Ⅵ 断罪 ー1
「わたしは嫌よ」
彩は腕を組んだまま、はっきりと言った。
彪はまた元の従順な隠密に戻って、自分が口を出すことではないと、馬の世話をしながら素知らぬ顔をしている。
燦が戻ると、厭味ったらしく大仰に出迎えた照も、驚きはしたものの、一歩下がって静観を決め込んでいた。
しかも、当の本人である允翠が、落ち着いて座ったきり何も言わないので、彩の怒りのボルテージは上がるばかりである。
燦は彩と翠の間で、一人オロオロしていた。
翠にはいろいろ聞きたいことがあったし、翠の提案を丸呑みするわけではないが、それでも気になるところはある。
もちろん、それは、翠のやったことを許せないという気持ちを置いてのことである。
だから彩の言うことも分かる。
彩も分かっていないわけではない。それでも許せないのだ。
「ここに来るまでにいくつかの町や村を通ったはずよ」
帝国の中心から外れるほど、新カエルムの被害は大きい。生活が過酷な者ほど、麻薬にすがってしまう。小さな村などは、機能がマヒしてしまった村もあった。
燦や彩の大切な仲間である良の村も、被害を受けた村の一つだった。
燦たちもここに来るまでに、そんな村を通り抜けてきた。人の唸り声やすすり泣き、なにより荒廃した畑と、村人の昏い目を見るたびに、胸を抉られるような痛みを感じた。
こんな状況を作り出した者たちへの怒りと、何一つ助けてやれない自分たちの無力さに、毎度打ちのめされた。
それが自分の愛する家族が住む村だったら、その痛みはどれほどのものだろう。
「あなたは何も感じなかったの?」
彩が問い詰めると、翠は深い緑の目を、彩に向けた。
珍しく彩がたじろいだ。
彩の目は普段瞼が閉じられており、何も見えない。だが強い力を宿しているものは、見えなくても、視えることがある。
翠の翡翠のような目が、彩にははっきりと視えた。
「思ったより、被害は少なかったです。以前の公国のドムのようになることを危惧していたのですが、あれを教訓に、人間は対処方法を学んだらしい。分からずに広がってしまうことがなかったので、抑制されています」
実験結果を発表するかのように、翠は淡々と述べた。
一瞬、彩は何を言われているのか分からないというように、口を閉ざした。次の瞬間、彩の身体が震え出した。
燦もあまりのことに、言うべき言葉を見失った。
あれで、被害が少なくてよかったと、この男はいけしゃあしゃあとすました顔で言っているのだ。
「それに、ここまで大がかりではなくても、麻薬の製造は、小規模ならどこででも行われています。それが禁止されたカエルムでなければ、見逃されている。それは陛下もご存知でしょう」
あまりに淡々としゃべるので、思わず大したことではないように錯覚しそうになって、燦は唇を噛んだ。
吞まれるな。
「他の麻薬の事件を、今回あなたのやったことの言い訳にしないで。父を出してきて、わたしを揺さぶろうとしても無駄よ。過去の麻薬事件がうやむやになったことは、はっきりと父の汚点よ。だからこそ、今回は見逃されない」
「絶対にわたしが止める」と言い切った燦を、翠は微笑んで受け止めた。
「もちろん。その為に、ここまで大きくしたんですから」
彩の震えがピタリと止まった。
「まさか、燦を引っ張り出すためだけに、こんなことを起こしたの?」
彩の低い声に、翠は再び彩に目を向けた。
「だけということはありません。餌が大きい方が、たくさん釣れると思ったからです」
燦は予感がして、咄嗟に彩の瞼を手のひらで覆った。
彩が肩で息をしている。燦は祈る気持ちで、彩の肩をもう片方の手で抱きしめた。
「嬢ちゃん、ありがとな。怒ってくれて」
急に別の人物の声がして、彩の頭を撫でた。
彩の肩からフッと力が抜ける。
「良」
先ほどまで張りつめていた彩の声が、ふにゃりとつぶれた。
良と呼ばれた五十絡みの男は、そのまま翠の前にドカリと腰を下ろした。
「大事の為には、多少の犠牲は仕方がないというやつだな」
責めるようでもなく、茶化すようでもなく、良はいたって普通にそう言うと、翠は素直に「まぁ、そうです」と頷いた。
それを聞くと、良は「ゲッ」と吐く真似をした。
「古臭いな。使いまわされすぎて、気持ちが悪い」
「そうですね。常套手段というやつですから」
悪びれる風もなく、翠はあっさりそう言った。
「正当化しようとは思っていません。怒りを向けられるのも、恨まれるのも、当然だと思います」
ズガァァァン
砕けるような大きな音がして、彩はビクリと体を震わせた。良のこぶしがテーブルにめり込んでいる。
「良……」
思わず燦の声が漏れる。
叩きつけたこぶしから血が滲んでいる。
だが翠は全く動かなかった。目はひたと良の顔から逸らさない。
「当然だと思うなら、殺される覚悟もできているんだろうな」
地の底から響いてくるような低い声で、良が唸るように言うと、翠はなぜか安心したように頷いた。
「ええ、もちろんです。そのくらいの覚悟で済むのなら、いくらでも……それだけのことをしているのですから」
良はどさりと椅子の背もたれに倒れこんだ。
こぶしから流れた血が飛んで、翠の頬に散った。
天を仰いで、大きなため息をついた。
「俺の村がどうなっていたかを、言う必要はなさそうだな」
「良!」
彩が非難の声を上げる。
良は困った顔で彩を見た。
「すまんな、嬢ちゃん。俺も話すのはつらい。そうしなくて済むなら、わざわざ言いたくないんだ」
良の言葉に彩はぐっと詰まるが、「でも…」と迷っている。
「こいつはな」
良は翠を睨みつけたが、憐れんでいるようにも見えた。
「自分が何を引き起こしたか、ちゃんと知っている。それでも、やりたいことがあるってことだ」
「……」
「氏族制度をぶっ壊したいんだろ」
良が確認すると、翠はわずかに目を見開いた。
「なぜ?」
翠の疑問を、良は鼻で「フン」と笑った。
「調べりゃ分かるよ」
良は副業で情報屋をしているが、王家も認める腕利きだ。
「氏族連中がどんなにひどいことをして、あんたの恨みがどんなに深いからといって、カエルムをばら撒いていい理由にはなんねぇよ。それは何があっても許せない。だけどな」
良の言葉は投げやりなように聞こえた。だが、握りしめているこぶしが、彼が抑えているものを物語っていた。
先ほど叩きつけたこぶしを、宥めるように反対の手でぎゅっと握っている。その手の甲には太い血管が浮き出ていた。
「お前みたいなのに付け込まれる弱さも、付け込んでもなんとも思わない恥知らずがまかり通っているのも、このくそみたいな氏族制度のせいだと思う。それを潰そうって言うんなら、俺は乗る」
彩ももう口を挟めなかった。良の覚悟が分かった。更には、相手にそれだけの覚悟が問えるのも、また、良だけだ。
絶対に逃げるなと言っている。
賭けているのは、自分の命だけでは足りないと、真正面から脅している。
「うまくいっても、いかなくても、お前に待っているのは死のみだろう。それでもやるのか」
良の言葉に翠は晴れやかに笑った。
「ええ、そのつもりです」




