね。
兎に角、待っててください」
……
『コトッ』
――暫くの後。
アイナが持って来たのは温かな野菜スープだった。
「胃に優しい物にしましたから……どうぞ」
「ああ……ありがとう」
レナードは、静かにスプーンを取る……そして。
「ほう……美味しいな」
小さく笑った。
その瞬間、食堂の空気が
ほんの少しだけ、柔らかくなり始めた。
「に、しても……静かですね、この食堂」
不意にアイナが呟く。
「あぁ……昔は、もっと賑やかだった」
レナードは僅かに目を伏せ、続けた――
「母が居た頃は……皆で、食事をしていたんだ」
その声は、穏やかであり
同時に、僅かな寂しさをも放っていて――
「……父は昔から忙しい人だった。
そして母は、いつも……笑っていた。
だから、母が亡くなってからは……
……ここへ来るのが、少し苦手になった」
アイナは、静かにエプロンの端を握った。
(そっか……この人。
こんな広い場所で……ずっと、苦しかったんだ)
「なら……でしたら。
これからは……ちゃんと、来て下さい」
「アイナ?」
「一人で適当に済ませるの、今後一切禁止です」
レナードが少し目を丸くする。
一方、アイナは視線を逸らしつつ更に続けた。
「その……食事って
ちゃんと集中して食べる方が、何倍も美味しいんです」
「……そう、なのか?」
「ええ……温かいうちに食べた方が
もっと美味しいですし、そもそも
“胃に入れば栄養に成る”んじゃないんです。
自分をつくる物が、体に入るんです……だから。
ちゃんと……楽しむべきなんです」
食堂を包んだ沈黙……そして数秒後。
ふっ、とレナードが柔らかく笑った。
「ああ……そうだな」
「わ、分かって貰えたなら良いんです……っ!」
頬を赤らめるアイナ……だが、その時だった。
「は~ぁッ!今日も朝から、大変ですだッ!!」
「今度は何? 」
もう、驚かないアイナ……割り込んで来たジョセフは
少しニヤけながら“報告”をした――
「使用人たちが――
『守護天使アイナ様が持つ慈愛の心と
聖なる泉が若様の失われし胃腸の元気と食卓を蘇らせた』
――とか言いながら、食堂の外で
笑ったり泣き崩れたりしてるだッ!!」
「何で毎回話が壮大になるのよォォォォォッ!!
っていうかちょっと雑ぅぅぅぅぅッ!!! 」
――アイナの絶叫が朝の食堂へ響き渡る。
だが、その一方……温かなスープの湯気の向こうで
レナードだけは、どこか穏やかな顔で笑っていた。
それは、再び動き出した刻を見つめるかのように。




