Ⅴ 涙 ー18
「どうして、照の命令をきいたの?独断だと分かったでしょう?」
照たちから離れ、燦が大きな声でそう訊ねると、彪は速度を落とし、振り返った。
「そうした方が、姫さんの怒りを買って、皆がビビると思ったんでね」
照は知らないだろうが、彪は幼いころ燦に付いていた隠密だ。ほぼ同じくらいの年頃なので、護衛としてではなく、もっぱら遊び相手の役目だった。その名残で、二人の時は、燦のことを「姫さん」と呼ぶ。
彪が一人前の隠密になると、燦付きを解かれ、他国を飛び回る隠密として活動していた。
それが最近、燦のもとに呼び戻されたのだ。
隼もそうだが、隠密の連中は、敬意を表すことをしない。燦のまわりの隠密だけかもしれないが。
「分れた遜の隠密は、まだ追いついていないかしら」
彪が速度を落としたままであることに、燦が焦ると、彪は少しだけ口を歪ませた。
「ああ、あれは嘘です」
しれっと言う彪に、燦は「はぁ?」と思わず大声を出した。
「翠が単騎で走っているのは本当だけど、隠密どもが気付いた様子はありません」
ではこの状況を作るために、わざわざ照に嘘の報告をしたわけだ。
全く、これだから隠密の連中は。
「でも、気づかれたかもしれない。おっさん、ちゃんとのしてくれてたらいいけど」
燦は答えるのも面倒になって、彪がしゃべるのに任せていた。事が済んで、戻ったら、照には優しくしてあげよう。彼は実直で信頼できる。
だがやはり、役に立ち、頼りになるのは、彪や隼、そして空のような連中だ。残念ながら。
「おっ」
彪の声と同時に、燦にも見えた。針森の方向に駆ける単騎の若者。フードを被っていて、顔は見えない。服は庶民のものだが、馬と姿勢が良すぎる。そんなに速度は速くない。
「止めますよ」
そう言うなり、彪は馬の速度を一気に上げた。燦はついて行かない。足手まといになり、逃げられる可能性がある。ただ静かに、相手が取るであろう退路を塞ぎに行く。
彪は一気に追いつき、若者の退路を断った。
若者は逃げようとはせず、大人しく止まった。
彪がすぐには襲ってこないのを見て取って、若者はもう一人の襲撃者である、燦の方に目を向けたのが分かった。
「単騎というのは目立つものですよ、允翠殿」
燦が近づいていき、声をかけると、若者はフードを外した。翡翠色の目が燦を見つめた。
「王女様こそ、供がたった一人とは。噂通り無茶をする方なのですね」
動じている様子はない。
「わたしたちが来ることを知っていたの?」
「まぁ、目立っていましたからね。それよりも、崑や遜、もしくは允の連中に見つかる方が怖かったので」
聞いてもいないのにペラペラとしゃべる翠に、燦は身構えた。
「どうして?」
この男はどこまでしゃべるのか、自分たちがどこまで知っていると、知っているのか。
翠の考えが読めなかった。どちらにしろ、こんなに明け透けにしゃべって、翠が得するとは思えない。
翠は笑って答えた。
「ご存知でしょう。わたしはカエルムを再生させた。それを公国に売ってみただけです。我が国では禁止されているのでね。それが思いのほかうまくいったので、氏族連中に目を付けられたというわけです。身内も含めてね」
「他国へ売るのも禁止されているはずよ。そもそも、カエルムは製造も禁止されている」
言われることが分かっていたかのように、翠は慇懃に答えた。
「カエルムではありません、王女様。あれはカエルムに似たものです。成分がわずかに違う」
問題はそこではない。法にひっかかっていなくても、あのカエルムと同じ用途のものを、造って売ったのが問題なのだ。
そんな詭弁が王や国民に通じると思っているのか。
ましてや、最弱氏族の允風情が。
「允にはお金も力もないんですよ」
燦の思考を読んだように、翠は付け加えた。
「何をするにも金と力がいる。そうでしょう?」
「何をするにも?」
何をしようとしているのか。燦が翠の目の奥を覗こうとしても、翠はたじろがなかった。
「そうです」と翠は頷いた。
「おそらく、王女様や王妃様と、そう考えは違っていないはずです」
まさか、わたしに見つけさせるために、ここまで来たというのだろうか。炎王ではなく、王女に。
翠は馬から下り、深く頭を下げた。
「わたしの命を狙う者から、わたしを守ってくださいませんか。そうすれば、わたしが全てを引き受けて、王女様の理想を叶えましょう」




