Ⅰ 幻の村 ー8
……一か月前。
「大公?アウローラ公国のか?」
ガザ国国王炎は、慌てて報告に来た兵士を、何の冗談だと睨みつけた。
ガザの支配国の中でも、アウローラ公国は特殊な立場にある。まず公国として自治が認められており、実質ガザの支配はほとんど受けていない。むしろガザの援助によって、どん底にあった国が立ち直れたという背景がある。今でも良好で対等な関係だし、公国の大公とは、個人的にも親交がある。
もちろん、表面上では親交が深いふりをしながら、裏では相手への謀を企てているといったことは、殊に政治の世界では珍しいことではないが、それでもあの大公はそういったことはしないだろうと思っていた。
清廉潔白なわけではない。彼とは深い因縁があるからだ。
俺に対してだけは、あいつは正面から来る。
そう思っていた。
だが、側近の報告は、まさに卑怯な謀だった。
「大公と同行していた公国近衛兵が、出迎えた我が国の一個師団を襲撃、その後、遁走した模様です」
「馬鹿か!戦争でもするつもりか!」
炎は思わず叫んだ。国王の豊かな金髪が怒りで逆立ったように見えて、兵士は思わず首を縮めた。
アウローラ公国の大公は、ガザの建国記念の祭典に、来賓として、ガザ入りする予定だった。
「そもそも大公の護衛など数が知れている。いかに精鋭と言えど、我が国の一個師団がやられるわけがなかろう」
平時に他国に入る時に、護衛の数には気をつかう。多すぎると相手を刺激してしまうからだ。あくまで相手を攻撃するためではなく、自分の護衛に必要なだけでなくてはならない。そうかといって、少なすぎると、威厳がなくなり、相手になめられてしまう。
だが、アウローラ公国は両国が築いてきた信頼関係により、本当に近しい者しか大公は連れてこない。
「いえ、それが……一個師団まではいかないにしても、かなりの数の兵士が、急に現れたと」
炎のこめかみがピクリと動いた。
「急に?」
報告していた兵士は、背筋にひやりとしたものを感じた。
「その時大公も逃げたと?」
炎が確認するようにゆっくりと言ったので、側近はゴクリと唾を飲み込んだ。
「はい。襲撃された後、師団が反撃しようとすると、もう去った後だったそうです」
「ふむ」
炎は顎を撫でながら、考えに沈んだ。こうなってしまっては、国王は思考の海からなかなか上がってこない。兵士は黙って待っていた。ここで口を挟める者は、本当に限られた者だけだ。
しばらくして、炎は顔を上げると、兵士がまだそこにいたことに、初めて気が付いたような顔をした。
「ああ、報告ご苦労。下がっていいぞ」
国王の言葉に、兵士は無言で腰を折ると、さっと執務室を退出した。上官はどうなったか聞きたがるだろうが、自分が関われるのはここまでだ。
報告できるのは、陛下は冷静だったということくらいだろう。




