第16話:白へと至る『青』後編
――夕暮れ時。
皆が去った後……中庭には、まだ白布が揺れていた。
僅かに青を含ませたリネンは
沈みかけた陽を受けても尚、冴えるように白い。
「やっぱり……綺麗」
アイナは、誰に聞かせるでも無く
ぽつりと呟いた。
……風に揺れる純白。
それは、彼女の原点に成った色――
――
『ねぇ、ママ……白って、汚れないのかな?』
幼いアイナ……彼女は
“憧れ”との出会いの瞬間を思い出しながら
母に問うた。
『白はねぇ~……すっごく汚れるわよ?
だけど、汚れたとしても
また綺麗にしてあげる色でもあるの』
『そうなんだ……ねぇママ。
このハンカチ、ちゃんとお返ししないと駄目だよね……?』
『ハンカチ?……って、シルク?!
ア、アイナ……何処で拾ってきたの?』
『えっとね、白いメイドさんがね……包んでくれたの』
――
「結局、返せてないな……このハンカチ」
――アイナは懐から『ハンカチ』を取り出した。
それは……いつか返そうと肌身放さず持ち続けた
何度も洗い、何度も畳み直した
アイナの『宝物』だ――
「私……少しは近づけてるのかな?
あの人みたいに……簡単に捨てず、簡単に見捨てず
誰かの悲しみに気付けるような。
そんな、メイドさんに……」
……
「此処に居たのか……と言うか、まだ見ていたのか?」
「レ、レナード様っ!?
べっ……別に、乾き具合を確認してただけですっ!」
……それは、明らかな嘘だった。
だが、レナードはそれを指摘する事無く
静かに、彼女の隣に立つと――
「しかし……本当に綺麗だ。
同時に、不思議でもある……青く見えない事も
一層……白く見えてしまうのも」
「ええ……でも、本当はこれ錯覚なんですよ?」
「ああ、良いんだ……それが錯覚であろうと
仮に、嘘であろうと。
美しいものは……唯、美しい。
アイナ……君は、白に拘りを持ち
仕事にも、矜持と呼ぶべきものを持っている。
それは、褒められるべき事だと……私は思う」
「ち、違うんです……私、唯。
“真っ白”に……憧れていたんです。
……私がまだ、子供の頃
町に、いつも真っ白のメイドさんがいて。
その人のこと……ずっと
遠巻きに見ていたんです……それで
うまくは言えないんですけど、その人が歩くと
なんだか、汚れた場所まで綺麗に見えて……
……私、思ったんです。
“あんなふうになりたい”……って。
あの日、私を助けてくれた
あの“真っ白”になりたいって――」
――風が吹き、リネンが揺れる。
「――でも、知ったんです。
真っ白って……唯、綺麗なだけじゃないって」
「ん?……どういう意味だ?」
「だって……汚れると目立ちますし
青を足したり、誤魔化したり……そもそも
放っておくだけで、すぐに駄目になるんです。
だから――」
――そう言った後、アイナは小さく笑った。
そして――
「――きっと、どの色よりも
“すっごく面倒くさい”色なんです」
「なるほど、君らしいな」
「いや……それ、褒めてます?」
「君自身はどう感じた?」
「えっと……絶対に褒めてないと思います」
「そう……か。
……だがアイナ、君のお陰で
この屋敷は“白”を取り戻しつつある」
「それは……大袈裟です」
「そうだろうか?」
「私は唯普通に掃除して
洗濯して……お庭を少し整えただけです」
「その“普通”が、誰にも出来なかったんだ。
いや……私が“させなかっただけ”なのかも知れないが」
レナードはリネンを見上げたまま続ける。
「私は……屋敷の汚れにも、皆の疲れにも
何一つ、気付いていなかった。
君が来て……君が、気付いてくれた。
そして、漸く……少しずつ動き出したんだ」
……その声は静かで
だが、少しだけ痛みを含んでいた――
「アイナ……私は、当主だ。
自らの屋敷の惨状にさえ、気配りの出来な……」
「そ、それはっ!! ……違います」
「違わないさ……気遣いは要らない」
「いいえっ!……違いますったら違いますっ!!
っていうかそもそも、全部一人で
見ようって方がおかしいんですよ!」
「ア……アイナ?」
「……大体、レナード様は何でもかんでも
一人で背負い過ぎなんです。
だから、寝不足になるし指は刺しまくるし
書類棚には挟まれるし、バラの剪定だって……
……“変なこと”になるんです」
「う゛っ……い、色々と済まなかった」
「……でも、どれだって当主様は出来なくて良い仕事です。
と言うか……そもそも、少しは皆さんに頼って下さい。
使用人は、居るだけの飾りじゃないんですよ?」
言ってから、アイナはハッとした――
(……って。
私、何でこんなに真剣に……やめたい筈なのに
出て行くつもりだった筈なのに……)
――この日、彼女の懐に
『退職願』は入っていなかった。
「分かった……君がそう言うなら、頼ることにしよう」
そう言って笑ったレナードの笑顔を見た瞬間
アイナの胸の奥は温かくなり、そして
何かが“分からなく”なった――
(分かんない……)
――アイナは、ぎゅっと拳を握る。
(分かんない……この屋敷を
少しずつ好きになっている自分が。
……レナード様を、放っておけなくなる自分が。
ジョセフたちの笑い声に……“安心”してしまう自分が)
彼女は――
『誕生日を盛大に祝う』
――その言葉だけを信じ
アストラル家への就職を決めた。
それは――
『大切にしてもらえる』
――そう、信じたからこその選択だった。
だが、現実は――
『忘れられた』
――未だ、その事実だけが
彼女の胸の奥深くに刺さっていた。
「……でも」
アイナは小さく呟き――
「いえ……何でもありません」
――そして、言えなかった。
『私の誕生日、忘れてますよね?』
たったそれだけの言葉が
どうしても……言い出せなかった。
言えば、何かが壊れてしまいそうで。
それだけが、何よりも恐ろしくて――
「大変ですだァァァァァ~ッ!ハッハッハ!!」
「何、笑ってるんですか」
――叫ぶ気力さえない。
一方のジョセフは、お構いなしに
状況を伝えた――
「し、使用人達が――
『聖女様の白布に包まれれば心が清められる』
――とか言いながら、西側に干してあるリネンへ
順番に抱きつき始めましたぁぁぁッ!!」
「色ムラが出るからやめなさいよォォォォォッ!!」
――アイナの絶叫が夕暮れに響く。
一方、西側に干されたリネンへと
顔を埋めていた使用人たちは――
「清まる……」
「柔らかい……」
「これが聖女様の御心……」
「色ムラァァァァァッ!! 」
――全力で駆け出すアイナ。
その背中を見ながら、レナードは小さく笑った。
そして――
「“違います”……か」
――リネンの向こうで騒ぐ彼女を見つめながら
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「私も……ちゃんと返さなければな」
だが、その言葉は……まだ、届かない。




