第17話:眠れない『しろとくま』・前編
――“色ムラ激怒聖女事件”の後
深夜……静まり返った屋敷の廊下を
アイナは一人、歩いていた――
「駄目だ、全然……眠れない」
――ふと零れた言葉。
その“原因”も、理解はしていた――
『君がそう言うなら、頼ることにしよう』
――夕暮れ、笑みを浮かべそう言った
レナードの顔が、頭から離れない。
あれ以来、妙に落ち着かなかった。
「私が言ったからって……何なのよ」
――ブツブツと、誰に言うでも無く
何度も繰り返した末――
「だぁ~~~っ!」
――頭から湯気が立ち始めていたアイナ。
「なっ……何であんな
意味深な言い方するのよ、あの人ぉぉぉ……っ!」
――本来、ベッドの上で
転がりながら発散して居ただろう羞恥を
深夜の廊下で抱え込んで……いや。
……彼女は、抱え込めてすらいなかった。
だが、そんな時だった――
「……あ」
――彼女は、ふと気付いた。
それは、自身の“声の大きさ”では無く――
「はぁ~っ……まただ」
――アイナは眉を顰めた。
この所、彼女が密かに気にしていた事……それは
夜更けになっても
執務室の灯りだけが消えて居ない事だった。
「全く……何してるのよ」
……昼夜を問わず、一日の殆どを執務室で過ごし
仕事を抱え込み、皆の前では平然と振る舞うレナード。
アイナには、そんな姿が
あまりに恐ろしかった――
(……きっと、何を言っても止めてはくれない。
いちメイドが当主様の仕事に口を挟むなんて
絶対にやっちゃ駄目なことくらい、分かってる。
だけど――)
――『心配をしている』
その事実を伝える事さえ、今の彼女には難しくて――
「……ち、違うわよ?!放っておくと倒れそうだから!
だから、気にしてるだけで!……」
――誰に向けたのかさえ分からない
“言い訳”を口にした瞬間
彼女は、厨房へと向かっていた――
◆
――着くや否や
厨房の奥へと向かったアイナは
冷蔵室から牛乳を取り出し、鍋に入れ火にかけた。
……コトコトと、静かな深夜の厨房に優しい音が響く。
立ち昇る湯気を真剣に見つめ……沸騰直前で火を止める。
カップに移し、僅かに蜂蜜を垂らし入れ
匙で優しく混ぜ――
「よし……出来たっ!」
――僅かに焦った指先が、カップの縁を小さく突いた。
「ぁうっ……!?」
慌てて手を添え、冷や汗を流す。
……逸る気持ちを抑えつつ、今度は慎重に
お盆へとカップを乗せた彼女は――
◆
『コン……ココン……』
――ノックさえ余裕なく
執務室の前まで来ていた彼女は
直後、返事も訊かぬまま部屋の扉を開いた――
「お……お節介かとは思ったんですけど
明かりが見えたので……って。
うわっ……」
――アイナは思わず顔を顰めた。
机の上に並べられた大量の書類、そして――
「……レナード様」
「ん? ……アイナか、どうした? 」
「どうした? じゃないです……何ですか、その顔」
「顔? ……インクでも付いているのか? 」
「いいえ……それはどう見ても“隈”です」
「……ああ。
少し、立て込んでいてな……」
「少しの顔じゃありませんけど」
そう言うや否や、ずかずかと机へ近付き
少し強めにカップを置いたアイナ。
「兎に角……飲んで下さい」
「ん?……何だ?これは」
「眠れない人用のお茶みたいなものです」
「香りは牛乳だが……そんな物まで作れるのか」
「ええ、メイドですから」
そう、見るからに威圧的なアイナの態度に
レナードは小さく笑い、カップへと口を付けた。
直後……張り詰めていた彼の表情は
僅かに緩み――
「うん……美味しいな」
「当然です」
「と言うか……少し、甘いな」
「ええ、疲れてる人にはその方が良いんです」
――ふわりと湯気が揺れる中
ふと、思い出したようにレナードは顔を上げ――
「……なぁ、アイナ。
君は……本当に、不思議な人だな」
「何ですか?急に」
「君はいつも……驚く程に良く見ている。
疲れている者、無理をしている者……困っている者。
それら全てに対し……君はいつも、先に気付く。
何故……なのだろうな」
――アイナは少しだけ黙った。
(何故って……そんなの、決まってるじゃない)
「それは……放っておけないだけです」
「放っておけない?」
「昔、私も……そうやって助けて貰ったので」
「……例の“白いメイド”か」
「ええ……その人、凄く優しかったんです。
どんなに汚れてても、駄目そうでも
“大丈夫”って言ってくれて……救われたんです。
だから私も……そういう人になりたかった。
それだけです……きっと」
「それは……羨ましいな」
レナードは、小さく笑った。
「え? 」
「君が……そんな風に
誰かを救える人に出会えた事も
君がそれを『憧れ』だと自信を持って言える事も、
こうして実践出来ている事も……私には、少し羨ましい。
そういうものに、私は縁が無かったからな」
――その声は、酷く静かで
酷く……寂しかった。
「そんなの……違います」
「ん?……」
「レナード様も、ちゃんと助けてます」
「何?……私がか?」
「はい」
アイナは僅かに視線を逸らしつつも続けた。
「皆……最近、凄く楽しそうですし
皆、絶対にちゃんと見てますよ?
レナード様が頑張ってるの……私も見てます」
――レナードは、僅かに目を見開いた。
そして……ふっと、肩の力を抜くように笑い――
「やはり……君は、救いだな」
「ぁうっ……べ、別に
牛乳温めて蜂蜜……入れただけ……ですから」
――ドクン、と胸が高鳴る
だが、その瞬間――
『ガタァンッ! 』
「なっ?!」「ひっ!?」
――執務室の外で響いた妙な物音
立ち上がり、扉へと向かったレナードは――
「「「「「……」」」」」
――部屋の前
涙目で震える使用人たちの姿を目の当たりにした。
「なっ……何してるんですかあなた達っ!! 」
当然と言うべきアイナの疑問
一方の使用人たちは、次々と
感極まったように思いを口にし始めた――
「せ、聖女様が……!」
「若様へ“癒しの秘薬”を……!」
「祝福を与えておられるなぁ~ッ……と!」
「おらもホットミルク飲みたかっただ」
「寝なさいよぉぉぉぉぉッ!!!」
――深夜の屋敷に響き渡ったアイナの絶叫。
はた迷惑な騒ぎの中、レナードだけは穏やかで。
彼は、その手の中の温もりを……静かに感じていた。




