Ⅴ 涙 ー17
馬車の速度が緩み、外から「燦様」と声がかかった。燦が馬車の小窓を開けると、厳めしい顔があった。
「照?どうしたの?怖い顔をして」
「…もともとこういう顔でございます」
冗談の通じない騎士は、怖い顔を緩めることなく、報告した。
「先ほどから、付いてきている者がいます」
「どれくらい?」
「五人…いや六人ほどですかな」
この男のしかめ面は、本人が言う通り、元々のものかもしれない。これくらいのことで、仮にも王女付きの護衛がこんな顔はしない。
「それは、まぁ、珍しいことじゃないわ」
一応答えてから、「分かっているでしょ?」という意味も込めて、燦は照を見上げた。
王家の馬車だと掲げてはいないが、分かる者が見れば分かる。他氏族の隠密が付くのは、平常通りだし、何も知らず、盗賊が襲ってくることもある。だが、前者は滅多なことではこちらに仕掛けてはこないし、後者は照を始めとした近衛兵たちの敵ではない。
「それがさきほどの分かれ道から、半分に減りました」
「!」
早く言え、と言いたいところだが、まだ照は燦の能力を信用していない。他氏族の隠密に付かれているところで、騒がれても困ると思ったのだろう。
信頼を得られていないのは、燦の落ち度だ。
「馬が疲れるころね。次の水場で休憩しましょう」
それから早口で付け足した。
「彪に行かせて」
彪は一行に同行している隠密だ。照は燦をまだ信用していないから、先に彪にはもう伝えているだろう。
案の定、「はっ、すでに」と答えが返ってきた。
燦は強い眼差しで、照を見た。
燦の落ち度はそれとして、主君を軽んじた照を、咎めなくはいけない。父王が燦に、針森への偵察隊の指揮を任せたのは、お飾りとしてではない。燦を軽んじるということは、王を軽んじたことになる。
幸い照は、燦が何か言う前に察したのか、頭を下げ、「申し訳ございません」と詫びてきた。
「許すわ。でも二度としないで」
照はもう一度頭を下げ、馬車から離れ、隊列に戻っていった。
付いていた他氏族の隠密の数が減ったということは、分かれ道で二手に分れたということだろう。
見張るべき対象が、他にあるということか。
彪が間に合えばいいが。
先ほどは立場上ああ言ったが、照が真っ先に彪に行かせてくれてよかった。
照は、主君である炎に、娘の護衛へ追いやられたと思っているが、父がわざわざ彼を燦に付けたのは、照を高く買っているからだ。
炎は燦に王位を継げとは言わないが、燦の実力を認めていることを、こうして態度で示してくる。
そして父は、燦が唯一の愛娘だからという理由では、そのようなことはしない。
水場が見えたと報告が入る。馬車の小窓から見える景色も、ほんのり明るく柔らかくなった。
燦たちが馬車から降りると、兵士たちは、もう馬に水を飲ませていた。早く飲ませていれば、燦たちの護衛に目が配れる。
燦が近くの木陰を選んで座ると、照が汲んだ水を碗に入れ、差し出してきた。先ほどの謝意のつもりだろう、上司のこういった態度は、部下にすぐに伝わる。
「ありがとう」
燦はお礼を言うと、一口水を口に含んだ。
良い水だ。さすが針森は豊かなだけある。
燦が照に目をやると、照は頷き、幹部を残し、あとの者には馬の世話を命じた。
「付いてきていたのは、遜の隠密ね」
燦が確認すると、幹部の一人が「お気づきになられていたのですか」と驚いた声を出した。
「そのぐらい分かるわ」
ここまで侮られているとはと、燦はため息をついた。しかし今は、そんなことを気にかけている時ではない。
今回のカエルム騒ぎで、一番逆上しているのは遜だ。公国から入ってきているという噂は、遜が関わっていると言われているようなものだし、実際そうであるか、あるいは全く身に覚えがなければまだしも、遜の若い連中が中途半端に手を出している始末である。
これは明らかに何者かの企みだった。
最初は氏族へ疑いを持っていき、実際に手を出させて、氏族のせいにする。
氏族を潰したいのか……。
企てた者の思いが、燦の胸を揺らした。
……カエルムでなくてはいけなかったのか。
針森に来るまでに、カエルムに侵されている町や村を見た。カエルムは人の命をも奪うが、それ以上に町や村を衰弱させ、腐らせる。
以前のカエルムとは少し違うらしいが、行きつく先は同じだ。昨日見た村の者も皆、真っ暗な洞窟のような目をしていた。
だが燦たちに出来ることは何もなかった。襲われないように、王族の身分を隠して、通り過ぎただけだ。
崑の翁と炎王が手を組んだと知れば、当然、遜は焦っているだろう。
「見つけました」
若い声がしたかと思ったら、照の隣に若い男が立っていた。褐色の髪を一つに縛っており、胸にも腕にも派手な刺青を入れている。先ほど追跡を命じた彪だ。
外見は軽くみられるが、実は穏やかで落ち着いている。
「我々より北の方に、単騎で走る馬を見つけました。遜の隠密たちはそちらを追ったようですが、逃げられたみたいです」
「どこかの隠密かしら?」
単独行動なら、その可能性が高い。
「いえ、隠密ではないと思います。我々に似た格好をしていましたが、あの馬の駆け方は、おそらく良家の者です。氏族の方かと」
最後の方で彪が言いよどんだのは、それが普通ではありえないことだからだ。予想通り、幹部の一人が声を荒げた。
「氏族が一人で、などとあるわけなかろう」
「靜かに」と燦はその幹部を目で制した。遜の隠密が近くに潜んでいる。
おそらく、彪の見立ては当たりだ。
一人でも動く氏族が、いないわけではないことを、燦は知っていた。
遜が隠密の半分を割いて、そちらに向かったのも、そういうことだろう。
「その者と遜より先に接触したい。彪、わたしを連れていけ。照は遜の隠密の目を引いておいて。彩を置いていく。わたしに伝えたいことがあれば、彩に言って。すぐに伝えてくれる」
一瞬の間があいて、照が慌てた声を出した。
「ちょ、待ってください。なぜ、王女様がその者のところへ?危険です。遜の隠密の意図も分からないのに。接触したいのなら、だれか他の者を行かせましょう」
「何を言い出すんだ、この小娘」と言いたいとありありと書いてある顔を見ながら、燦は噛んで含めるようにゆっくり言った。
「わたしが会わなければならないの。あの人に、直接」
「だから、誰なんです」
「允家の翠殿よ」
照が言葉を失ったのを見逃さず、燦は部下に馬を連れてくるよう命じた。
「時間がないから行くわ。頼んだわよ。明日のお昼までに戻らなかったら、針森の村に向かって」
「燦様!」
我に返ったように叫んだ照を無視して、燦は馬に跨った。
「彩をよろしくね。その人、父と母のお気に入りなの」
最後に王家の強権を振りかざして、燦は彪を振り返った。彪はすでに馬に乗り、涼しい顔をして命令を待っている。
「行くよ」
燦が言うと、彪は頷き馬首を返した。後に燦が続く。
「……先に出てしまったら、もう、隠密どもはのしてしまうしかないじゃないか……」
呟く照は、背中をポンポンと二度叩かれた。
「ごめんね、照。燦がむちゃくちゃで。親にそっくりだよね」
彩がそう言って慰めると、照は「全くですな」と苦笑した。




