Ⅴ 涙 ー20
何を話しているのか、気にならないわけはない。
しかし立場上、ウロウロするわけにもいかず、大神官は私室で進まない書類を前に、内心気を揉んでいた。
公女が一体、ユースティスに何を言うのか。
当然、それが気になるはずなのに、ユースティスが公女に何を言うのか、何故かそちらの方に気を引かれてしまう。
ユースティス殿は、味方の筈だ。
大神官は立ち上がった。仕事は一つも進んでいない。
外に出て、風に当たろう。ユースティスの部屋と反対側の庭なら、ガザの者はいないはずだ。
大神官は迷路のような白い廊下を通り抜け、かつては巫女姫付きの占い師が使っていた部屋から、裏庭に出た。巫女姫の部屋に面する裏庭である。今はもう、巫女姫の部屋は使われていないので、ほとんど人が来ることはない。
占い師の部屋から出られる扉も、目立たないようにとても小さかった。恐らく巫女姫を監視するものだったのだろう。
巫女姫の部屋を通るのは、大神官といえどもできない。そこは太陽神の花嫁となる方の部屋なのだから。
苦労して小さな扉を潜り抜けると、庭に出た。この場所も、本当は畏れ多い場所なのだが、人があまり入らず、背丈の伸びた草が、なんとなく畏れを和らげてくれていた。
大神官は、一人になりたいときに、時々ここに来る。
だが、今日は、あり得ないことだが、先客がいた。
金色の髪の青年が、庭の端に立って、その後ろにそびえる崖を見上げていた。
大神官が、「誰だ」と声を上げる直前に、青年が振り返った。その顔に大神官は思わず息を呑んだ。
「大公様?」
金色の髪の青年は、微笑んで近づいてきた。
思わず大神官は後ずさった。
大公なわけがない。よく見れば、大公がこんなに若いわけはない。
しかし、よく似ている。
青年は大神官の近くまで来ると、丁寧にお辞儀をした。
「こんなところまで入り込んでしまい、申し訳ありません。人を探していたら、迷ってしまって。わたくし、公女に随行してまいりました、昂という者です。大神官様にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃるか、ご存知ですか?」
大神官は喉の奥が詰まったように、咄嗟に言葉が出なかった。
昂と名乗った青年は、笑顔のまま、返事を待っているようだった。
「大神官に何の御用でしょう」
何とかそう答えると、昂は他意のない目で、頭を掻いた。
「いえ、叔母から言伝を預かっておりまして」
「叔母上から?」
このコウという青年の叔母と自分が、何の関係があるというのだろうか。
やはり、好奇心でこんなところまで来てしまった言い訳なのだろうか。
「ええ。叔母はこちらで数年お世話になったそうで。凛という名なのですが、ご存知ですか」
凛?凛……リン。まさか。
「巫女姫様の?」
恐ろしいことでも尋ねるように、大神官が小さな声でそう問いかけると、昂は「ああ」と笑って声を上げた。
「確かそうです。そんなことを言っていました」
パニック寸前の状態で、大神官は必死に頭を働かせた。
今でも覚えている。自分たちを守ろうと、侵入者の前に立ちはだかった、華奢な背中。守るように広げた両腕が、翼のように見えた。
「それで、言伝とは」
急いてそう訊く大神官を、昂は笑いながら押し戻した。
「それは大神官様にしか伝えられませんよ」
「わたしがっ」
ほとんど掴みかかりそうになっている大神官に気が付いていないように、昂は庭を見回した。
「そうですよね。もう打ち棄てられているとはいえ、巫女姫様の庭に入って来られるなんて、大神官様くらいしかいませんよね」
まるで巫女姫自身から咎められているような気がして、大神官は咄嗟に何も言えなかった。
よく考えれば、この青年がここにいることの方が、咎められるべきなのに。
昂は大神官に視線を戻して言った。
「叔母からの言伝です」




