Ⅰ 幻の村 ー9
「本当にいいんですか?」
青年は心配そうな表情を浮かべて、向かいに座っている初老の男に尋ねた。
老人と言って差し支えない外見だが、その顔はまだ生気と野心に満ち溢れていた。
「ああ、構いません」
こういうのを慇懃無礼というのだろう。言葉は丁寧だが、こちらを下に見ていることが、声音や態度の端々に現れていた。
それも仕方ない。こんな若造相手では。
老人からしたら、自分など子どもみたいなものだ。そういえば、彼の息子は自分と同じくらいだった。
青年は奥の部屋に続くドアを、盗み見した。あそこにその息子がいるのだろうか。
「それにしても、まさか允当主の後継者自らおいで下さるとは思いませんでした」
これは本心なようで、老人の声音に少し熱がこもった。
「いえいえ」
受け流すように青年は頭を振った。ガザ帝国における四大氏族の一つ、允。青年はその当主の長子である。名を允翠と言った。
「わたしなどただの若輩者ですよ。崑の翁に比べたら、赤子も同然です」
四大氏族でも崑は最大の規模を誇る。それは王族である全を、はるかにしのぐ。崑の翁は、そんな崑一族の実質的な支配者だった。
老人の顔はふっと緩んだ。
「まぁ、あの方は特別でしょう」
取りなすように言う老人に、他国でもあの翁の存在は特別なのだな、と翠は思った。
妖怪みたいなものだ。実際、翁が何歳なのか誰も分からない。最初から彼は崑の翁で、ずっと君臨し続けていた。しかも、いまだなお精力的だ。
「それでは、いいのですね。貴方の息子さんには、酷なことになると思いますが」
翠は話を戻すと、老人は頷いた。
「大丈夫です。息子も納得しました」
その時浮かべた老人の微笑みに、翠は内心反吐が出た。
愉悦に満ちた微笑み。噂に訊いてはいたが、老人はかなり嗜虐的な性質をお持ちのようだ。
自分の息子が苦しみ、悩む姿を思い浮かべて、悦に入っている。
嫌悪感に身の毛がよだちながらも、翠はそんなことはおくびにも出さず、笑顔で頷いた。
「上々です。それでは」
そう言って、翠は人差し指を自分の唇に当てた。
「世界をひっくり返しましょう」
事はとうに動いている。今日ここに来たのは、自分のやろうとしていることの結果を、きちんと見ておこうと思ったからだ。
この老人の息子のような人間を、自分は沢山作ってしまうだろう。苦しみ、不幸になる人間。
自分のやろうとしていることは、決して正義ではない。実際、この憐れな小国を不幸に陥れる。大国が生まれ変わる為の、まるで生贄のように。
それが分かっていながらも、事を起こそうというのだから、この老人と自分はそうは変わらない。老人の醜悪さを咎める資格などないだろう。
翠は立ち上がり、老人に無言で会釈すると、さっさと部屋を後にした。背後で老人が億劫そうに立ち上がる気配を感じたが、振り返ることもしなかった。




